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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
終章 面影

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6 二十四グラム

 日が落ちはじめた。


 花びらは、まだ空に浮かんでいた。


 河川敷の人たちは、そろそろ片付けをはじめていた。


 誰も、空のことは気にしていなかった。


 春だから、花びらは舞うものだ。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「一個ずつ、聞いていい?」


「どうぞ」


「ましろの記憶、ある?」


「あるわ」


「全部?」


「全部」


 彼女は、膝を抱えて座っていた。


 黒いコートの裾が、草の上に広がっていた。


「唐揚げのタッパーの重さも、覚えてる。二百八十グラム。まだ温かかった」


 わたしは、鼻の奥がつんとした。



「じゃあ、あの魔女の記憶は」


「それも、全部」


「――()()()()()()?()


「混ざってる、とは、少し違うわね」


 彼女は、少し考えるような顔をした。


「水に絵の具を落としたのとは、違うの。()()()()()()()()()()


「二つとも」


「ええ。私は、妹を殺した女でもあるし、あの子でもある」



 わたしは、その言葉の重さに、しばらく黙った。


 妹の話は、ノートにも、ましろの記憶にもなかった。


 この人が、八月八日の朝に、初めて取り戻したものだ。


「……つらい?」


「つらいわね」


 彼女は、あっさり言った。


「三年ぶんの、逃げていた時間が、全部戻ってきたから」


「――」


「でも」


 彼女は、空を見上げた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それだけの話よ」



「どっちかが強くなったりしないの」


 わたしは訊いた。


「たとえば、朝はましろで、夜は魔女、とか」


「しないわ」


「なんで」


()()()()()()()()()()()()()()()


 彼女は、こちらを見た。


「あなた、五歳のときの自分と、いまの自分、切り替えてる?」


「……してない」


「でしょう」


 彼女は、ふ、と息を吐いた。


「同じことよ。私のなかの時間が、少し変な順番で並んでいるだけ」



「――名前は」


 わたしは訊いた。


「なんて呼べばいいの」


 彼女は、少し困った顔をした。


 あの、困ったような笑いかたで。


「好きなほうで」


「両方あるってこと?」


「ええ」


「本名は」


()()


 彼女は言った。


「灯りの、灯に、里」



「……あかりん?」


()()()()()


 即答だった。


 ものすごく嫌そうな顔だった。


 わたしは、噴き出した。


 噴き出して、それからまた、少し泣いた。



「じゃあ、灯里さんって呼ぶ」


「ええ」


「でも」


 わたしは、膝を抱えた。


()()()()()()()()()()()()()


 彼女は、しばらく黙っていた。


 それから、小さく言った。


「――()()()()()()



 わたしは、鞄から、それを出した。


 黄色いビニール傘。


 骨が一本、折れたままの。


 ずっと、部屋の隅に立てかけてあった。


「これ」


「……ああ」


「貸すよ」


「いらないわ」


()()


 わたしは、押しつけた。


「壊れてても使えるんだから、えらいでしょ、これ」


 彼女は、それを受け取って、じっと見た。


 折れた骨のところを、指でつついた。


 ――()()()()()()()()()()()



「――千早さん」


「さん、いらない」


「……千早」


「なに」


「一つ、教えてあげる」


 彼女は、東京のほうを指した。


 ビルの明かりが、点きはじめていた。



()()()()()()()()()()()()()()



 わたしは、顔を上げた。


「え」


「去年の八月に配ったぶん。戻していないの」


「――戻さないの?」


「戻せないわ。もう、どれが誰のか分からないもの」


 彼女は、少し笑った。


「みんな、二十四グラム持ったまま、八ヶ月暮らしてる」


「気づいてない?」


「一人も」



 わたしは、東京を見た。


 川の向こうのマンション。その向こうのビル。そのまた向こうの、たぶんスカイツリー。


 夕方の街に、明かりが増えていく。


 あの下に、千四百万人がいる。


 全員が、二十四グラム重い。


 誰も知らない。



「――なんか」


 わたしは言った。


()()()()()()()()()()()()()


「そう?」


「うん」


 わたしは、草を一本抜いて、指で回した。


「誰にも気づかれないように、みんなにちょっとずつ、押しつけてる」


「押しつけた、とは言わないで」


「じゃあ、なんて言うの」


 彼女は、少し考えて、こう言った。


「――()()()()



 わたしは、笑った。


 声を出して、笑った。


 八ヶ月ぶりだった。



 ひとしきり笑ってから、わたしは訊いた。


「ねえ」


「なに」


「佐伯さんには、言わないの?」


 彼女の動きが、止まった。


「――言えないわ」


「なんで」


「私は、あの人にとって、()()()()()よ」


 彼女は、草の上に置いた手を、少し握った。


「二十九歳の女が突然訪ねていって、私はましろですと言って、何が起きると思う?」


「……通報」


「通報ね」



 わたしは、それについて、しばらく考えた。


「――でもさ」


「なに」


「ボランティア、来なよ」


「は?」


「若葉園、ボランティア募集してるの。宿題見る係とか、行事の手伝いとか」


 わたしは、身を乗り出した。


「灯里さん、建物点検の仕事でしょ。あそこ、築三十年だよ。風呂の栓が毎月壊れるし、洗濯機の四番が悲鳴あげるし」


「……四番」


 彼女の声が、変わった。


()()()()()()()


「――知ってるわ」



 彼女は、うつむいた。


 しばらく、何も言わなかった。


「行っても、いいの」


「いいでしょ」


「私は」


()()()()()()()()()


 わたしは、草を彼女のほうへ投げた。


「あそこの子ら、大人が増えるとうれしいだけだから。あんたが誰だとか、考えないよ」



「……ひなたは」


 彼女は、小さな声で言った。


「五歳になったわ、たしか」


「なった。年長」


「歌は」


()()()()()()()()()


 わたしは言った。


「ヘタだけど」



 彼女は、口元を押さえた。


 押さえて、しばらく、そのままだった。


 日が、さらに落ちた。


 河川敷の家族連れが、レジャーシートを畳んでいた。


「――ありがとう」


 やがて、彼女は言った。


 ものすごく、下手な言いかただった。


「へたくそ」


「うるさいわね」


()()()()()()()()()()


「……練習するわ」

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