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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第六章 重さを与える手

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34/50

4 重さを与える手

 わたしは、両手を広げた。


 右腕には、重さがない。


 だから、左手だけが、ちゃんと世界に触れていた。


 それでよかった。


 一本あれば、届く。



 三百四十七トン。


 三十四万七千キログラム。


 三億四千七百万グラム。



 わたしは、それを、()()()()()()



 最初に、この建物に。


 まだ折れていない鉄骨に、一本あたり、数グラムずつ。


 次に、仮囲いに。資材に。眠っている重機に。


 次に、地面に。


 埋立地のアスファルトに、コンクリートに、その下の土に。


 次に、道路に。


 湾岸線の高架に。防音壁に。走っている車の一台ずつに。


 ――()()()()()


 誰も気づかない。ワイパー一往復ぶんの誤差にもならない。



 次に、海に。


 東京湾の、黒い水に。


 水面に浮かんでいたコンテナ船に。


 波に。波の一つ一つに。



 次に、街に。


 コンテナヤードのクレーンに。


 倉庫の屋根に。


 その向こうの、工場の煙突に。


 橋に。線路に。駅に。


 ビルに。ビルの屋上の給水塔に。


 マンションのベランダに干された洗濯物に。



 次に、公園の木に。


 街路樹の葉の、一枚ずつに。


 ()()()()()()()()


 葉に落ちた朝露のほうが、まだ重い。



 次に――



 わたしは、東京を見た。


 千早の目と、わたしの目で。


 地平線まで、明かりが続いていた。


 赤と、白と、オレンジと。


 あの一つ一つの下に、人がいる。


 深夜一時の東京に、起きている人も、眠っている人もいる。


 千四百万人。


 わたしは、その全員に、()()()()()()()



 一人あたり、〇・〇二グラム。


 睫毛一本ぶんにも、たぶん、足りない。


 誰も、気づかなかった。


 気づくはずがなかった。


 眠っている人は、眠ったままだった。


 コンビニのレジを打っている人は、レジを打ったままだった。


 最終電車の座席で寝ている人は、寝たままだった。


 誰一人、何も、失わなかった。


 誰一人、何も、痛まなかった。



 ただ、東京が。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 配りながら、わたしは、見ていた。


 ――()()()()()


 台東区のマンションの、五階のベランダ。


 干しっぱなしのシャツが、〇・〇〇〇三グラム重くなった。


 風に揺れる角度は、一ミリも変わらなかった。


 中野の商店街の、シャッターの前。


 自転車のかごに入った買い物袋が、ほんの少し重くなった。


 持ち主は、まだ帰らない。気づきもしない。


 多摩川の河川敷で、誰かが忘れていったサッカーボール。


 〇・〇〇〇一グラム。


 明日の朝、拾った子どもは、何も思わない。



 (――ましろ)


 千早の声が、頭のなかで震えていた。


 (これ、全部ましろがやってんの?)


 (うん)


 (()()()()()()()()()


 (……分からない)


 分からなかった。


 数えていなかった。


 ただ、「東京」というものの形が、そのとき、はっきりと分かった。


 建物の集まりでも、道路の集まりでもなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。



 (千早)


 (なに)


 (怒られるかな)


 (誰に)


 (全員に)


 千早が、頭のなかで、盛大に噴き出した。


 (()()()()()()()()()()()()()()()()


 (いるかも)


 (いない)


 (いるかも)


 (じゃあ、あとで謝りに行こ。千四百万人に)


 (()()()()()()


 (暇だし)


 わたしたちは、二百三十メートルの空の上で、笑った。


 落ちてくる三百四十七トンの下で。



 夜鷹さんは、言った。


 軽くしたいなら、誰かに背負わせなさい、と。


 地面か、空気か、隣に立っている人間か。とにかく、誰かが持つの、と。


 だから、これは呪いなのよ、と。


 ――()()


 わたしは、そのとき、はっきりと思った。


 背負わせるんじゃない。


 ()()()()



 三百四十七トンが、消えた。



 落ちていたものが、止まった。


 六十二トンのタワークレーンのマストが、二百三十メートルの空中で、ぴたりと静止した。


 剥がれた足場が、止まった。


 鉄骨が。鉄筋が。コンクリートの塊が。


 何百という破片が、落下の途中の形のまま、夜空に留まった。


 風に押されて、ゆっくりと、ばらばらの方向へ漂いはじめた。


 東京の光が、その一つ一つに反射した。


 ――()()()()()()()



 そして、六人が。


 落ちていた警備員たちが、空中で、ふわりと止まった。


 わたしは、その六人を、そっと持ち上げた。


 重さのない体は、驚くほど素直に動いた。


 六人は、両手を広げたまま、フロアのほうへ流れてきた。


 水のなかを泳ぐみたいに。


 そして、五十階の床の上に、順番に、そっと降ろされた。



 最初の一人が、尻もちをついたまま、自分の手を見ていた。


 次の一人が、口を開けたまま、空を見上げていた。


 三人目が、震える声で、何かを言った。


 「……生きてる?」


 誰も答えなかった。



 わたしは、膝をついた。


 息が、上がっていた。


 汗が、顎から落ちた。


 肋骨が痛かった。右腕は、まだぶら下がっていた。


 でも。


 ()()()()()()()()()()()



 わたしは、顔を上げた。


 空に、鉄の星が浮かんでいた。


 その光のなかに。


 黒い服の人が、いた。



 夜鷹さんは、宙に浮いたまま、動かなかった。


 目を、見ひらいていた。


 あの人の、あんな顔を、わたしは初めて見た。


 冷たくもなく、高圧的でもなく、自嘲でもなく。


 ただ、()()()()()という顔だった。


「――()()()()


 彼女は言った。


 声が、かすれていた。


「なにを、したの」


「配りました」


「……配る?」


「東京中に。少しずつ」



「――そんなことが」


 夜鷹さんの唇が、震えた。


「そんなこと、できるわけが」


「できました」


「重さは、分けられないのよ」


「分けてません」


 わたしは言った。


()()()()()()()()()()



 夜鷹さんは、答えなかった。


 答えられなかったのだと思う。


 彼女は、三年前に、この力を切り捨てた。


 忌まわしいものとして。呪いとして。


 人を潰すためだけのものとして。


 三十年近く、この人はこの力と生きてきて、そして。


 ()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()



「……知らなかった」


 夜鷹さんは、言った。


 浮かんだまま。


 鉄の星の海の、真ん中で。


「私は、これを、()()()()()()

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