第77話 六百四十一年前に消えた三億人の星を探したら、帰還標識だけが今も灯り続けていました
六百四十一年前。
第二居住惑星。
推定人口、約三億一千万人。
帰還記録、未完了。
朝食の席に表示されたその数字を、俺はしばらく見つめていた。
昨日、《ルメア》を帰還させたばかりだ。住民一万八千四百四十人を乗せた惑星が無事に元の軌道へ戻り、離れ離れになっていたレオンとミナの家族も再会できることになった。
それで一件落着だと思っていた。
ところが、《ルメア》の地下装置が休眠する直前に吐き出した記録には、六百年以上前の別の惑星が残されていた。
「……確認だけど、三億一千万人って現在の人口じゃないよな?」
「はい。退避当時の推定人口です」
エリスが答えた。
「現在の人口、生存状況、惑星の所在については、いずれも確認できていません」
「じゃあ、三億人が今も遭難してるって決まったわけじゃない?」
「その通りです。記録上の『帰還未完了』は、帰還を確認する信号が保存されていないという意味です。実際に帰還しなかったことを証明するものではありません」
それを聞いて、少しだけ安心した。
六百四十一年も経っている。
《セレネ》がすでに別の場所へ帰還している可能性もあるし、避難先で新しい文明を築いているかもしれない。もちろん、もっと悪い結果になっている可能性だってある。
どれも確認できていない以上、勝手に決めるわけにはいかなかった。
「まず、今どうなってるか調べよう」
俺が言うと、グレイスが頷いた。
「同意します。ただし、探索対象の規模を考慮すると、七艦隊だけでは確認に時間を要する可能性があります」
「銀河帰還支援協定にも頼めない?」
「すでに調査支援の準備は可能です。ですが、一般向けに『三億人の遭難』として発表することには慎重であるべきでしょう」
「生きてるかどうかも分からないから?」
「はい。六百四十一年前の未確認記録を、現在進行中の救難信号として扱えば、誤った情報が広がります」
もっともな話だった。
「じゃあ調査中の歴史記録として扱おう。確認できたことだけ共有して、分からないことは分からないって書いておいて」
「承知しました」
俺としては当たり前のことを言ったつもりだったが、アルカが少し嬉しそうに微笑んだ。
「何?」
「以前なら、今すぐ探しに行くとおっしゃっていたと思いまして」
「いや、星一個だぞ。俺が救難艇に乗って探せる大きさじゃないだろ」
「大きさの問題なのですね」
なぜか納得してもらえなかった。
その隣でベルが紅茶を置き、すでに複数の国家機関へ協力要請を送る準備を始めている。
「歴史資料の収集であれば、わたくしの交易連合が得意とする分野ですわ。六百年前の航路記録や民間輸送会社の保管台帳も、可能な限り集めてみせます」
「助かる。でも、無理に買い占めたりしないでくれよ」
「……」
「ベル?」
「合法的に取得いたしますわ」
「買い占めないとは言ってないよな?」
ベルは優雅に微笑んだ。
どうやら、最初から手綱を握っておく必要がありそうだった。
◇
《セレネ》の名前は、現在の銀河星図には残っていなかった。
当然といえば当然だろう。六百四十一年も経てば、星系の名称や管轄は何度も変わる。恒星の位置も、当時の座標をそのまま現在の地図へ当てはめればいいというものではない。
ベルが集めた古い航路記録と、グレイスの保有する恒星運動記録を重ねていくうちに、一つの候補が浮かび上がった。
「第七百十二外縁星系。現在は民間航路の中継拠点として利用されています」
アルカが星図を開いた。
中心恒星は残っている。ほかの惑星もある。航路沿いには宇宙港や人工居住施設が建設され、現在では約二百六十万人が暮らす星系になっているらしい。
しかし、古い記録には存在したはずの第二惑星だけがない。
「六百四十一年前の惑星消失事故?」
「当時の公的記録では、原因不明の天体喪失事件と分類されています。大規模な自然災害とする説もありましたが、惑星の破片が確認されていないため、結論は出ていません」
「じゃあ《ルメア》と同じだ」
「状況は非常によく似ています」
俺は星図を拡大した。
《セレネ》があった軌道には、いくつもの人工施設が点在している。その一つが、妙に古い識別番号を持っていた。
「これ、何?」
小さな中継施設だった。
