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東京グラヴィティ  作者: parupuntist
第三章 切り出されたもの

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15/50

3 四十六キロの少女

 雨のなかに、放り出された。


 正確には、夜鷹さんがわたしの襟を掴んで、屋根のなくなった車から引きずり出した。


 三秒後、セダンは非常駐車帯の壁に激突して、ひしゃげた。


 わたしたちは、首都高の路肩に立っていた。


 地上二十メートル。


 高架の上。


 眼下には、黒い東京湾。


 雨が、真横から吹きつけてきた。



 車が停まる。


 ドアが開く。


 作業服の男女が、次々と降りてきた。


 六人。


 それぞれの手に、黒い刃。


 そして、その後ろから。


「――お待たせしました」


 聞き覚えのある、のんびりした声がした。


 前方に停まっていた大型トレーラーの、コンテナの上。


 ()()()()()()()()()()


 半透明のレインコートを着て、作業帽をかぶって、あの一メートル半の大鋏を肩に担いで。


「湊さん。お元気そうで」


「――」


「二週間ぶりですね。ずいぶん顔つきが変わりましたよ。いい枝ぶりです」


 彼は帽子を取って、律儀に一礼した。


 その動作だけが、この雨と鉄と血のにおいのなかで、ひどく場違いだった。



 夜鷹さんが、一歩前に出た。


 わたしを、背中に隠すようにして。


「伝言は届いたはずよ」


「届きました。()()()()()()()()、と」


 鳴海さんはうなずいた。


「ですので、本日は、値をつけに参りました」


「意味が分からないわね」


「簡単な話ですよ」


 彼は、コンテナの上から、こちらを見下ろした。


「三年前、うちは()()()()()()()()()。しくじった仕事を、三年も放置している。それは、うちの看板に傷がつくんです」


「――」


「ですから、これはもう、金の話じゃない。()()の話です」



 夜鷹さんが、手を上げた。


 わたしには、それが見えた。


 彼女のまわりの空気が、()()


 六人の刺客のうち、三人が、いきなり片膝をついた。


 肩に、見えない重さが乗ったのだ。


「ぐ、」


「っ、重――」


 一人が、そのまま路面に伏せた。


 アスファルトが、その周りで、蜘蛛の巣みたいにひび割れた。


 すごい、と思った。


 同時に、()()()()、と思った。


 二週間前なら、六人ともまとめて潰していたはずだ。


「夜鷹さん」


「黙って」


 彼女の右手が、震えていた。


 そして、その指先が。


 ()()()()()


 雨粒が、その指を()()()()()落ちていった。



「ああ、やっぱり」


 鳴海さんの声が、ほんの少しだけ、変わった。


 同情、みたいなものが混ざっていた。


「そちらのかた、()()()()()()()()()()()()


「――」


「三年もつなら上等だと、上は言っていましたが。……ご無理をされたんでしょう」


 彼は、大鋏を構え直した。


「お気の毒です。本当に」


 そして、言った。


()()()()()()()()()()()



 そこから先は、めちゃくちゃだった。


 刺客たちが散った。


 夜鷹さんが二人を路面に叩き伏せる。わたしは荷札をよけながら、金属の破片を軽くしては投げ、投げては戻す。


 鳴海さんが跳んだ。


 コンテナの上から、二十メートルを、一歩で。


 大鋏が振り下ろされる。


 夜鷹さんがそれを()()()()


 刃の軌道の重さを捻じ曲げて、アスファルトへ叩き落とす。


 刃が路面に食い込んで、そこから半径三メートルの舗装が、()()()()()()


「ちっ」


「まだ動けますか。大したものだ」


「――黙りなさい」



 わたしの周りにも、二人来ていた。


 男と、女。


 どちらも荷札を掴んでいる。


「湊さん、じっとしててください。すぐ済みますから」


 札が、ばらまかれた。


 視界に、白い穴がいくつも空く。


 足元が消える。右手が消える。背中が消える。


(見えない)


(また、見えない)


 ――でも。


 わたしは、()()()()()



 二週間、毎朝五時から、卵を浮かせていた。


 卵は、見なくても浮かせられた。


 手のひらの上の十七グラムは、目をつぶっても、そこにあった。


(重さが見えないなら)


()()()()()()()()()使()()()()())


 わたしは、足の裏に意識を集めた。


 四十六キロ。


 ()()()()()


 これだけは、荷札にも消せない。


 なぜなら、それは、わたしそのものだから。



 右から刃が来た。


 風の動きで分かった。


 わたしは、自分の四十六キロを、()()()()()()()()


 受け渡し。


 右半身が、羽根みたいに軽くなる。


 体が、ふわ、と傾いだ。


 刃が、空を切った。


「な――」


 戻す。


 左足の四十六キロを、両足へ。


 そして、そのまま、()()()()()


