3 造園業
二月の頭に、柏木さんから連絡が来た。
ましろが、わたしのアドレスを渡していたらしい。
「なんかあったら、この子に」と言われていたそうだ。
――そういうところが、腹立つ。
自分がいなくなることを前提に、わたしの連絡先を配っていたのだ。
*
待ち合わせは、駅前のファミレスだった。
柏木さんは、作業服で来た。
胸に、「みどり造園」と刺繍が入っていた。
「受かったんですね」
「受かったよ」
「造園業」
「造園業」
彼女は、ドリンクバーのメロンソーダをストローでかき混ぜた。
左腕は、もうサポーターもしていなかった。
*
「どう?」
「腰が痛い」
「そっちじゃなくて」
「……ああ」
柏木さんは、しばらく黙った。
「悪くない」
彼女は言った。
「あのさ、わたし七年、人の異能を刈ってたわけ」
「はい」
「いまは、木を刈ってる」
彼女は、自分の手を見た。
節くれだった、乾いた手だった。
「木は、切ったところから伸びるんだよ」
「……はい」
「知らなかった。刈ってるほうが、ずっと知らなかった」
*
わたしは、訊きたかったことを訊いた。
「あの、剪定会って」
「ないよ」
「無い?」
「八月に解散した」
柏木さんは、あっさり言った。
「刈れないんだもん。刃がないの。上のじいさんたちは、みんな引退した。若いのは散った」
「鳴海さんは」
「知らない」
彼女は、首を振った。
「あの人、あの夜のあと、誰にも連絡してない。たぶん、もう刈らないと思う」
「なんで分かるんですか」
「分かんないけど」
柏木さんは、メロンソーダを飲んだ。
「あの人、たぶん、あの子に負けたのが、ちょっとうれしかったんじゃないかな」
*
わたしは、それについては、何も言わなかった。
許せるわけがない。
あの人はわたしを担いで、二百三十メートルまで運んで、警備員さんを六人落とした。
――でも、そういうものなのかもしれない、とも思った。
人を許せるかどうかと、その人がどうなるかは、別の話だ。
*
「柏木さん」
「なに」
「あの人――黒い服のほうは」
柏木さんは、ストローから口を離した。
「会ってないの?」
「会ってないです」
「そっか」
「柏木さんは」
「会ってない」
彼女は、窓の外を見た。
「でもね、十月に、変な話を聞いたんだけど」
*
「うちの会社、公園の植栽もやるのね」
「はい」
「江東区の公園でさ、ベンチに毎週座ってる女の人がいるって、先輩が言ってたの」
わたしは、身を乗り出した。
「背が高くて、細くて、黒い服着てて。ものすごい美人なんだけど、なんか、誰かを待ってるみたいにずっと座ってるって」
「――どこの公園ですか」
「聞いてない」
「聞いてくださいよ!」
「うるさい。十月の話だってば」
柏木さんは、めんどくさそうに言った。
それから、少し声を落とした。
「……あのさ」
「はい」
「あの人がもし、生きてるとして」
「はい」
「会いに来ないのは、来られないからだと思うよ」
*
「なんでですか」
「あの人、三年間、誰にも会わなかったんだから」
柏木さんは、そう言った。
「うちの記録に残ってるの。連絡先も、住所も、緊急連絡先も、ぜんぶ空欄。そういう人だった」
「……」
「会いかたって、たぶん、練習しないとできないんだよ」
*
わたしは、その言葉を、ずっと覚えている。
――会いかた。
そんなものに、練習が要るなんて、それまで考えたこともなかった。
*
二月、三月と過ぎた。
わたしは、江東区の公園を十四か所まわった。
どこにも、誰もいなかった。
*
三月の終わりに、わたしは若葉園に行った。
夏からずっと、月に一回くらい、お邪魔していた。
ボランティア登録もした。宿題を見る係だ。
――正直に言うと、あの子がいた場所に、いたかっただけだ。
*
ひなたは、五歳になっていた。
四月から、幼稚園の年長らしい。
「ちーねえ」と呼ばれるようになった。
ましろねえ、の隣に、ちーねえが入った。
それだけは、うれしかった。
*
その日、ひなたが、転んだ。
廊下で走って、曲がり角で足を滑らせて、おでこを柱にぶつけた。
泣いた。
「ちーねえ、だっこ」
わたしは、抱き上げた。
抱き上げられる。
わたしは、ふつうの人間だから。
――あの子は、これができなかった。
三年間、一度も。
*
ひなたは、わたしの肩で、しゃくりあげていた。
そして、こう言った。
「……ましろねえの、うた」
「え」
「うた、うたって」
*
わたしは、動けなくなった。
知っている。
わたしは、あの歌を知っている。
八月一日の夜から、八月三日の朝まで。
あの子のなかにいたあいだに、流れ込んできた。
三拍子の、短い旋律。
最後だけ、ふしぎな下がりかたをする歌。
*
わたしは、一度も、それをうたっていなかった。
うたったら、自分のものにしてしまう気がして。
あれは、あの子のものだから。
*
「――ひなた」
「うん」
「これ、わたしの歌じゃないよ」
「うん」
「ましろねえの歌だよ」
「うん」
五歳の子は、そう言って、わたしの肩に顔を押しつけた。
「いいから、うたって」
*
わたしは、息を吸った。
そして、うたった。
*
ひどく下手だった。
音程も、たぶん、半分くらい間違えていた。
それでも、ひなたは、五回目のくりかえしで寝た。
佐伯さんが、廊下の向こうで立ち止まって、こっちを見ていた。
何も言わずに、行ってしまった。
*
帰りぎわ、佐伯さんが、玄関で封筒を差し出してきた。
「これ、あの子の部屋の机に入ってたのよ」
厚い封筒だった。
「なんですか」
「ノート。三冊」
わたしの心臓が、跳ねた。
「……いいんですか」
「あたしが持っててもねえ」
佐伯さんは、そう言って、笑った。
「読んでも、意味分かんないのよ。物の名前ばっかり書いてあるの」
*
家に帰って、開いた。
*
『四月二日 病院 ベッドの手すり』
『四月五日 食堂 コップ』
『四月十一日 自室 引き出しの取っ手』
*
三年ぶんだった。
日付と、場所と、壊したものの名前。
三行ずつ。
理由は、一つも書いていなかった。
*
わたしは、三冊を、三日かけて全部読んだ。
途中で何回も止まった。
『六月十一日 二年三組の教室 筆箱』
『六月十一日 東階段の踊り場 一年生の膝』
――その「膝」が、線で消されていた。
消された下に、こう書いてあった。
*
『わたしの手』
*
わたしは、そのページで、二時間くらい動けなかった。
*
最後のページに、三行だけ、字が違うものがあった。
急いで書いたみたいな字だった。
*
『田辺修一さん 腕 治りません 二年』
『柏木さん 左腕 三ヶ月 治ります』
*
そして、いちばん下に。
*
『湊真白 ―― 治りました』
*
わたしは、そのノートを閉じて、自分の三冊の隣に並べた。
六冊になった。
机の上が、少し狭くなった。