六百四十一年前の位置情報と、ほとんど一致する場所に置かれている。ただし施設そのものは何度も改修されており、現在の構造は当時と大きく違っていた。
「旧第二惑星帰還標識」
エリスが正式名称を読み上げる。
「現在も稼働しています」
「……帰還標識?」
「はい」
俺は思わず身を乗り出した。
「《ルメア》を戻した時に使ったやつと同じ?」
「同種の機能を持つ設備です。ただし、こちらは六百四十一年前から設置されていたものです」
「今も動いてる?」
「はい。稼働記録上では、信号が途切れた期間は合計十一日間だけです」
六百四十一年間。
ほとんど休まず。
そこには、帰る場所を知らせる信号が出続けていた。
「誰が管理してる?」
「現地の民間保存団体です」
「保存団体?」
「正式名称は《セレネ帰還灯保存会》。現在の登録会員は六千二百十一名」
俺はしばらく画面を見ていた。
消えた惑星。
六百年以上前の遭難記録。
その帰還標識を。
まだ誰かが残している。
「連絡取れる?」
「可能です」
「じゃあ聞いてみよう。何で今まで残してくれたのか」
◇
保存会の代表として通信に出てきたのは、白髪交じりの整備士だった。
名前はルーク・セイン。
六十三歳。
普段は航路設備の保守を担当していて、休日に帰還標識の整備を手伝っているらしい。
『七艦隊最高司令部からの通信だと聞いておりますが……本当に私でよろしいのでしょうか』
「はい。相良ユウトです。突然すみません」
『相良……ユウト……』
ルークさんの顔が強張った。
『あの、百年以上前からの……』
「そうですけど、今日は普通の設備確認です」
『最高司令官が?』
「元は廃棄宇宙船の管理人だったので」
ルークさんが困ったように笑った。
『それは存じております。しかし、古い航路灯一基のために最高司令官自ら連絡をくださるとは……』
「まだ動いてるって聞いたから、ちょっと気になって」
俺は本題を切り出した。
「《セレネ》の帰還標識、六百年以上ずっと残してるんですよね?」
『はい』
「途中で廃止しようって話にならなかったんですか?」
『何度もありました』
即答だった。
『惑星は戻らない。もう必要ない。設備を維持するだけで費用がかかる。何百年も昔の出来事に、今の世代が金を出す理由はない。そういう議論は何度も起きました』
「そりゃそうですよね」
六百年だ。
当時の住民を直接知っている人間なんて、普通はもう生きていない。
何世代も経っている。
「それでも残した?」
『ええ』
「何で?」
ルークさんは少し考えた。
それから、古い写真を一枚送ってくれた。
現在の帰還標識が建設される前。
小さな金属製の支柱に、粗末な送信機が取り付けられている。
周囲には数人の作業員が立っていた。
『六百四十一年前、《セレネ》が消えた時、近くの採掘衛星で働いていた人たちがいました』
「惑星の外にいた人?」
『はい。仕事で外に出ていた者、帰省のため別の星へ向かっていた者、たまたま貨物船に乗っていた者。そういう人たちです』
レオンとミナを思い出した。
たまたま部品を取りに行っていたから、《ルメア》と一緒に消えずに済んだ二人。
六百四十一年前の《セレネ》にも、同じような人たちがいたのだ。
『その人たちが、最初の帰還標識を作りました』
「救難局じゃなくて?」
『当時の救難局も協力しています。ただ、帰還標識の維持を最後まで望んだのは、残された家族だったそうです』
写真の隅に、古い手書き文字が残っている。
『帰ってきた時、暗かったら困るから』
俺はその一文を見た。
「……そうだよな」
『最初の百年は、帰還を信じる人たちが維持しました。次の百年は、その子供たちが。三百年を過ぎる頃には、実際に帰ってくると信じている人はほとんどいなくなったそうです』
「それでも?」
『その頃から、帰還標識そのものが地域の文化になりました。消えた人を忘れないための灯りとして』
ルークさんは少し照れくさそうに笑った。
『私も《セレネ》の住民の子孫なんです。何代前か分からないほど遠い先祖ですけどね』
「じゃあ、家族があの星に?」
『いたそうです』
過去形だった。
その言い方には、六百四十一年という時間の重みがあった。
『ただ、私自身は《セレネ》を見たことがありません。今の家はこの星系の人工居住区ですし、家族もみんなここにいます』
「うん」
『だから、昔の人たちが帰ってくることだけが私たちの願いではないんです。現在ここで暮らす人の生活も大事ですから』
