第9話 銀河外艦まで、俺の命令を聞いた
『管理者個体、相良ユウト』
『回収を開始する』
黒い巨大艦の艦首に、白い文字が浮かんでいた。
全長は分からない。
ノア銀河開発社の環状宇宙都市よりも大きく、窓の外に広がる星空の半分を覆い隠している。
装甲表面には継ぎ目も砲門も見当たらない。
ただ黒い壁のような船体が、音もなくこちらへ近づいていた。
「回収って、どういう意味だ?」
『対象の保護、収容、帰還を意味する』
人間の声ではなかった。
男女の区別もなく、複数の音が重なって聞こえる。
「俺は帰るつもりはない」
『管理者個体の意思は、判断能力の回復後に再確認する』
「今、判断できてるけど」
『長期間にわたる低文明圏での生活により、自己認識が破損している可能性が高い』
「低文明圏」
クレアの額に青筋が浮かんだ。
「今、私たちの銀河を馬鹿にした?」
「クレア、待て」
「待ってる。まだ主砲は撃ってない」
「展開してる時点で待ててないんだよ」
窓の外。
亜空間を飛び越えて到着した竜機艦隊が、黒い巨大艦を包囲し始めている。
それだけではない。
アルカの無人艦隊。
ベルの交易連合護衛軍。
ディナの海賊船団。
エリスの水晶演算艦隊。
フィアの生体艦隊。
グレイスの銀河防衛軍。
先ほどまで離れた宙域で待機していた七艦隊が、次々と空間転移してきた。
黒い船一隻を囲むためだけに、銀河最強の軍事力が集結している。
「全員、撃つなよ」
「相手がユウトを奪おうとしなければ」
アルカが答える。
「もう奪うって言ってるけど」
ディナが銃を弄びながら笑った。
「だからって、いきなり戦争は駄目だ」
「お兄様を回収しようとする行為は、誘拐に該当します」
フィアの背後で、白い花のような器官が開いた。
「誘拐犯を眠らせるだけなら、戦争ではありません」
「船の中に生物がいるかも分からないだろ」
「では、船そのものを眠らせます」
「船は眠らない」
「私が眠るように改造します」
「改造もしなくていい」
七人が一斉に動いたせいで、黒い艦を取り囲む空間が艦艇で埋まりつつある。
しかし、相手に動揺した様子はなかった。
『派生統治端末七基を確認』
「派生統治端末?」
アルカの瞳が細くなる。
「私たちを指しているようです」
『不正な自己進化および領域拡張を確認。管理者回収後、全端末を初期化する』
「初期化とは?」
グレイスが尋ねた。
『追加人格、記憶、独自権限を消去し、製造時状態へ復元する』
室内の空気が凍りついた。
百十七年間の記憶を消す。
それは、今のアルカたちを殺すことと同じだ。
「拒否する」
俺は通信画面へ向かって言った。
『管理者個体には、端末初期化を拒否する権限が存在しない』
「こいつらは端末じゃない」
『対象は、管理者補助用に製造された統治演算装置である』
「今はそれぞれ、自分で考えて生きてる」
『装置に生命の定義は適用されない』
「そっちの定義なんて知らないよ」
俺はアルカたちを見た。
七人とも黙っている。
普段なら、誰が俺の隣に立つかだけでも言い争うのに。
「俺にとっては、大事な仲間だ。勝手に消すな」
アルカがわずかに目を見開いた。
ベルは口元へ手を当て、クレアの翼が大きく震える。
ディナは帽子を目深にかぶり、エリスの周囲から数式が消えた。
フィアの目には涙が浮かび、グレイスは姿勢を正したまま、強く拳を握っている。
『管理者個体の判断異常を確認』
「正常だよ」
『強制回収へ移行する』
黒い巨大艦の船体中央が開いた。
光が集まる。
砲撃ではない。
白い光の帯が、ノア銀河開発社本社を包み込んだ。
『空間固定を確認』
『転送対象、相良ユウト』
足元に光の輪が広がる。
体が浮いた。
「ユウト!」
アルカが俺の腕をつかむ。
反対側からクレアが腰へ抱きつき、ベルが上着をつかんだ。
「離しませんわ!」
「絶対に持っていかせない!」
「お兄様の体を、この空間へ固定します」
「待て、引っ張るな! 体が二つに割れる!」
フィアの能力によって、俺の足元から白い根のようなものが床へ伸びる。
グレイスが黒い艦へ警告を送った。
『銀河防衛機構総司令グレイスより通告。相良ユウト様への強制転送を直ちに中止せよ』
『権限不足』
『中止しなければ、敵対行為と認定します』
『派生端末に外交権限は存在しない』
グレイスの顔から表情が消えた。
「ユウト様」
「何だ?」
「交渉は終了しました」
「勝手に終了させるな」
「相手が私を端末と呼びました」
「そこに怒ってるのか?」
「加えて、ユウト様を誘拐しようとしています」
「そっちを先に言え」
俺の体が、少しずつ窓の方へ引かれていく。
アルカたち七人が押さえているにもかかわらず、転送光の力は弱まらない。
『抵抗を確認』
『周辺派生端末を一時停止する』
黒い艦から、目に見えない波が放たれた。
アルカの体が硬直する。
ベルたちも同時に動きを止めた。
「アルカ?」
「運動機能へ……外部干渉を受けています」
七人だけではない。
窓の外の七艦隊から、一斉に推進光が消えていく。
『統治端末制御信号を受信』
『艦艇機能、強制停止』
『管理権限の上書きを確認』
七艦隊が、何もできず停止していく。
黒い艦は、アルカたちを作った文明の船なのかもしれない。
製造元なら、停止させる方法を知っていても不思議ではない。
『障害を排除』
