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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第五章 打ち明ける

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27/50

3 それでも

 土手の上は、人でいっぱいだった。


 河川敷に屋台が並んで、たこ焼きとソースと発電機の油のにおいが混ざっていた。子どもがラムネの瓶を振り回していて、どこかの中学生が大声で笑っていた。


 千早は、慣れた足取りで人混みを抜けて、桜並木のいちばん端まで歩いた。


 そこだけ、人がまばらだった。


「ここ、毎年空いてんの。木で半分見えないから」


 千早は、レジャーシートを広げた。


 半分しか見えないなら、なぜここなんだろう、と思った。


 訊かなかった。


 たぶん、()()()()()()()()だ。



 七時二十分。


 花火まで、あと十分だった。


 空が、まだ薄く青い。


「で?」


 千早が、あぐらをかいて――浴衣なのにあぐらをかいて――こちらを向いた。


「話。聞くよ」


「……うん」


 わたしは、膝をそろえて座り直した。


 喉が、からからだった。


 何度も頭のなかで練習した。


 三日かけて練習した。


 それなのに、一文字も出てこなかった。



「ましろ」


「……ごめん」


「なんで謝んの」


「言葉が」


「じゃあ、順番めちゃくちゃでいいよ」


 千早は、河川敷のほうを見ていた。


「わたし、頭よくないから、どうせ順番どおり聞いても分かんないし」


 わたしは、うなずいた。


 そして、下のほうから、小さい石を一つ拾った。


 土手の斜面に転がっていた、白っぽい石だ。


 四十グラム。


「千早」


「なに」


()()()()()



 わたしは、手のひらに石を乗せた。


 そして、重さを、抜いた。


 石が、浮いた。


 手のひらから、五センチ。


 ゆっくりと。


 夕方の風のなかで、静止した。


 千早が、固まった。


 ラムネの瓶を持った子どもが、後ろを走っていった。


 どこかで発電機が唸っていた。


 千早は、五秒くらい、微動だにしなかった。


「…………え」


「うん」


「え?」


「うん」


「えっ!?」


「……うん」


「ちょ、待って、え、なにこれ、糸? 糸ある?」


 千早は、石のまわりを手でめちゃくちゃにかき回した。


 石は、その手をすり抜けて、静かに浮いていた。


「ない!」


「ないね」


「ないじゃん!」



 わたしは、石を手のひらに戻した。


 ことり、と音がした。


 千早は、口を半分開けたまま、わたしを見ていた。


 わたしは、話しはじめた。



 三年前、埠頭で見つかったこと。


 記憶がないこと。


 名前が、家庭裁判所で作られたものだということ。


 周りのものの重さが、色みたいに見えること。


 感情が昂ると、それが狂うこと。


 筆箱が潰れたこと。


 階段で転んだ一年生に、手を伸ばして、途中でやめたこと。


 二年前、駅のホームで、男の人の両腕を折ったこと。


 その人が、いまも箸を持てないこと。


 六月の雨の夜に、鋏を持った男に襲われたこと。


 黒い服の女が現れたこと。


 毎朝五時から、卵を浮かせる練習をしていたこと。


 その女が、自分の力を切り出させた魔女だということ。


 切り出された力が、逃げて、少女の形になったこと。


 それが、わたしだということ。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 途中、千早は二回だけ口をはさんだ。


 一回目は、田辺さんの話をしたときだった。


「その人、いま、どうしてんの」


「団地に住んでます。……住んでる」


「会ったの?」


「見に行った。先週」


「話した?」


「できなかった」


 千早は、うなずいた。


 そして、こう言った。


()()()()()()()


 わたしは、それに、うまく答えられなかった。



 二回目は、夜鷹さんの話をしたときだった。


「その人さ」


「うん」


「ましろに、なんて言ったの。最初」


「……ずいぶん下手に使うのね、って」


「うわ、感じ悪」


「うん」


「で?」


「それは私のものよ、って」


 千早は、鼻の頭にしわを寄せた。


「最っ低じゃん」


 わたしは、思わず笑いそうになった。


 この子は、三年ぶんの秘密を聞かされている最中に、他人の言葉づかいに怒っていた。


「でもね」


 わたしは言った。


「その人、一年前からずっと、わたしのこと見てたんだって」


「見てた?」


「見てただけ。手も出さないで、一年」


「……なにそれ」


 千早は、少し黙った。


 花火が、二発上がった。


「それ、()()()()()()()()()()()


 わたしは、答えられなかった。


 答えられなかったのが、答えだった。



 全部、話した。


 二十分くらいかかった。


 途中で花火が始まった。


 どん、と腹に響く音がして、空に大きな菊が開いた。


 千早は、一度も、花火を見なかった。


 ずっと、わたしの顔を見ていた。



 話し終わって、わたしは、膝の上で手を握った。


 汗で、手のひらがぬるぬるしていた。


「……以上」


 千早は、黙っていた。


 二発、三発と、花火が上がった。


 赤。青。金。


 その光が、千早の顔を、代わるがわる照らした。


「――千早」


 わたしは言った。


「怖がっていいよ」


「……」


()()()()()()