俺は頷いた。
その言葉はよく分かる。
《オルフェウス》の人たちを帰した時もそうだった。
過去の住民の権利を取り戻すために、今生きている人たちを押し退けていいわけではない。
『でも』
ルークさんは続けた。
『もし、何かの間違いで本当に帰ってくるなら……その時くらい、昔の人が残した灯りが点いていてもいいだろうと』
俺は少し笑った。
「いいと思います」
『ありがとうございます』
「むしろ、残してくれてありがとうって言いたいです」
ルークさんが不思議そうな顔をした。
『なぜ最高司令官が礼を?』
「その帰還標識、まだ必要かもしれないんです」
俺が答えた途端。
通信画面の向こうで、ルークさんの動きが止まった。
◇
《セレネ》の退避記録について説明すると、ルークさんはしばらく言葉を失っていた。
もちろん、三億一千万人の生存が確認されたわけではない。
そこは慎重に伝えた。
古い装置に、惑星退避の記録が残っていたこと。
《ルメア》と同種の技術である可能性が高いこと。
そして、《セレネ》については帰還が確認されていないこと。
『……つまり』
ルークさんが、ゆっくり口を開く。
『あの灯りには、まだ届く相手がいるかもしれないんですか』
「可能性はあります」
『本当に?』
「まだ分かりません。でも、調べる価値はあると思います」
ルークさんは何度も頷いた。
その目が赤くなっていることに、俺も気づいていた。
『ありがとうございます』
「いや、まだ何も見つけてないですよ」
『それでもです』
声が震えていた。
『六百年以上、誰も確かめられなかったんです。信号を送り続けて、本当に誰かが受け取っているのか』
俺は答えられなかった。
『私は整備士ですから、送信機が正常に動いているかは確認できます。でも、向こうに誰かがいるかどうかまでは分からない』
そこで、ルークさんは少し笑った。
『今日まで動いていてよかった』
俺も同じことを思った。
もし昔の誰かが。
もう意味がないからと撤去していたら。
今、この灯りはなかった。
◇
調査は、現地の保存会と銀河帰還支援協定の共同作業になった。
俺は機械の設計図を眺めていただけだ。
もちろん、何もしていないわけじゃない。
六百年前の規格なんて、俺が百十七年前に働いていた頃ですら古すぎる。詳しい解析はエリスや専門技師たちの仕事だ。
ただ、古い設備を調べる時に気をつけていたことが一つある。
「送信側は動いてるんだよな?」
「はい」
エリスが答える。
「六百四十一年間、帰還標識を送信し続けています」
「受信側は?」
「受信側?」
「帰ってくる相手がいるかもしれないなら、返事が来る仕組みもあったんじゃない?」
エリスが一瞬止まった。
「確認します」
帰還標識の設計図が拡大される。
送信器。
電源。
姿勢制御。
位相補正。
そして。
「あります」
「何が?」
「非常応答受信回路です」
予想どおりだった。
「動いてる?」
「現在の設備管理記録では使用されていません」
「故障?」
「いえ。約三百年前の通信設備更新時に、受信機能が不要と判断されています」
なるほど。
古い送信機だけ残した。
帰還標識として信号を出す必要はあったからだ。
でも、返事を受け取る装置までは維持しなかった。
「外されてる?」
「物理的には残っています。ただし、現在の通信管理系から切り離されています」
「じゃあ、そこ確認してみよう」
アルカが俺を見る。
「ユウト自身が修理する必要はありません」
「分かってるよ」
俺は苦笑した。
「現地の人にお願いする。俺は図面見てるだけ」
ルークさんのところには、専門技術班が派遣されている。
銀河保全管理機構の職員もいる。
こういう時に、全部俺が触る必要はない。
「それにさ」
俺は付け加えた。
「六百年も守ってきた人たちの機械だろ。俺が勝手に触るより、その人たちに確認してもらった方がいい」
アルカが少しだけ目を細めた。
「はい」
その返事は。
何となく嬉しそうだった。
◇
夕方。
帰還標識の古い受信回路が見つかった。
装置の奥に、現在の規格とは違う小さな記録媒体が残されていたという。
現地技術班の作業映像が届く。
『外観上の損傷は軽微です。独立受信回路も生きています。ただし、信号を読み出すための旧式復号器がありません』
「エリス、何とかなる?」
「受信波形をそのまま記録できれば、こちらで解析可能です」
