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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第六章 重さを与える手

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31/50

1 ふたりでひとつ

「――で、どうやんの、これ」


 千早が言った。


 わたしの両手を握ったまま。


「……分からない」


「分からないの!?」


「やったことないもん」


「聞いてないんですけど!」


 地上二百三十メートルの鉄骨の上で、わたしたちは、手を握り合ったまま言い合いをしていた。


 風が、横から吹きつけてくる。


 二十メートル先の梁の上で、鳴海さんが、鋏を構え直すのが見えた。



「じゃあ、あれでしょ」


 千早が、わたしの手を、握り直した。


「根性でしょ」


「根性?」


「根性」


「そんな」


「あのさ、ましろ」


 千早は、わたしの目を、まっすぐに見た。


 赤い航空障害灯が、その顔を、ゆっくり染めていった。


「わたし、九九覚えるのに三ヶ月かかったんだよ」


「……なんの話?」


「頭で分かんなくても、()()()()()()()()()()()って話」


 彼女は、笑った。


 それから、目を閉じた。


「入ってきて」


「え」


()()()()()()()()()



 わたしは、目を閉じた。


 そして、いつも重さを見るときの、あの感覚を探した。


 目の裏側にある、世界の奥行きみたいなもの。


 そこに、千早がいた。


 四十九キロ。


 ――違う。


 四十九キロ()()()()()()()()



 その先に、途方もない量の、何かがあった。


 重さでは測れない何か。


 (――()()()()()()()())


 声にしていないのに、それは伝わった。


 (いいよ)


 (ほんとに)


 (()()()()())


 ――そして、境目が、外れた。



 最初に来たのは、音だった。


 どく、どく、と鳴っている。


 心臓だ。


 わたしのではない。


 速い。ものすごく速い。


 (――()())


 千早は、怖がっていた。


 当たり前だった。二百三十メートルの高さで、鋏を持った男に向き合っている。


 なのに、この子は、一度も逃げると言わなかった。


 (怖いのに)


 (怖いよ。当たり前じゃん)


 (――()()())


 (なんでって)


 千早の考えが、そのまま流れ込んできた。


 言葉ではなかった。


 もっと単純な、形にならないものだった。


 ()()()()()()()()、という形の何かだった。



 そして、わたしのほうも、流れていった。


 三年ぶんが。


 筆箱がへこんだ音。


 階段で引っ込めた手。


 駅のホームの、あの湿った音。


 毎晩ノートに書いた三行。


 運河沿いの倉庫の、埃の匂い。


 白い部屋の夢。


 『それは私のものよ』


 『あなたは、私の一部よ』


 千早の呼吸が、一瞬、止まった。


 (――()()())


 (ごめん)


 (謝んな)


 (でも)


 (()()()()()()()()()())


 千早の感情が、まっすぐに来た。


 怒りだった。


 わたしにではなく、()()()()()()()()()()()()に対する怒りだった。


 そんなふうに怒ってくれる人がいるなんて、わたしは知らなかった。



 そして、わたしは、見てしまった。


 見るつもりはなかった。


 流れ込んできたのだ。


 ――去年の、四月。


 二年生の、最初の週。


 新しい教室。新しい席順。


 千早が、消しゴムを落とした。


 拾ってくれた子がいた。


 その子は、消しゴムを机に置いた。


 ()()()()()()


 ことん、とも言わなかった。


 置いたのではなく、()()()()、という感じだった。


 (……なんだこれ)


 千早は、そのとき、そう思っていた。


 (消しゴム置くだけで、なんでこんな丁寧なの)


 (こわいものでも持ってんの?)


 (()()()()()()()()())



 ――()()()()だった。


 五十回、わたしに近づいてきた理由が。


 同情でも、善意でも、正義感でもなかった。


 ただ、消しゴムの置きかたが、気になったからだった。


 わたしは、笑ってしまった。


 (なんだ、それ)


 (うるさい)


 (そんなことで?)


 (()()()()()()()()()()())



 かわりに、千早のほうへも、流れていった。


 三年前の、夜。


 若葉園に来た、最初の晩。


 自分の名前も、歳も、どこから来たのかも分からない子が、廊下に座っていた。


 その隣で、小さい子が泣いていた。


 名前も知らない子だった。


 その子が泣きやむまで、わたしは――()()()()()()()()()、二時間、歌をうたい続けた。


 自分がもっと、ずっと、わけの分からない状態だったのに。


 (――()()())


 (……なに)


 (()()()()()()()()()?())



 わたしは、答えられなかった。


 その問いを、わたしは、どこかにしまった。


 いまは、それどころではなかった。



 目を開けた。



 ――()()()()()()()()()


 いや、変わってはいなかった。


 変わったのは、見ている側だ。


 二つの目で見ている。


 二つの耳で聞いている。


 右手の指先の感覚が二つあって、風の冷たさが二重に届く。


 わたしは、千早の目からも、夜景を見ていた。


「――うわ」


 声が出た。


 誰の声かは、もう、よく分からなかった。


「なにこれ」


「なに、これ」


 二人の口から、ほとんど同時に、同じ言葉が出た。



 千早が、東京を見ていた。


 ()()()()()()()()


 わたしがずっと見てきたものを、この子が、初めて見ていた。


 ビルの重さ。道路の重さ。橋の重さ。


 湾岸の道を走る車の、一台ずつの重さ。


 黒い海の、途方もない重さ。


 そして、その下で眠っている、何百万人ぶんの重さ。


「……ましろ」


「うん」


「これ、ずっと見てたの?」


「うん」


()()()()()()


 わたしは、息を呑んだ。



 三年間、一度もそう思ったことはなかった。


 重さは、呪いだった。


 潰すものだった。


 見えるたびに、怖かった。


 それを、この子は、四秒で「きれい」と言った。


「――千早」


「なに」


「ありがとう」


「はやい。まだなんもしてない」


 わたしたちは、笑った。


 一つの口で、二つぶん。



 二十メートル先で、鳴海さんが、大鋏を下ろした。


 帽子のつばを、指で持ち上げる。


 その顔には、初めて見る表情が浮かんでいた。


「……おや」


 彼は言った。


 感心とも、警戒ともつかない声だった。


()()()ですか」


「え」


「異なる株を、つなぐ。うちの言葉ではそう言います」


 鳴海さんは、少しだけ、目を細めた。


「まさか、現物を見られるとは思いませんでした」



 彼は、帽子をかぶり直した。


 そして、鋏を構えた。


 両手で。


 さっきまでとは、明らかに違う構えだった。


「湊さん」


「はい」


「さきほどまでのわたくしは、仕事をしておりました」


 風が、強くなった。


「ここからは、()()()()

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