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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第五章 打ち明ける

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6 心を貸して

 五十階は、床だけの世界だった。


 コンクリートが打たれたばかりの、広い平らな面。


 その上に、鉄骨の柱が、森みたいに立っている。


 壁はない。窓もない。


 端まで行けば、そのまま落ちる。


 風が、まっすぐ横から吹いていた。


 地上二百三十メートル。


 東京が、下にあった。



 湾岸の道路の光。羽田へ降りていく飛行機の点滅。レインボーブリッジ。ビル群。その向こうに、スカイツリー。


 ――きれいだな、と思ってしまった。


 こんなときに。



「――ましろ!」


 声がした。


 振り返った。


 フロアの中央あたり。


 鉄骨の柱に、千早が縛られていた。


 赤い浴衣。乱れた髪。片方だけの下駄。


 口には何もされていなかった。だから、叫べた。


「来るなって言おうと思ってたのに! 来ちゃったじゃん!」


「……ごめん」


「あと、その格好なに!?」


「浴衣の裾、挟んでる」


()()()


 千早が、笑った。


 こんな状況で、笑った。


 わたしは、その顔を見て、膝から力が抜けそうになった。



「お待ちしておりました」


 声は、上から降ってきた。


 見上げた。


 フロアの端から、タワークレーンのブームが、夜空へ伸びている。


 その付け根の、鉄骨の梁の上。


 鳴海さんが、立っていた。


 半透明のレインコート。作業帽。首にタオル。


 肩に、一メートル半の大鋏。


 地上二百三十メートルの梁の上で、彼は、ごく普通に立っていた。


「零時まで、あと二十分。余裕をもってお越しくださって、助かります」


「――千早を返して」


「もちろんです」


 鳴海さんは、あっさりうなずいた。


「お返しします。()()()()()()()()



「あの」


「はい」


「一個、訊いていいですか」


 わたしは、彼を見上げた。


「なんで、わざわざ、こんな高いところなんですか」


「ああ」


 鳴海さんは、うれしそうに言った。


「いい質問です」


 彼は、足元の鉄骨を、こつん、と靴のつま先で叩いた。


「ここ、()()()()()()()()()


「……」


「あなたの力は、周りのものを巻き込む。地面の上でやったら、あなたは何も壊せない。人や、車や、建物が近くにありますからね」


 彼は、両手を広げた。


「でもここは、()()()()()()()()()



 わたしは、フロアを見回した。


 積み上げられた鉄骨。


 吊り下げられたままの資材。


 組みかけの足場。


 六十トンのタワークレーン。


 ――そして、その下。


 四十八階に、六人の警備員。


 下の道路に、まばらな車。


 仮囲いの外に、深夜でも人が通る歩道。



「あなたが本気を出せば、この現場は落ちます」


 鳴海さんは、穏やかに言った。


「そして、あなたは本気を出せない。()()()()()


 彼は、大鋏を構えた。


「三年前に取りこぼした株を、今夜、根ごと回収します」


「――()()()



 わたしは、片手を上げた。


 鳴海さんの動きが、止まった。


「はい?」


「三分」


「……は?」


「三分、ください」


 わたしは言った。


()()()()()()()()()()()()



 鳴海さんは、少し首をかしげた。


 それから、腕時計を見た。


「……三分ですね」


 彼は、鋏を下ろした。


「どうぞ。零時までは、こちらの都合ですので」


 ――この人は、こういう人だ。


 律儀で、丁寧で、そして、人を枝だと思っている。


 わたしは、走った。


 千早のところへ。



 ロープは、重さを抜いて、引きちぎった。


 千早が、崩れるように前に倒れてきた。


 わたしは、それを受け止めた。


 ()()()()()


 壊さずに。


「ましろ」


「千早」


「わたし、こういうのって、足手まといってやつだよね」


「違う」


「違わないでしょ」


「違うの」


 わたしは、千早の肩を掴んだ。


 両手で。


 まっすぐに、目を見た。



「千早」


「なに」


「わたし、一人だと、できない」


 風が、フロアを吹き抜けた。


 鉄骨が、低く鳴った。


「あの人たちを助けようと思ったら、たぶん、鉄骨が落ちる。クレーンも倒れる。下に警備員さんが六人いる。道路にも人がいる」


「うん」


「重さは、消えないの。どこかへ行くの。()()()()()()


「うん」


「わたし一人で全部持ったら」


 わたしは、自分の胸を押さえた。


 三週間前、二十四トンを入れたときの感触が、まだ残っていた。


 肋骨が軋んだ音。肺が縮んだ感じ。目の裏が白くなったこと。


「――()()()()()()()()



 千早は、わたしの手を見ていた。


 肩を掴んだ、わたしの手を。


「土手で、言ったよね」


 わたしは言った。


 声が震えていた。


「半分持つって。二人で持てばいいって」


「言った」


「あれ、本気?」


「本気」


「無理かもしれない。やったことない。()()()()()()()()


「うん」


「それでも」


 わたしは、息を吸った。


 三年間、ずっと、誰にも何も頼まずに生きてきた。


 頼んだら、相手を巻き込むから。


 巻き込んだら、壊すから。


 ――でも、あの人は、頼みかたを知らなかった。


 命令しかできなかった。


 だから、わたしは。



()()()()()()()()()


 わたしは、言った。


「私ひとりだと、全部潰してしまうから」



 風が鳴っていた。


 赤い航空障害灯が、二人の顔を、交互に染めていた。


 千早は、わたしを見ていた。


 まばたきを、二回した。


 それから。


 ()()、と笑った。


「ましろ」


「うん」


()()()()()()()()()


 彼女は、わたしの両手の上に、自分の手を重ねた。


「三年待ったんだけど」


「……三ヶ月しか知り合ってない」


「うるさい。体感三年」



 鳴海さんの声が、届いた。


「――三分、経ちました」


 わたしは、千早の手を、握り返した。


 千早も、握り返してきた。


 強く。


 痛いくらいに。


 その手は、四十九キロぶんの重さを、ちゃんと持っていた。

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