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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
終章 面影

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50/50

7 三年生

 暗くなってきたので、わたしたちは坂を下りた。


 彼女は、黄色い傘を片手に持っていた。


 晴れているのに。


 差してもいないのに。


 持ちかたが、下手だった。



「これから、どうするの」


「働いてるわ」


「え、働いてんの?」


「なぜ驚くの」


「いや、なんか、魔女って働かないイメージが」


()()()()()()()()()()()()()


 わたしは、また笑った。



 聞いたら、江東区の、小さな不動産管理の会社だった。


 建物の点検と、修繕の手配をする仕事だという。


「向いてるでしょう」


「……ああ」


 わたしは、納得した。


「建物の重さ、見えるもんね」


「壁のなかの鉄筋が何本足りないかも分かるわ」


()()()()()()()()()()()()()


「そうでもないわ。報告すると、上が困るのよ」



「あのさ」


「なに」


「公園のベンチに、毎週座ってた?」


 彼女の足が、止まった。


「――誰から聞いたの」


「柏木さん」


「あの子」


 彼女は、額を押さえた。


「……座ってたわ」


「なんで」


()()()()()()()


「それだけ?」


「それだけよ」


 絶対に嘘だった。


 わたしは、追及しなかった。



 坂の下で、わたしたちは立ち止まった。


 街灯がついた。


 虫が、その周りを回りはじめていた。


「わたし、明日から三年生」


「そう」


「クラス発表、明日の朝」


「そう」


「……あの子、いないんだよね。名簿に」



 彼女は、答えなかった。


 しばらくして、こう言った。


「――()()()()()()()()()()


「知ってる」


「二十九だもの」


()()()()()()()


「聞かれてないもの」



 わたしは、その場でしゃがみこんで、笑った。


 笑いながら、こう言った。


「じゃあさ」


「なに」


「土手」


 わたしは、坂の上を指した。


「ここ、毎日通るから」



 彼女の肩が、動いた。


 八月七日の夜、わたしが言ったことを、この人は覚えている。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「三年生も通るから」


 わたしは言った。


「卒業しても、たぶん通るから」


「……ええ」


「だから」


 わたしは、立ち上がった。


()()()()



 彼女は、うつむいた。


 黄色い傘を、両手で持ち直した。


 そして、ひどく下手な言いかたで、こう言った。


「――()()()()()?()



 わたしは、泣かなかった。


 その日、もう十分泣いたからだ。


 かわりに、思いきり息を吸って、言った。


()()()()()()()



 彼女は、坂を下りていった。


 黒いコートに、黄色い傘。


 ものすごく、へんな組み合わせだった。


 三十メートルくらい行ったところで、一度だけ、振り返った。


 そして、手を上げた。


 ――()()()()()


 手の振りかたも、練習が要るのだと思った。



 わたしは、坂の上に立って、それを見送った。


 姿が見えなくなってから、もう一度、土手に上がった。



 桜は、まだ散っていた。


 花びらは、もう、ふつうに落ちていた。


 風に流されて、川へ落ちて、水に浮かんで、流れていった。


 当たり前のことだ。


 落ちるものは、落ちる。


 それが、この世界の決まりだから。



 ――()()



 わたしは、そこに立って、空を見上げた。


 夕方に昇っていった花びらは、もう見えなかった。


 どこかへ行ったのだろう。


 風に乗って、街のほうへ。


 ビルの屋上とか、誰かのベランダとか、知らない人の肩の上とか。



 この街は、いま、二十四グラム重い。


 千四百万人が、それを持っている。


 誰も、気づいていない。


 誰も、知らない。


 明日も、みんな、ふつうに電車に乗って、ふつうに働いて、ふつうに帰る。


 そのことについて、誰も、何も言わない。



 わたしは、鞄から、ノートを出した。


 四冊目だ。


 三月に買った。


 まだ、一行も書いていなかった。


 書くことが、もう無いと思っていたからだ。



 わたしは、坂の上に立ったまま、ペンを出した。


 そして、最初の行に、こう書いた。



 『四月六日 土手 ()()()()()



 書いてから、少し考えて、もう一行足した。



 『灯里さん 二十九歳 不動産 傘の持ちかたが下手』



 わたしは、ノートを閉じた。


 鞄に入れた。


 ――()()()()()は、まだ続く。


 たぶん、一生続く。


 この人のことを覚えている人間は、この世に、たぶんわたししかいない。


 あの子のことも。


 あの子が、三年間、廊下の端しか歩かなかったことも。


 物に謝っていたことも。


 東京中に、二十四グラムずつ配ったことも。



 誰も知らない。



 ――()()()()()()()()()()



 わたしは、坂を下りて、家に帰った。


 夕飯は、唐揚げだった。


 お母さんが、「あんた、なんかいいことあった?」と訊いた。


 わたしは、「べつに」と答えた。


 ――()()()()()()()()

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