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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第一章 潰れる夜

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5 蓋が外れる

 その瞬間のことを、わたしはずっとあとになっても、うまく言葉にできない。


 蓋が外れた、というのがいちばん近い。


 三年間、両手で押さえつづけていた蓋。


 もう指が白くなるくらい、爪が割れるくらい、押さえつづけていた蓋。


 それが、外れた。


 わたしが外したのではない。


 ()()()()()()()()()()()



 いちばん最初に、雨が止んだ。


 空から落ちてくるのをやめたのではない。


 ()()()()()()()


 無数の雨粒が、地上二メートルのあたりで、いっせいに静止した。


 黒い空気のなかに、ガラスのビーズを何万個もばらまいて、時間を止めたみたいだった。


 つぎに、水たまりが平らになった。


 波紋が消え、表面が張りつめて、鏡になった。


 そこに、わたしの顔が映っていた。


 泥だらけで、目を見ひらいて、口を半分あけて、知らない子みたいな顔をしていた。


「――おっと」


 鳴海さんの声が、少し変わった。


 初めて、彼の声から、のんびりした調子が抜けた。


「これは、ちょっと」



 音がした。


 ぐ、ぐぐ、と。


 世界が、奥歯を噛みしめるような音。


 三本目の橋脚が、へこんだ。


 直径一メートル半のコンクリートの柱が、真ん中あたりで、アルミ缶みたいに、ぼこん、と内側に折れた。


 鉄筋が、ぶちぶちと引きちぎれる音がした。


「ちょ、」


 四本目も、へこんだ。


 五本目も。


 わたしの周囲、半径二十メートルの重さが、狂っていた。


 あるものは、ありえないほど重くなり。


 あるものは、ありえないほど軽くなり。


 その境目で、世界がねじ切れていた。


 河川敷の土が、めくれ上がった。芝が、束になって宙に浮いた。倒れていた自転車が、真上に飛んで、高架の裏にぶつかって、そのまま平べったく貼りついた。


「やめ」


 わたしは自分の胸を掴んだ。


「やめて、やめてやめてやめて――」


 止まらなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 三年間、一度も出してもらえなかったものが、外へ出たがっていた。


 それは怒りに似ていた。


 わたしのものではない、誰かの、古い、腐りかけた怒りに。



 そのとき。


 頭上で、鉄が、鳴いた。


 きぃ、と。


 か細い、鳥みたいな声で。


 わたしは顔を上げた。


 橋脚を失った高架の桁が、ゆっくりと、たわんでいた。


 数十トンの鉄とコンクリートの塊が、ミシ、ミシ、と骨を軋ませながら、傾いでいく。


 そして、その先。


 暗い線路の向こうに。


 ()があった。


 まるい、白い、ふたつの光。


 近づいてくる。


 ――電車だ。


 上りの、終電に近い列車。


 雨のなかを、いつもどおりの速度で、いつもどおりの明るさで、こちらへ走ってくる。


 車内の蛍光灯が見えた。窓が見えた。


 人が、乗っていた。


 吊革につかまっている人。座席で眠っている人。スマホを見ている人。


 何人だろう。


 五十人? 百人?


 ()()()()()()()()()()()()()



「あ」


 わたしの喉から出たのは、悲鳴ですらなかった。


 もっと小さい、空気の漏れるような音だった。


 千早の顔が、浮かんだ。


 なぜだかわからない。


 玄関で、黄色い壊れた傘を押しつけて、へへ、と笑った顔。


『ましろ、また来なよ』


『絶対来なよ』


『約束』


 わたしは、両手を突き出した。


 止めようとした。


 生まれて初めて、わたしは自分の力を、使()()()()()()


 誰かを傷つけないために。


 ――届かなかった。


 力は、わたしの手をすり抜けていった。


 三年間押さえつけていたものは、押さえかたしか知らなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 桁が、落ちた。


 支えを失った鉄骨が、二十メートルぶん、まとめて、夜のなかを落ちてきた。


 その上を、電車が走ってくる。


 わたしは目を閉じなかった。


 閉じる資格がないと思った。


 自分がこれから殺す人たちを、最後まで見ていなければいけないと思った。



 だから、見えた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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