「じゃあそれで」
受信回路へ直接接続した測定器から、生の波形が送られてくる。
画面に、細かな雑音が広がった。
「……何もない?」
「現在の通信規格では有効信号を検出できません」
エリスが答える。
そこで俺は、昨日のES―44017を思い出した。
最新通信機では拾えなかった《ルメア》の声。
百年前の少し不正確な非常通信器だけが、その声を受け取った。
「《ルメア》の時と同じ補正をかけたら?」
「試行しています。ただし、六百四十一年前の規格では位相特性が異なります」
「じゃあ同じ波形になるとは限らないか」
「はい」
エリスの解析結果には、さまざまな通信方式の候補が並んでいた。
俺にはよく分からない数字ばかりだ。
ただ、一つだけ気になった。
「これ、何?」
波形の隅。
ほぼ一定の間隔で、ごく小さな山が並んでいる。
「周期的な雑音です」
「何分おき?」
「約七十一秒です」
「帰還標識の送信周期は?」
「七十一・二秒」
「……同じじゃない?」
エリスが黙った。
画面に新しい解析結果が走る。
「同じ周期です」
「送った信号が、そのまま反射して戻ってきてるとか?」
「可能性があります」
現地の送信機は、七十一・二秒ごとに帰還標識を出している。
そして受信機には、ほぼ同じ周期の微弱な反応が残っている。
「普通の反射?」
「周囲の物体による反射としては遅延時間が不自然です」
「じゃあ?」
エリスが計算する。
アルカも別の解析を始めた。
数秒後。
二人が同時に顔を上げた。
「ユウト」
「何?」
「《ルメア》の退避空間から受信した信号と、同じ種類の位相変動が含まれています」
俺は画面を見た。
「……届いてる?」
「まだ断定はできません」
エリスは慎重だった。
「ただし、何らかの応答が存在する可能性があります」
六百四十一年間。
帰還標識は、ずっと呼び続けていた。
その返事が。
もしかすると。
誰にも読まれないまま、受信回路の奥へ届いていたのかもしれない。
◇
夕食の時間になったので、俺は一度居住区へ戻った。
今回は、さすがに仕事を途中で止めることへの抵抗があった。
六百年前の惑星。
三億一千万人。
もしかしたら生存している。
そんな話を聞いて、落ち着いて食事ができるのかと思ったからだ。
でも。
食卓に座ると、リリィたち三人がいつも通り待っていた。
「お父さん、今日は星を探してたの?」
「うん」
「見つかった?」
「まだ。でも、帰る場所は見つけたよ」
リリィが首を傾げた。
「星じゃなくて?」
「昔その星があった場所。そこに帰り道を知らせる機械が残ってた」
「六百年も?」
「そう」
ハルが少し考えてから聞いた。
「ずっと待ってた人がいたの?」
「いたよ」
「すごいね」
「すごいな」
俺もそう思う。
《オルフェウス》の時は、九十二年間。
ナディアは二十三年間。
十二番は百四年間。
そして今度は六百四十一年間だ。
しかも待っていた人たちは、一人ではなかった。
最初に待った人が死んだ後、次の人が引き継いだ。
その人も年を取れば、さらに次の人へ。
六百年も続けるには、誰か一人が頑張るだけでは足りない。
「お父さん」
アカリが聞いた。
「その星、戻ってくる?」
「分からない」
「戻ってきたら、おかえりって言う?」
「もちろん」
「戻ってこなかったら?」
俺は少し考えた。
「……向こうが帰りたくないって言うなら、それもいいんじゃない?」
六百四十一年。
もし向こうに人が生きているなら、その人たちにも生活がある。
子供が生まれ。
家族ができ。
新しい町が作られ。
新しい歴史が続いているかもしれない。
「帰り道は残しておく。でも帰るかどうかは、向こうに決めてもらう」
そう答えると、リリィが笑った。
「じゃあ、その星にもお家が二つあるかもしれないね」
「二つ?」
「昔のお家と、今のお家」
なるほど。
「そうかもしれないな」
俺自身がそうだ。
百十七年前にはノア・ポートがあった。
今は中央母艦に家がある。
昔の場所が大切だったからといって、今の家を捨てる必要はない。
家族も同じだ。
思い出と今の暮らしは、どちらか片方しか選べないものじゃない。
「ユウト」
向かいに座っていたベルが微笑んだ。
「今の話、なかなか素敵でしたわ」
「何が?」
「帰る場所は残しておくけれど、帰るかどうかは本人が決めるというお考えです」
「普通だろ」