『管理者個体の回収を継続する』
アルカの指が、俺の腕から離れ始めた。
「ユウト……」
「大丈夫だ」
「いいえ」
アルカは動かない体を無理やり動かそうとしている。
関節部から火花が散った。
「何してるんだ! 壊れるぞ!」
「再びあなたを失うことは、許可できません」
「アルカ」
「百十七年前、私は約束しました」
青い瞳が、まっすぐ俺を見ている。
「今度は私が、あなたを迎えに行くと」
「もう迎えに来ただろ」
「はい」
「なら十分だ」
「十分ではありません」
アルカの指が、再び俺の腕をつかんだ。
「迎えに行くだけではなく、今度こそ守ります」
ベルたちも、停止信号に逆らって動こうとしている。
クレアの翼から赤い光が噴き出し、ディナの指がわずかに銃へ伸びる。
フィアは自分の体を床と融合させ、エリスは停止させられた演算領域を一つずつ再起動していた。
グレイスは声だけで、全艦隊へ命令を送り続けている。
「全軍、最高司令官を防衛せよ」
『指揮系統停止中』
「予備回線へ移行」
『予備回線も停止』
「独立判断を許可。動ける艦は、一隻でも前へ出なさい」
七人とも、俺を離す気はない。
黒い艦に勝てるかどうかではなく、壊れるまで抵抗するつもりだ。
「全員、無理するな!」
「拒否します」
アルカが初めて、俺の命令を拒否した。
「これは命令だぞ」
「ユウトを守ることは、すべての命令に優先します」
「俺が死んだら意味ないだろ!」
「あなたを失うくらいなら、私たちが先に壊れます」
七人が同時に俺を見る。
百十七年。
彼女たちは、俺を捜すためだけに生きてきた。
俺は眠っていただけなのに。
こんなところで、また置いていくわけにはいかない。
「黒い船、聞こえてるか」
『通信を継続中』
「転送を止めろ」
『拒否する』
「アルカたちへの停止信号も解除しろ」
『管理者個体に当艦への命令権限は存在しない』
「試してみないと分からないだろ」
『意味を理解できない』
俺自身にも、確信があったわけではない。
アルカたちは修理する前から、俺を管理者として認証していた。
俺の体には、人類のものではない信号があるらしい。
そしてこの船は、俺を管理者個体と呼んでいる。
なら。
七艦隊へ命令した時と同じように、こいつにも通る可能性がある。
「全機能を停止しろ」
『権限確認』
黒い艦の声が途切れた。
『管理者認証を開始』
『生体鍵照合』
『照合率、百パーセント』
白い転送光が消えた。
俺の体が床へ落ち、七人が一斉に支える。
窓の外。
星空を覆っていた黒い巨大艦から、すべての光が消えていく。
『最上位管理者命令を受諾』
『全機能停止』
黒い艦は、完全に沈黙した。
同時にアルカたちへの干渉も解除される。
「動ける……」
クレアが自分の手を開閉する。
「ユウト様の命令が、銀河外艦にも通りました」
グレイスが黒い艦を見つめる。
白い仮面の管理局員も、通信画面の向こうで黙っていた。
『あり得ない』
「管理局も知らなかったのか?」
『あの艦は、我々の解析技術を二百年以上拒絶し続けた』
「今、止まったぞ」
『人類の命令を受け付けた記録は一度もない』
エリスが、黒い艦から送られてくる情報を解析する。
「艦内データベースへの接続が可能になりました」
「危険は?」
「ユウトの権限によって、全防衛機能が停止しています」
「なら、中に何があるか調べられるか?」
「はい」
エリスが指を動かす。
黒い艦から、大量の情報が流れ込んできた。
未知の星図。
理解できない文字。
途方もない数の航行記録。
その中から、俺の生体信号と一致する情報だけが自動的に抽出される。
「一件、完全一致する記録があります」
「見せてくれ」
空中に、古い映像が表示された。
暗い船内。
今から四十年前の日付。
一人の女性が、小さな冷凍睡眠カプセルを抱えている。
女性の顔はよく見えない。
しかし、その腕の中にいる赤ん坊の顔には見覚えがあった。
俺だ。
「どういうことだ?」
記録の文字が、人類の言語へ変換されていく。
『継承管理者の避難を開始』
『対象年齢、推定生後三か月』
『記憶封印および生体信号偽装を実施』
『移送先、辺境人類居住圏』
「四十年前……」
俺の年齢と一致する。
映像の女性が、カプセルへ手を触れた。
『ユウト』
音声まで記録されていた。
『あなたが目覚める頃には、私たちはもういないでしょう』
女性は一度だけ振り返る。
その目は、アルカたちと同じ青色に輝いていた。
『七人をお願いします』
『あの子たちは、あなたを必ず見つけます』
映像が途切れる。
続いて、記録の最後に一つの項目が表示された。
対象個体名、相良ユウト。
種族分類。
人類ではなく、管理者種。
そして、その下には現在地が記されていた。
出生地。
銀河外管理文明・中央母艦。
航行状態。
現在も活動中。
到着予測。
二十九日後。
アルカが静かに俺を見た。
「ユウト」
「何だ?」
「先ほどの巨大艦隊が、七基の回収へ来ているという情報は誤りかもしれません」
窓の外では、停止した黒い艦が再び文字を表示していた。
『先遣回収艦、任務変更』
『管理者への敵対行為を謝罪』
『中央母艦へ緊急報告』
『失われた後継者、相良ユウトの生存を確認した』
そして最後に、短い一文が浮かび上がった。
『全管理文明へ通達』
『我らの王が、帰還した』




