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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第七章 この姿で逢うのは最後

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7 ――そして、私は

 その最後の一音を、私がうたった。



 自分の喉から、その音が出た瞬間、私は、崩れ落ちた。


 膝が、コンクリートを打った。


 痛かった。


 ()()()()()()()()()()()


 三年ぶりに、私は、地面に膝をついていた。



 右腕が、戻っていた。


 左腕も。


 髪が、重さを取り戻して、肩から前に落ちた。


 朝日が、まぶしかった。


 まぶしいと思う感覚が、私にはもう、ずいぶん長いこと無かった。



 力が、戻ってきていた。


 三年前に切り出したものが、体の真ん中の、あの穴に、静かに収まっていく。


 穴が、塞がっていく。


 ――()()()()()()()()()


 私は、そう思った。


 思って、それから、気づいた。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 最初に来たのは、匂いだった。


 揚げ物の匂い。


 狭い玄関。テレビの音。「いらっしゃーい」と叫ぶ声。


 六畳の部屋。地層になった本と服。


 ――私は、その家に行ったことがない。



 次に、感触。


 肩に預けられた、十四キロ。


 小さい子の、汗ばんだ髪。


 寝息。


 ――私は、その子を抱いたことがない。



 次に、味。


 甘ったるい、ぬるくなったカフェオレ。


 二週間放置された缶の味。


 それを、半分だけ残して差し出してくる、誰かの手。



 次に、音。


 ぱん、と手を叩いて笑う、大きな声。


 『行ってきます、でしょ』



 次に――



 私は、両手で顔を覆った。


 覆って、そこで、初めて、自分が泣いていることに気づいた。



 ()()


 胸が、痛い。


 力が戻ったせいではない。


 穴が塞がったせいでもない。


 入ってきたものが、痛いのだ。


 人の温度が。


 人に触れられた記憶が。


 誰かに「ありがとう」と言われたことが。


 ――()()()()



 私は、その痛みを、知っていた。



 三年前の、あの夜。


 私は、ずぶ濡れで、剪定会の扉を叩いた。


 傘も差さずに。


 何があったのかは、一言も言わなかった。


 言えるわけがなかった。



 ――すず。


 妹の名前だ。


 七歳だった。


 私は、その子に、あの歌をうたって寝かしつけていた。


 毎晩。


 三拍子の、短い歌。最後だけ、ふしぎな下がりかたをする歌。


 私たちの母が、私にうたった歌だった。



 その子が、階段から落ちた。


 私の目の前で。


 二階の、たった十二段。


 ――()()()()()()()()


 助けようとした。


 当たり前のことだった。


 妹が落ちたら、手を伸ばす。


 考える前に、体が動いた。



 その手が、触れた。


 そして、すずは、死んだ。



 私の手が、そうしたのだ。


 落ちたからではない。十二段で、人は死なない。


 ()()()()()()()、死んだ。



 剪定会の人間は、私にこう訊いた。


 「全部とは?」


 異能というのは、どこまでが異能で、どこからが本人なのか、はっきりしないことがある。木の枝と幹の境目みたいなもので。


 だから、確認したのだ。


 どこまで切るのか、と。



 私は、自分の胸を指さして、言った。



 ――()()()()()()



 力だけを切っても、意味がなかった。


 力があったから、すずが死んだのではない。


 ()()()()()()()()()()、すずは死んだ。


 優しくなければ、手は伸びなかった。


 伸ばさなければ、あの子は、十二段落ちて、泣いて、それで終わっていた。



 だから、私は、両方を切ってくれと言った。


 人を潰す力と。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()



 そして、三年間。


 私は、何も持たない部屋で、床に毛布一枚で眠った。


 物は重いから。持っていると、疲れるから。


 誰にも触れなかった。


 誰にも頼まなかった。


 礼の言いかたを忘れた。


 一年前にあの子を見つけても、手を出さなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()



 私は、埠頭に膝をついたまま、泣いていた。


 声が出た。


 自分の声じゃないみたいな、ひどい声だった。


 カモメが、驚いて飛び立った。



 三年前、私は、忌まわしいものを切り捨てたつもりでいた。


 違った。


 切り出されて、箱に入れられて、値をつけられて、売られるはずだったものは。


 保管庫の扉を開けて、自分の足で歩いて出ていった、それは。



 ()()()()()()()()()()()()()()



 それは、三年間、東京のどこかで、児童養護施設の一階の端の部屋で暮らしていた。


 物に謝りながら。


 廊下の端を歩きながら。


 泣いている子の隣に座りながら。


 知りもしない誰かの卵を、割らないように受け止めながら。



 そして昨日の夜、泣いている友達の涙を、空へ浮かべた。



 ――()()()()()()()()()()()()()()()



 どれくらい泣いていたのか、分からない。


 気づくと、太陽は、水平線からすっかり離れていた。


 海が、青くなっていた。


 私は、袖で顔を拭った。


 右腕の袖で。


 三年ぶりの、右腕で。



 立ち上がった。


 足が、ちゃんと地面を踏んでいた。


 体重が、五十三キロあった。


 ()()()()


 こんなに重いものを、人間はみんな、毎日持って歩いているのか、と思った。



 口のなかに、まだ、いちごの味が残っていた。



 私は、海を見た。


 それから、東京のほうを見た。


 ビルが並んでいた。


 その全部が、二十四グラムずつ重かった。


 誰も気づいていない。



 歩き出そうとして、足が止まった。


 ――私は、鼻歌をうたっていた。


 三拍子の、短い歌。


 最後だけ、ふしぎな下がりかたをする歌。



 私は、口を押さえた。


 そして、しばらく、動けなかった。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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