「その普通を、わたくしたちは百十七年間学んできましたのよ」
そこへディナが口を挟んだ。
「だからユウトも、十四人の中から早く選んで」
「話が飛んでない?」
「本人が決める」
「それはそうだけど」
「だから待ってる」
アルカまで頷いた。
「帰還標識の維持と同じですね」
「恋愛を帰還標識に例えるなよ!」
食堂に笑いが起きた。
でも。
十四人の個別予定が二十八件へ増えたままになっていることを、俺はちゃんと覚えていた。
惑星を探すのも大事だ。
だけど、それを理由に家族との約束を後回しにし続けるのは、そろそろやめないといけない。
◇
夕食後。
エリスから連絡が来た。
「ユウト、解析が進みました」
「何か分かった?」
「旧式受信回路に残された波形について、有効な通信形式を確認しました」
居間の表示が開く。
《セレネ》帰還標識。
六百四十一年前から稼働している古い装置。
その受信回路に、ほとんど雑音としか見えない信号が残っていた。
「どこから?」
「現時点では位置を確定できません。しかし、送信元は通常空間ではないと推定されています」
「《セレネ》の退避先?」
「可能性が高いです」
画面に、解読結果が表示された。
最初は数字だけだった。
次に。
古い文字。
それが少しずつ、現在の標準語へ変換されていく。
『帰還標識受信』
俺は身を乗り出した。
「……返事だ」
「はい」
エリスが頷く。
『原座標確認』
『外界帰還地点――維持中』
『通信経路――不安定』
そこまでは。
機械の自動応答かもしれない。
惑星に人がいるとは限らない。
だが。
さらに。
『外界への応答を要求』
『居住側からの通信あり』
「居住側?」
アルカの表情が変わった。
「機械からではなく?」
「確認中です」
エリスが受信した信号を、過去の記録と照合する。
すると。
新しい事実が分かった。
「ユウト」
「何?」
「この応答信号は、六百四十一年前から同じ内容ではありません」
「変わってる?」
「はい。直近にも更新されています」
「いつ?」
「正確な時間同期はできませんが、こちらの観測時間で約十七時間前です」
昨日だ。
《ルメア》を帰還させた頃。
《セレネ》らしい場所から。
新しい通信が届いていた。
「……今も誰かいるのか?」
「自動設備による送信の可能性は残っています」
「そうだな」
俺は頷いた。
決めつけない。
でも。
期待してしまう。
六百四十一年前の星。
三億一千万人。
その子孫が。
まだどこかで暮らしているかもしれない。
「返信してみよう」
俺が言うと、グレイスが安全確認の結果を表示した。
「低出力通信であれば、帰還標識および退避先へ悪影響を与える可能性は極めて低いと評価されています」
「じゃあ、短い文章で」
エリスが入力欄を開く。
「内容は?」
俺は少し考えた。
六百年も呼び続けた相手に、いきなり長い説明を送るのも違う気がする。
「まず、これで」
入力した。
『こちら銀河帰還支援協定。』
『六百四十一年前の惑星セレネの記録を確認しました。』
『帰還標識は現在も稼働しています。』
少し迷って。
最後に一文を加えた。
『そちらに、誰かいますか。』
送信。
◇
返事はすぐには来なかった。
通信遅延がどれくらいあるのかも分からない。
《ルメア》の時は、一往復するだけでかなり時間がかかった。今回はさらに古い設備で、相手の位置すら確定していない。
だから。
俺は待った。
アルカたちも隣にいた。
七艦隊では専門技術者が交代で解析を続け、現地の帰還灯保存会では、ルークさんたちが古い受信機を見守っている。
三十分。
一時間。
二時間。
「……今日はもう来ないかな」
俺が言うと、エリスが答えた。
「可能性はあります」
「なら、明日もう一回確認しよう」
「はい」
今度こそ、一晩中画面へ張り付くつもりはなかった。
俺が眺め続けたところで、通信が速くなるわけでもない。
七人にも仕事がある。
子供たちも、もう眠る時間だ。
「続きは任せていい?」
「もちろんです」
アルカが微笑んだ。
「ユウトは休んでください」
「じゃあ、おやすみ」
そう言って立ち上がったところで。
通信端末が鳴った。
エリスが顔を上げる。
「受信です」
俺は振り返った。
「《セレネ》?」
「旧帰還標識からの転送です」
画面に文字が現れる。
『通信受信確認』
続いて。
『外界帰還標識――識別成功』
そして。
一行。
