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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第七章 この姿で逢うのは最後

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38/50

2 四十七キロ

「……二キロ?」


 千早は、きょとんとしていた。


「ダイエットじゃん」


「違う」


「昨日から走り回ってるし」


()()()


 わたしは、首を振った。


 声が震えていた。


「汗とか、そういうのじゃない。そういうのは、抜けた場所が分かる。これは、違う」



 わたしは、千早の腕を取った。


 手首の内側。


 朝日にかざした。


 ――()()()()()()()()()()


 血管が見えるのとは違う。


 その向こう側の、コンクリートが、ぼんやりと見えた。


「……え」


 千早の声が、初めて、揺れた。


「なにこれ」


「夜鷹さんと、同じ」



 夜鷹さんが、缶を置いて、立ち上がった。


 わたしのそばまで来て、千早の腕を見た。


 そして、目を伏せた。


「――そうね」


 彼女は言った。


「当たり前の話だわ」


「当たり前?」


「あなたは、()()()()()()よ」


 夜鷹さんは、わたしを見た。


「私は器で、あなたは中身だった。中身は、器がないと存在できない。三年間、あなたはあなた自身を器にして、なんとか保っていた」


「……はい」


「でも、昨日、あなたはその子のなかに入った」



 わたしは、息が止まりそうになった。


「二つの心を一つにするには、()()()()()()()()


「燃やす」


「重さよ。存在の」


 夜鷹さんは、淡々と続けた。


「私は三年かけて、三十キロ以上を漏らした。あなたたちは、()()()()()()


 ――計算は、すぐにできた。


 わたしは、重さの計算だけは、誰より速い。


「……一日、二キロ」


「そうね」


「千早は、四十七キロ」


「ええ」


「――()()()()



 風が吹いた。


 埋立地の砂が、足元を流れていった。


 柏木さんが、口を押さえていた。


 わたしは、千早の手首を握ったまま、動けなかった。



「じゃあさ」


 千早が言った。


 ものすごく、いつもどおりの声だった。


「二十三日あるじゃん」


「――え」


「二十三日あれば、いろいろできるでしょ」


「千早」


「だってさ、ましろ」


 彼女は、わたしの手を、逆に握り返してきた。


()()()()()()()()()()()()()()()()



 それは、本当だった。


 昨日、わたしたちは三百四十七トンを東京に配った。


 一人では、絶対にできなかった。


 二人だから、できた。


 (――()()()()()()()()


 その考えが、わたしの頭に浮かんだのと、千早の頭に浮かんだのは、同時だった。


 いや、同時というより、()()()()に浮かんだ。



「あの人、三十キロ足りないんでしょ」


 千早が言った。


「昨日、三グラムあげたら立てた。じゃあ、三十キロ配れば、治るんじゃないの?」


「――」


「東京中から、ちょっとずつ集めればさ。一人〇・〇〇二グラムでしょ。誰も気づかないじゃん」


 わたしは、答えられなかった。


 できるかもしれない、と思ってしまったからだ。



「無駄よ」


 夜鷹さんが、言った。


「なんでですか」


「配るのと、集めるのは、違うわ」


 彼女は、自分の透けた左手を持ち上げた。


「重さは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私には、もう受け取る場所がない。三グラムが限界だった」


「やってみないと」


「やったでしょう。昨日、その子が」


 夜鷹さんは、わたしを見た。


「三グラムで、止まった。それ以上は入らなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()



「――器が要る、って言いましたよね」


 わたしは言った。


「ええ」


「わたしが、器ですか」


 夜鷹さんは、答えなかった。


 答えないことが、答えだった。



 わたしは、千早を見た。


 千早も、わたしを見た。


 同じ目で、同じものを見ていたのに、()()()()()()()()()()()()()()()()



(――()()


(千早)


(やだって言ってんの)


(二十三日で、千早が死ぬ)


()()()()()


(死ぬ)


(じゃあ二十二日目でやめる!)


(やめられない!)



 わたしは、叫んでいた。


 声に出して。


「やめられないの!」


 千早が、びくりとした。


「一日二キロだよ! 十日で二十キロ減るんだよ! そのとき千早の足は地面につかないよ! 走れないよ! 学校行けないよ! お母さんが、あの家で、()()()()()()()()()()んだよ!」


「――」


「わたし、それ見たの。昨日。夜鷹さんが、椅子にロープで縛られて、浮かないようにしてるとこ見たの」


 わたしの目から、涙が出ていた。


()()()()()()()()()()()



 千早は、黙っていた。


 長い、長い時間。


 朝日が、だんだん高くなっていった。


 ゴミ収集車が、遠くの道を走っていく音がした。


 どこかで、カラスが鳴いた。



「……ましろ」


「うん」


「一個、聞いていい」


「うん」


()()()()()()()()()()



 わたしは、言葉に詰まった。


 どうしたい。


 三年間、誰にも訊かれたことのない質問だった。


 わたしの望みなんて、ずっと、一つしかなかった。


 誰も傷つけないこと。


 でも、それは、望みじゃない。


 ()()だ。



「――生きたい」


 わたしは、言った。


 言ってから、自分でびっくりした。


「生きたいよ。ほんとは。花火も見たいし、卵焼き食べたいし、ひなたにうたってあげたいし、千早と三年生になりたい」


「うん」


「なりたいけど」


 わたしは、千早の手首を、そっと離した。


()()()()()()()()()()()()()()



 千早の顔が、ぐしゃりと歪んだ。


 子どもみたいに。


 それでも、声は出さなかった。


「……ずるいよ、それ」


「ごめん」


「そんなの、わたしが引き止められないやつじゃん」


「……ごめん」


()()()()()()()()()()()()()()



 わたしたちは、しばらく、そうしていた。


 融合したままだと、隠せるものが、何も無かった。


 千早の悔しさも、恐怖も、わたしへの怒りも、全部こっちに流れてきた。


 わたしの安心も、全部あっちへ流れていった。


 ()()()()()()()()()()を、わたしは一生、恥じると思う。



「――ましろ」


「うん」


「離すよ」


「うん」


「わたしが決めた。()()()()()()()()()()()()()


「うん」


「それだけは、間違えないで」


 千早は、わたしの両手を取った。


 そして、額を、こつん、と合わせた。


「わたしが、決めた」


「……うん」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 わたしは、うなずいた。


 そして、目を閉じた。



 離すのは、つなぐより、ずっと簡単だった。


 境目を、思い出すだけでよかった。


 ここからが、わたし。


 ここからが、千早。


 線を、引き直す。



 ――()()()()()()()


 千早の心臓の音が、聞こえなくなった。


 千早の見ている景色が、消えた。


 千早の考えが、こちらへ来なくなった。


 二つあった世界が、一つに戻った。


 狭かった。


 ものすごく、狭かった。



 目を開けると、千早が、目の前に立っていた。


 ただの、他人として。


 手の届く距離に、ちゃんと、離れて。


 それが、こんなにさびしいことだとは、思わなかった。



「……ましろ」


「うん」


「声、聞こえなくなった」


「うん」


「めっちゃさびしいんだけど」


「……うん」


 千早は、自分の手首を見た。


 透けていたところが、朝日のなかで、ゆっくりと、元の色に戻っていくところだった。


「戻ってる」


「戻ってるね」


「二キロは?」


「……たぶん、戻らない」


「まじか」


 千早は、自分のお腹をさすった。


「じゃあ、唐揚げ食べる」


 わたしは、笑った。


 笑いながら、また泣いた。

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