↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第七章 この姿で逢うのは最後

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/50

3 お願いします

 柏木さんが、千早を家まで送っていった。


 「お母さんに、なんて言うの」と訊いたら、千早は「花火のあと、友達んち泊まった」と即答した。


 嘘のつきかたが、わたしより上手かった。


 二人が行ってしまうと、工事現場には、わたしと夜鷹さんだけが残った。


 朝の六時半。


 もう、完全に明るくなっていた。



「――夜鷹さん」


「なに」


「帰ります」


 彼女の肩が、わずかに動いた。


「そう」


「そうじゃなくて」


 わたしは、言い直した。


()()()()()()()()()()()()



 夜鷹さんは、こちらを見なかった。


 空っぽの空を、見ていた。


 昨日まで鉄の星が浮かんでいた場所を。


「――いいわ」


 やがて、彼女は言った。


「え」


「いいと言ったの。帰らなくていい」


「……は?」


「聞こえなかった?」



 わたしは、三秒くらい、意味が分からなかった。


「ちょっと待ってください」


「なに」


「三日前、命令したじゃないですか」


「したわね」


「戻ってこいって」


「言ったわ」


「わたし、それに怒って、窓を全部割ったんですけど」


「割られたわね」


「じゃあ、なんで」



 夜鷹さんは、そこで、初めてこちらを向いた。


 朝日のなかで、その顔は、ひどく疲れて見えた。


 そして、ひどく――()()見えた。


「昨日のあれを、見たからよ」


「……」


「あなたは、あれができる。私には、絶対にできなかったことよ」


 彼女は、透けた左手を持ち上げた。


「それを、私の中に戻す? もったいないでしょう」


「もったいないって」


()()()()()()()()()()()()()()



「捨てた人間が、今さら返せと言うのは、たしかに勝手だった」


 夜鷹さんは言った。


 わたしが三日前、割れた窓のなかで叫んだ言葉を、そのまま。


「散々苦労させて、捨てておいて、今さら返せなんて」


「――夜鷹さん」


「あなたの言うとおりだったわ」



 わたしは、しばらく黙っていた。


 そして、言った。


「ずるいです」


「……なに?」


「ずるいって言ったんです」


 わたしは、一歩、前に出た。


「あなた、いま、ものすごくずるいことをしてます」


「――」


「命令して、断られて、それで今度は()()()()()()()()んですか」



 夜鷹さんの目が、揺れた。


「そうやって、いつも先に手を離すんですね」


「……」


「三年前もそうでしょう。切ってくださいって、自分から頼んだんでしょう。持ってるのが怖いから、先に捨てたんでしょう」


「――やめなさい」


「やめません」



 わたしは、言った。


 声が、震えていた。


「わたしは、()()()()()()()()()()()()()()()()


 朝の風が、二人のあいだを吹き抜けた。


「三年前、あなたはわたしを切って捨てた。三日前、あなたはわたしに戻れと命令した。そして今日、いらないって言う」


「――」


「全部、あなたが決めてる」



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 夜鷹さんは、動かなかった。


 わたしは、続けた。


「わたしは、帰ります」


「……」


「捨てられるからじゃない。命令されたからでもない。()()()()()()()()()()()


「なぜ」


 彼女は、掠れた声で訊いた。


「なぜ、そうしたいの」



 わたしは、少し考えた。


 考えて、正直に答えることにした。


「昨日、あなたが立ったとき」


「……」


「三グラムで、足が床についたとき」


 わたしは言った。


()()()()()()()()()



「たった三グラムです。キャンディ一個ぶんです。それだけで、あの人が三年ぶりに地面に立った」


「――」


「そのとき思ったんです。()()()()()()()()()()、って」


 夜鷹さんの顔が、歪んだ。


「わたし、三十キロ持ってます」


 わたしは、自分の胸を、こつんと叩いた。


「持ってて、使い道が、一つしかない」



 長い沈黙があった。


 遠くで、朝のトラックが走っていく音がした。


 カモメが鳴いた。


 夜鷹さんは、透けた左手で、目のあたりを押さえていた。


 押さえて、しばらく、そのままだった。



「――条件が、二つあります」


 わたしは言った。


「……なに」


「一つ。()()()()()()


「五日」


「お別れを言ってきます。いろんな人に」


 夜鷹さんは、うなずいた。


「いいわ」


「二つ目」


 わたしは、彼女の前に立った。


 まっすぐに、目を見た。



()()()()()()()()()()()()()()()



 夜鷹さんの動きが、止まった。


 三日前と、同じ顔をした。


 質問の意味が分からない、という顔。


 ――本当に、分からないのだ。


 この人は、三十年近く、人に何かを頼まずに生きてきた。


 たった一度の例外が、三年前の「切ってください」だった。


「……それは」


「言えないんですか」


「――()()()()()


「知ってます」


 わたしは、うなずいた。


「知ってるから、待ちます」



 朝の六時四十分から、六時五十二分まで。


 十二分かかった。


 その十二分のあいだ、夜鷹さんは、何度も口をひらいた。


 ひらいて、閉じた。


 息を吸って、止めた。


 透けた左手が、何度も、コートの裾を握った。


 わたしは、待った。


 三年待った人が、十二分くらい待てないわけがなかった。



 そして、六時五十二分に。


 その人は、言った。



「――()()()()()()()()?()



 ひどく、下手な言いかただった。


 語尾が震えていた。


 目も合っていなかった。


 三十年ぶんの錆が、全部、その一言にこびりついていた。


 わたしは、うなずいた。


 何度も、うなずいた。


「はい」



「――八月八日の、朝」


 わたしは言った。


「三年前、わたしが見つかった埠頭で」


「……ええ」


「日の出のとき、そこにいてください」


 夜鷹さんは、うなずいた。


 そして、ひどく小さな声で、つけ加えた。


「――待ってる」


 その言葉を、この人が誰かに言ったのは、たぶん、三年ぶりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。