『こちら、惑星セレネ』
居間が静かになった。
俺は椅子へ戻る。
エリスが受信データの解析を続けていた。
次の文章。
『六百四十一年間、帰還標識の存続を確認していました』
「……ずっと見てたのか」
向こうからも。
こちらの灯りが見えていた。
なら。
帰る場所を見失っていたわけではない。
さらに文章が続く。
『現在、惑星の生命維持環境は安定』
『居住者あり』
俺は思わず聞いた。
「人数は?」
「まだ通信に含まれていません」
「そうか」
でも。
生きていた。
少なくとも、今も誰かが暮らしている。
六百四十一年前に退避した星が。
どこかで。
まだ続いている。
「よかった……」
自然に口から出た。
アルカも静かに頷いている。
ところが。
最後の通信を読んだエリスの表情が変わった。
「ユウト」
「何?」
「先方から、帰還について説明があります」
「帰れるの?」
「帰還可能かどうかについて、まだ結論は出せません」
「じゃあ、何て?」
エリスが文章を開く。
『我々は、帰還標識を失ったわけではありません』
『帰還地点が存在することも認識しています』
『しかし、六百四十一年前に退避した世代は、すでに存在しません』
そこまで読んで。
俺は少し考えた。
当然だ。
六百四十一年も経てば、世代は何度も入れ替わる。
今暮らしている人たちは、別の場所に生まれ、別の星空を見て育った人々だろう。
その人たちにとって。
六百年前の故郷は。
もう自分の故郷ではないかもしれない。
続き。
『現在の居住者には、退避空間で生まれた者も多数存在します』
『帰還を希望しない住民もいます』
俺は頷いた。
「うん。そうだろうな」
なら。
無理に帰す必要はない。
《ルメア》では住民自身が帰還を選んだ。
《セレネ》でも同じだ。
帰り道を残す。
帰るかどうかは本人たちが決める。
それでいい。
だが。
最後に届いた文章を見て。
俺は少しだけ考えを改めた。
『現在のセレネは、帰還を希望する者と、希望しない者が共に暮らす惑星です』
『そのため、惑星全体の帰還を実行できずにいます』
『外界との通信が成立した今、相談したいことがあります』
そこで通信が一度途切れた。
エリスが再接続を試みる。
数分後。
最後の一文が届いた。
『星を帰す以外に、人だけを帰す方法はありませんか』
俺は。
その文章をしばらく見つめていた。
なるほど。
六百四十一年間。
誰も帰れなかった理由が、少し分かった気がした。
帰りたい人がいる。
帰りたくない人もいる。
その両方が、同じ星に暮らしている。
だから惑星ごと戻すという方法では、どちらかの希望を無視することになる。
「……星を動かさなくてもいいのか」
俺が呟くと、アルカがこちらを見た。
「ユウト?」
「いや、これまでずっと、星を元の場所へ戻す方法を考えてただろ」
「はい」
「でも、帰りたいのが星じゃなくて人なら」
俺はもう一度通信を見る。
「船で迎えに行けばいいんじゃない?」
七人が黙った。
「問題は、どうやってそこへ船を通すかだけど」
エリスが、古い帰還標識の設計図を開く。
その顔には、さっきまでとは違う表情が浮かんでいた。
「……可能性があります」
「本当?」
「惑星退避装置の本来の帰還機構は、惑星全体を移動させるためのものです。しかし、その原理を利用して小規模な物体の移動経路を確立できる可能性があります」
「じゃあ、まず一人が安全に通れるか確認しよう」
今度は。
三億人を一度に運ぶ必要はない。
帰りたい人だけ。
自分で決めた人だけ。
迎えに行けばいい。
俺は少し笑った。
「なんだ。普通の救難艇の仕事に戻ったな」
アルカたち七人が、一斉に俺を見た。
「……何?」
ベルが額に手を当てる。
「ユウト」
「うん」
「六百四十一年間、誰も通れなかった空間へ救難航路を開こうとしておりますのよ?」
「そうだけど」
「銀河史上初の恒久的な異空間航路になる可能性もありますわ」
「そうなの?」
「そうです!」
俺はもう一度、《セレネ》から届いた通信を見た。
帰りたい人がいる。
帰りたくない人もいる。
なら。
両方とも、そのままでいい。
「……じゃあ、ちゃんと安全な航路を作らないとな」
俺がそう答えると。
七人が顔を見合わせた。
どうやら。
銀河全体で誰も考えつかなかったらしい問題の答えを。
俺はまた。
普通の現場仕事だと思ってしまったらしい。




