1 夜が明ける
朝の五時十分に、太陽が出た。
東京湾のほうから、ゆっくりと。
わたしたちは、五十階のフロアの端に並んで座って、それを見ていた。
鉄骨は全部、下に降ろしてあった。
クレーンのマストは、空き地の真ん中に横たわっていた。
昨日の夜、ここで三百四十七トンが落ちたなんて、朝の光のなかでは、まるで嘘みたいだった。
*
わたしの右腕は、まだぶら下がっていた。
動く。曲がる。痛みもある。
ただ、そこに重さがなかった。
自分の腕なのに、世界から切り離されたまま、腕だけが、ぽつんと残っていた。
(――治らないかもね)
(千早)
(だってさ、あの鋏、そういうのでしょ)
(……うん)
(別に、死なないし)
千早は、頭のなかで、あっさりそう言った。
わたしは、笑ってしまった。
この子は、いつもそうだ。
取り返しのつかないことを、取り返しのつかないまま、平気で隣に置いておく。
*
「――そろそろ、下りましょう」
夜鷹さんが言った。
彼女は、少し離れたところに立っていた。
立っていた。
三グラムぶんの重さで、ちゃんと床を踏んで。
右腕はもう無くて、左腕も肘から先が透けていた。
髪は、肩に落ちたままだった。
朝日が、その黒い服の輪郭を、白く縁取っていた。
「ここにいると、そのうち誰か来るわ」
「……はい」
「事情を説明できる?」
「無理です」
「でしょうね」
*
仮設階段を、五十階ぶん下りた。
昨日、上るのに四十分かかった道を、下りるのに一時間かかった。
膝が笑って、途中で二回座り込んだ。
三十階の踊り場で、千早が言った。
「ましろ、おんぶする?」
「無理でしょ」
「わたし力あるよ」
「わたし四十六キロだよ」
「軽くすればいいじゃん」
――ああ、そうか。
わたしは、自分の重さを、五キロにした。
千早が、わたしを背負った。
残り二十階、わたしは背中で運ばれた。
一つの体しかないのに、二人で背負ったり背負われたりしているのは、ものすごく変な感じだった。
「これ、意味ある?」
「気分の問題」
「気分かあ」
*
地上に出ると、柏木さんが、仮囲いのところで待っていた。
缶コーヒーを三本、持っていた。
「飲む?」
「いただきます」
「あんたら、ひどい顔してるよ」
「柏木さんも」
「うるさい」
わたしたちは、資材置き場のブロックに座って、缶コーヒーを飲んだ。
朝の五時半に、工事現場で、四人で。
夜鷹さんは、コーヒーを一口飲んで、ものすごく嫌な顔をした。
「……苦い」
「ブラックですから」
「なんでこんなものを飲むの」
「安いからです」
柏木さんが、真顔でそう言った。
*
そのときだった。
わたしは、それに気づいた。
*
千早の重さを、見た。
いつも見ているものだ。
四十九キロ。
三ヶ月前から、ずっとその数字だった。
――四十七キロ。
*
缶が、手から落ちた。
コンクリートの上で、コーヒーがこぼれた。
「ましろ?」
「――」
「どうしたの」
「千早」
わたしは、自分の手を見た。
この手が、ずっと、千早に触れていた。
昨日の夜から、ずっと。
「二キロ、減ってる」




