↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第五章 打ち明ける

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/50

1 八月二日

 八月二日は、ばかみたいに晴れた。


 朝から蝉が鳴いていて、廊下のリノリウムが素足に熱かった。


 若葉園の玄関に、誰かが風鈴を吊るしていた。ひなただ。去年の夏祭りでもらったやつを、毎年この時期に出してくる。


 わたしは、九時に起きた。


 昨日の夜は、一睡もしていなかった。



「ましろねえ」


 台所で麦茶を飲んでいたら、ひなたが足元にくっついてきた。


「なに」


「きょう、はなびでしょ」


「……なんで知ってるの」


「さえきさんが言ってた。ましろねえ、おめかしして出かけるって」


 佐伯さんめ、と思った。


 わたしは、コップを流しに置いた。


 置いた手が、少し震えていた。



 行かない、と決めていた。


 三日前の夜明けに、土手の上で、そう決めた。


 こんな中身で、あの子の隣に立てるわけがない。


 浴衣を着せてもらって、髪を結ってもらって、何食わぬ顔で花火を見る。


 それはもう、嘘だ。


 嘘をつくのはやめて、と、千早は言った。


 だから、行かない。


 ――そう、決めたはずだった。



「ましろねえ」


 ひなたが、わたしの浴衣の袖を――いや、Tシャツの裾を引っぱった。


「なに」


「うた」


「え」


「うた、うたって」


 わたしは、その場で固まった。



 二週間、うたえなかった。


 喉の途中に、透明な蓋がしてあった。


 あの歌は、わたしのものじゃない。


 借り物だ。お下がりだ。


 わたしがうたうのは、誰かの真似をしているだけだ。


 そう思った瞬間、いつも喉が閉じた。


 ――でも。


 わたしは、しゃがんだ。


 ひなたと、目の高さを合わせた。


 この子の涙は、三年間、わたしが受け取ってきた。


 誰のものであっても。


 持ち主が誰であっても。


 ()()()()()()()()()()()()()



「……うたうね」


「うん」


 わたしは、息を吸った。


 そして、うたった。


 ゆっくりした、三拍子の、短い旋律。


 最後だけ、ふしぎな下がりかたをする歌。


 ――出た。


 声が、ちゃんと出た。


 かすれていた。ひどく下手だった。


 でも、出た。


 ひなたは、床にぺたんと座って、満足そうに聞いていた。


 台所の入り口で、佐伯さんが立ち止まって、こっちを見ていた。


 何も言わなかった。


 ただ、ふきんで手を拭きながら、そのまま行ってしまった。



 三回くりかえしたところで、わたしは、うたうのをやめた。


 ひなたが「まだ」と言った。


「ごめん」


 わたしは立ち上がった。


「ごめん、ひなた。ちょっと、行かなきゃ」


「どこ?」


「――友達のとこ」


 自分の口から出た言葉に、自分でびっくりした。


 友達。


 わたしに、そんなものを名乗る資格があるのか。


 でも、あるかないかを決めるのは、たぶん、わたしじゃない。


 ()()()()()()()()()


 だったら、決めてもらいに行かなければならない。



 部屋に戻って、押し入れを開けた。


 黄色いビニール傘を取り出した。


 骨が一本、折れたままの傘。


 それから、机の上に置きっぱなしだった、缶を一つ。


 冷たいカフェオレ。


 七月十八日に、校門で押しつけられたやつだ。


 開けられなかった。飲んだら、無くなってしまう気がして。


 二週間、ぬるくなったまま、机の上にあった。


 わたしは、その二つを、鞄に入れた。



 玄関で靴を履いていたら、佐伯さんが来た。


 洗濯かごを抱えたまま、こちらを見下ろしている。


「ましろちゃん」


「はい」


「浴衣、向こうで着せてもらうんでしょ」


「……はい」


「そう」


 佐伯さんは、それだけ言って、行こうとした。


 行きかけて、止まった。


「あんたさ」


「はい」


「最近、なんかあるでしょ」


 わたしは、靴紐を結ぶ手を止めた。


「……ないです」


「あるわよ」


 佐伯さんは、笑っていなかった。


「あたしね、この仕事二十八年やってるの。子どもが嘘つくときの顔なんて、何千回も見てんのよ」


「――」


「言いたくないなら、いい」


 彼女は、洗濯かごを持ち直した。


「でも一個だけ。()()()()()()()


 わたしは、うつむいたまま、うなずいた。


 うなずくだけなら、嘘にはならないと思った。


 ――ずるい子だ、と自分で思った。



 そして、家を出た。



 坂を下りながら、わたしは、一度だけ振り返った。


 風鈴が鳴っていた。


 ――()()()()()()()()()()


 今日、全部話す。


 怖がられてもいい。


 逃げられてもいい。


 それでも、あの子には、本当のことを知る権利がある。


 わたしは、歩き出した。


 まだ、午後二時だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。