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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
終章 面影

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3 造園業

 二月の頭に、柏木さんから連絡が来た。


 ましろが、わたしのアドレスを渡していたらしい。


 「なんかあったら、この子に」と言われていたそうだ。


 ――()()()()()()()()()()()


 自分がいなくなることを前提に、わたしの連絡先を配っていたのだ。



 待ち合わせは、駅前のファミレスだった。


 柏木さんは、作業服で来た。


 胸に、「みどり造園」と刺繍が入っていた。


「受かったんですね」


「受かったよ」


「造園業」


「造園業」


 彼女は、ドリンクバーのメロンソーダをストローでかき混ぜた。


 左腕は、もうサポーターもしていなかった。



「どう?」


「腰が痛い」


「そっちじゃなくて」


「……ああ」


 柏木さんは、しばらく黙った。


「悪くない」


 彼女は言った。


「あのさ、わたし七年、人の異能を刈ってたわけ」


「はい」


「いまは、木を刈ってる」


 彼女は、自分の手を見た。


 節くれだった、乾いた手だった。


「木は、切ったところから伸びるんだよ」


「……はい」


「知らなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()



 わたしは、訊きたかったことを訊いた。


「あの、剪定会って」


「ないよ」


「無い?」


「八月に解散した」


 柏木さんは、あっさり言った。


「刈れないんだもん。刃がないの。上のじいさんたちは、みんな引退した。若いのは散った」


「鳴海さんは」


「知らない」


 彼女は、首を振った。


「あの人、あの夜のあと、誰にも連絡してない。()()()()()()()()()()()()


「なんで分かるんですか」


「分かんないけど」


 柏木さんは、メロンソーダを飲んだ。


「あの人、たぶん、あの子に負けたのが、ちょっとうれしかったんじゃないかな」



 わたしは、それについては、何も言わなかった。


 許せるわけがない。


 あの人はわたしを担いで、二百三十メートルまで運んで、警備員さんを六人落とした。


 ――でも、そういうものなのかもしれない、とも思った。


 人を許せるかどうかと、その人がどうなるかは、別の話だ。



「柏木さん」


「なに」


「あの人――()()()()()()は」


 柏木さんは、ストローから口を離した。


「会ってないの?」


「会ってないです」


「そっか」


「柏木さんは」


「会ってない」


 彼女は、窓の外を見た。


「でもね、十月に、変な話を聞いたんだけど」



「うちの会社、公園の植栽もやるのね」


「はい」


「江東区の公園でさ、ベンチに毎週座ってる女の人がいるって、先輩が言ってたの」


 わたしは、身を乗り出した。


「背が高くて、細くて、黒い服着てて。ものすごい美人なんだけど、なんか、()()()()()()()()()()()ずっと座ってるって」


「――どこの公園ですか」


「聞いてない」


「聞いてくださいよ!」


「うるさい。十月の話だってば」


 柏木さんは、めんどくさそうに言った。


 それから、少し声を落とした。


「……あのさ」


「はい」


「あの人がもし、生きてるとして」


「はい」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「なんでですか」


「あの人、三年間、誰にも会わなかったんだから」


 柏木さんは、そう言った。


「うちの記録に残ってるの。連絡先も、住所も、緊急連絡先も、ぜんぶ空欄。()()()()()()()()


「……」


「会いかたって、たぶん、練習しないとできないんだよ」



 わたしは、その言葉を、ずっと覚えている。


 ――会いかた。


 そんなものに、練習が要るなんて、それまで考えたこともなかった。



 二月、三月と過ぎた。


 わたしは、江東区の公園を十四か所まわった。


 どこにも、誰もいなかった。



 三月の終わりに、わたしは若葉園に行った。


 夏からずっと、月に一回くらい、お邪魔していた。


 ボランティア登録もした。宿題を見る係だ。


 ――正直に言うと、あの子がいた場所に、いたかっただけだ。



 ひなたは、五歳になっていた。


 四月から、幼稚園の年長らしい。


 「ちーねえ」と呼ばれるようになった。


 ましろねえ、の隣に、ちーねえが入った。


 それだけは、うれしかった。



 その日、ひなたが、転んだ。


 廊下で走って、曲がり角で足を滑らせて、おでこを柱にぶつけた。


 泣いた。


「ちーねえ、だっこ」


 わたしは、抱き上げた。


 抱き上げられる。


 わたしは、ふつうの人間だから。


 ――()()()()()()()()()()()()()


 三年間、一度も。



 ひなたは、わたしの肩で、しゃくりあげていた。


 そして、こう言った。


「……ましろねえの、うた」


「え」


「うた、うたって」



 わたしは、動けなくなった。


 知っている。


 わたしは、あの歌を知っている。


 八月一日の夜から、八月三日の朝まで。


 あの子のなかにいたあいだに、()()()()()()()


 三拍子の、短い旋律。


 最後だけ、ふしぎな下がりかたをする歌。



 わたしは、一度も、それをうたっていなかった。


 うたったら、自分のものにしてしまう気がして。


 あれは、あの子のものだから。



「――ひなた」


「うん」


「これ、わたしの歌じゃないよ」


「うん」


「ましろねえの歌だよ」


「うん」


 五歳の子は、そう言って、わたしの肩に顔を押しつけた。


()()()()()()()()



 わたしは、息を吸った。


 そして、うたった。



 ひどく下手だった。


 音程も、たぶん、半分くらい間違えていた。


 それでも、ひなたは、五回目のくりかえしで寝た。


 佐伯さんが、廊下の向こうで立ち止まって、こっちを見ていた。


 何も言わずに、行ってしまった。



 帰りぎわ、佐伯さんが、玄関で封筒を差し出してきた。


「これ、あの子の部屋の机に入ってたのよ」


 厚い封筒だった。


「なんですか」


「ノート。三冊」


 わたしの心臓が、跳ねた。


「……いいんですか」


「あたしが持っててもねえ」


 佐伯さんは、そう言って、笑った。


「読んでも、意味分かんないのよ。物の名前ばっかり書いてあるの」



 家に帰って、開いた。



 『四月二日 病院 ベッドの手すり』


 『四月五日 食堂 コップ』


 『四月十一日 自室 引き出しの取っ手』



 三年ぶんだった。


 日付と、場所と、壊したものの名前。


 三行ずつ。


 理由は、一つも書いていなかった。



 わたしは、三冊を、三日かけて全部読んだ。


 途中で何回も止まった。


 『六月十一日 二年三組の教室 筆箱』


 『六月十一日 東階段の踊り場 一年生の膝』


 ――その「膝」が、線で消されていた。


 消された下に、こう書いてあった。



 『わたしの手』



 わたしは、そのページで、二時間くらい動けなかった。



 最後のページに、三行だけ、字が違うものがあった。


 急いで書いたみたいな字だった。



 『田辺修一さん 腕 治りません 二年』


 『柏木さん 左腕 三ヶ月 治ります』



 そして、いちばん下に。



 『湊真白 ―― 治りました』



 わたしは、そのノートを閉じて、自分の三冊の隣に並べた。


 六冊になった。


 机の上が、少し狭くなった。

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