 わたしは、うつむいた。


 言ってしまえば、少し楽になるかと思っていた。


 全然、楽にならなかった。


 むしろ、心臓が、めちゃくちゃに痛かった。


「ずっと、隠しててごめん。嘘ついてごめん。この前、ひどいこと言ってごめん」


「うん」


「千早は、悪くない。全部わたしが」


「ましろ」


「うん」


()()()()



 顔を上げた。


 千早は、怒っていた。


 わたしが想像していたのとは、まったく違う怒りかたで。


「ちょっと黙って。いま整理してるから」


「……はい」


「一個ずつ聞くからね」


「はい」


 千早は、指を一本立てた。


「一。ましろは、ものを潰せる」


「潰せる」


「二。ましろは、三年前の記憶がない」


「ない」


「三。ましろは、自分のこと、人間じゃないと思ってる」


「――思ってる」


「四」


 千早は、四本目の指を立てた。


 そして、そこで止まった。


 しばらく、その手を見ていた。



「四。()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 わたしは、目をまばたいた。


「……え?」


「七月の。うちのおかんの卵焼き。濃くないよ、おいしかったよって言った」


「言った、けど」


「あれ、嘘?」


「嘘じゃない」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 千早は、うなずいた。


「じゃあ、いい」


「……え?」


()()()()()()



 花火が上がった。


 いちばん大きいやつが、頭の上で開いた。


 千早の顔が、真っ白に照らされた。


 彼女は、笑っていた。


「あのさ、ましろ」


「うん」


「わたし、ましろの中身がどっから来たのか、正直どうでもいいんだよね」


「……そんな」


「だってさ、わたしの中身だって、どっから来たか分かんないもん」


 千早は、河川敷のほうを指した。


「お母さんの癖と、おばあちゃんの口癖と、小学校んときの担任のパクリと、あと漫画」


「……」


「ぜんぶお下がりだよ。()()()()()()()()()()()()()()



 わたしは、何も言えなかった。


 千早は、レジャーシートの上で膝を抱えた。


「でもさ、一個だけ、ちがうことがある」


「なに」


「お下がりでも、()()()()()()()()()()()()()()


 どん、と花火が鳴った。


「その歌、施設の子にうたってあげたんでしょ」


「……うたった」


「卵焼きの感想、わたしに言ったでしょ」


「言った」


「その人の袋、拾ってあげたんでしょ」


「……うん」


()()()()()()()()()()



 わたしの目から、涙が出た。


 止めようとしたけど、止まらなかった。


 浴衣の膝に、点が落ちた。


「ちょ、泣かないでよ。化粧してないけど、髪くずれるから」


「……くずれない」


「くずれる。わたしが二十分かけたんだから」


 千早は、袖でわたしの顔を拭こうとして、「あ、これおかんのだ」と言って、やめた。


 かわりに、手のひらで拭いた。


 触れた。


 ()()()()()


 わたしは、反射的に身をすくめた。


「あ、ごめん」


「……ううん」


「潰れる?」


「潰れない。たぶん」


「たぶんかあ」


 千早は、けらけら笑った。


「じゃあ、たぶんで」



「ましろ」


「うん」


 千早は、まっすぐにわたしを見た。


 花火の光が、その目に映っていた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 わたしは、そこで、こらえるのをやめた。


 声を出して泣いた。


 みっともなく、しゃくりあげて、鼻をすすって。


 周りに人がいたかどうかも、覚えていない。


 千早は、何も言わずに、隣に座っていた。


 背中をさすったりもしなかった。


 ただ、隣に座っていた。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 花火が、続いていた。


 少し落ち着いてから、わたしは言った。


「あの人、あと二週間くらいで死ぬ」


「魔女の人?」


「うん」


「ましろが戻れば、助かるんでしょ」


「……うん」


「で、ましろは無くなる」


「うん」


 千早は、しばらく黙った。


 それから、こう言った。


「重いね、それ」


「重い」


「じゃあ」


 彼女は、あっさりと言った。


()()()()()



 わたしは、千早を見た。


「……無理だよ」


「なんで」


「分けられないの。重さって。()()()()()()()()()()()()()()()って、あの人が」


「ふーん」


 千早は、鼻を鳴らした。


 そして、レジャーシートの端を引っぱって、わたしのほうへ寄せた。


「じゃあ、分けなくていいじゃん」


「え」


()()()()()()



 その言葉を、わたしは聞いた。


 聞いて、でも、そのときは、うまく意味が飲み込めなかった。


 重さは分けられない。


 最後は誰か一人が持つ。


 世界は、そういうふうにできている。


 夜鷹さんは、そう言った。


 この子は、それを知らない。


 知らないから、そんなことが言える。


 ――そう、思った。


 そのときは。



「あ、そうだ」


 千早が、急に立ち上がった。


「りんご飴。買ってくる」


「え、今?」


「泣いたら喉乾くでしょ」


「それ、りんご飴じゃ」


「じゃあラムネも買う」


 千早は下駄を鳴らして、人混みのほうへ走っていった。


 紺色と赤の浴衣が、屋台の明かりのなかに紛れていく。


 わたしは、その背中を見送った。


 それが、わたしが()()()()()()()()()()()()()()になった。

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