 わたしの手が、男の作業服の胸を掴んだ。


(壊さない)


()()()()()()())


 わたしは、男の重さを抜いた。


 六十二キロが、三キロになった。


 そして、放り投げた。


 三キロの人間は、驚くほど簡単に飛んだ。


 高架の防音壁にぶつかる直前で、わたしは重さを戻した。


 ――いや、()()()()()()()()()、少しだけ残して。


 男は、どさりと落ちて、それきり動かなかった。


「い、いま、何した」


 もう一人が、後ずさった。


 わたしは、自分の手を見た。


 震えていなかった。


「……骨、折れてないと思います」


 わたしは、その人に言った。


「たぶん」


「たぶんって!」


「たぶん、です」


 女の人は、荷札を放り出して、逃げていった。



 そのときだった。


 わたしの視界の端で、何かが崩れた。


 大型トレーラーだ。


 刺客の一人が、逃げ場をなくしてトレーラーの運転席に飛び乗り、そのまま暴走させたのだ。


 雨に濡れた路面。急ハンドル。


 四十フィートのコンテナを積んだ車体が、ゆっくりと、傾いだ。


「あ」


 倒れる。


 高架の上で。


 そして、その進行方向には。


 ()()()()()()


 渋滞に巻き込まれて逃げ遅れた、ただの車だった。


 一台は軽自動車で、後部座席にチャイルドシートが見えた。



 コンテナが落ちてくる。


 わたしは、重さを見ていた。


 ()()()()()


 夜鷹さんを見た。


 彼女は、鳴海さんの刃を受け止めるので、手いっぱいだった。


 顔が真っ白だった。


 呼べば、たぶん、来てくれる。


 来てくれて、そして、()()()()()()()()()



(――わたしが、やる)


 わたしは走った。


 走らないこと。


 そんなルールは、もう、とっくに捨てていた。


 コンテナの下に滑り込んで、両手を上に伸ばした。


「――()


 触れた。


 二十四トン。


 軽く、しなければ。


 でも、重さは消えない。


 消えないなら、どこかへ行く。


 どこへ?


 地面? 割れる。


 海? 遠い。


 ()()?() 支えられない。


 ――考えている時間は、なかった。


 だから、わたしは、()()()()()()



 その瞬間のことを、どう言えばいいのか分からない。


 痛みではなかった。


 ()()()()()()()()()という言葉があるけれど、あれは比喩じゃなかった。


 四十六キロのわたしのなかに、二十四トンが入ってきた。


 膝が砕ける音がした。いや、しなかった。砕ける寸前で止まった。


 肋骨が、内側から軋んだ。


 肺が縮んだ。息が吸えない。


 目の裏が、真っ白になった。


 耳が、聞こえなくなった。


 それでも、()()()()()()()()()()


 わたしの頭の上、三十センチのところで、二十四トンの鉄の箱が、ふわりと。


 軽自動車が、その下を、通り抜けていく。


 クラクションを鳴らしながら。


 何が起きたのかも分からないまま。


(――よかった)


 そう思った瞬間、わたしの膝が、折れた。



()()()鹿()!()


 怒鳴られた。


 こんなふうに怒鳴られたのは、初めてだった。


 夜鷹さんが、わたしの肩を掴んでいた。


 そして、わたしの体から、二十四トンを()()()()()()


 腕を引き抜くみたいに、乱暴に。


「が、は」


 わたしの肺に、空気が戻ってきた。


 咳が止まらなかった。口のなかが、鉄の味でいっぱいだった。


 夜鷹さんは、片手を高架の外へ向けた。


 コンテナが、雨のなかを、ゆっくりと横へ流れていった。


 高架の手すりを越えて。


 そして、()()()


 十数秒あとに、東京湾から、どん、と腹に響く音がした。



「一人で持とうとするな、と」


 夜鷹さんの声が、震えていた。


「言ったでしょう。重さは、誰かが持つと」


「……誰も、いなかったから」


「私がいたわ」


「――夜鷹さんは、もう、」


 わたしは、彼女の右手を見た。


 指の第二関節から先が、()()()()


 透けているのではない。


 雨のなかで、そこだけ、()()()()()()()()()()()()()()


「……ああ」


 夜鷹さんは、その手を見て、つまらなそうに言った。


「思ったより、早いわね」



 刺客たちは、撤退していた。


 いつのまにか。


 鳴海さんの姿も、なかった。


 後には、ひしゃげた車と、ひび割れたアスファルトと、路上に散らばった何千枚もの荷札だけが残っていた。


 雨に濡れた白い紙が、ゆっくりと文字を滲ませながら、風に吹かれていた。


 そして、横転したワンボックスの、運転席。


 そこに、一人、残っていた。

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