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第72話 百十七年間俺を守った廃棄船に家族を連れて行ったら、今も俺を『乗員一名』として待っていました

 翌朝。


 俺は工具箱を持って居住区を出ようとして、アルカに止められた。


「置いてください」


「まだ何もしてないだろ」


「《アステリア》へ向かうのですよね?」


「うん」


「工具箱は必要ありません」


「何かあったら困るだろ」


「中央母艦の保存区画です。何かあれば専門の保存技術班が対応します」


「でも百年以上前の船だから、俺の方が分かるところも――」


「置いてください」


「はい」


 昨日。


 七人から百十七年間に届いた通信を聞いたばかりだ。


 その七通を保存しながら、俺が生きていると何度も返信しようとしてくれた《アステリア》。


 今日は、その船へ会いに行く。


 修理ではない。


 仕事でもない。


 ただ。


 ありがとうと言いに行くだけだ。


 だから工具はいらない。


 頭では分かっている。


「お父さん!」


 廊下の向こうからリリィが走ってきた。


「ちゃんと置いた?」


「何でリリィまで知ってるの?」


「アルカから聞いた」


「包囲されてるな……」


 ハルとアカリも続いてやってくる。


 三人とも手に何かを持っていた。


「それ何?」


 リリィが両手で抱えていたのは、小さな花束だった。


 人工栽培区画で育てている花らしい。


「《アステリア》にあげるの」


「船に?」


「だめ?」


「いや」


 少し考えて。


「いいと思う」


 ハルは紙らしきものを持っている。


「私はお手紙」


「読めるのかな」


「読めなくても置いとく」


「そうだな」


 最後。


 アカリは小さな包みを持っていた。


「アカリは?」


「お菓子」


「船は食べないぞ」


「お父さんが食べる」


「俺用なの!?」


「《アステリア》に行ってお腹すいたら食べる」


「それはお供えじゃなくて弁当だな」


 本人は満足そうだった。


 後ろでは七人が揃っている。


 アルカ。


 ベル。


 クレア。


 ディナ。


 エリス。


 フィア。


 グレイス。


 百十七年前。


 俺が《アステリア》へ乗り込んだ時には、一人も一緒にいなかった。


 今は。


 十人で向かう。


 それだけで。


 何となく変な感じがした。


     ◇


 《アステリア》が保存されているのは、中央母艦の第十二歴史保全区画だった。


 名前だけ聞くと博物館みたいだ。


 実際には少し違う。


 七艦隊の成立以前から残っている重要設備や、失われた旧技術を保管するための巨大な格納区画らしい。


「普段は誰か見に来るの?」


「限定されています」


 エリスが答える。


「《アステリア》については、ユウト本人の事故現場であること、時間介入事案に関係すること、さらに船体そのものが百十七年間にわたる長期休眠維持記録を保持しているため、一般公開していません」


「そんな重要物になってるの?」


「ユウトを運んだ船ですわよ」


 ベルが当然のように言う。


「歴史的価値だけでも相当なものです」


「俺が乗ってなかったら?」


「旧式船一隻です」


「だよな」


「ただし」


 ディナが付け足した。


「私は残す」


「何で?」


「ユウトが整備したから」


「それ言ったら昔触った船全部残すことになるぞ」


「可能」


「やめて」


 七艦隊の規模なら本当にやりそうだ。


     ◇


 保全区画の隔壁が開いた。


 その向こう。


 照明の落とされた巨大な空間に。


 《アステリア》はいた。


「……ああ」


 思わず声が出た。


 変わっていなかった。


 俺が百十七年後に目覚めた時。


 ほとんど死にかけていた船。


 外装は焼け。


 細かな隕石片の痕が無数に残り。


 左舷側の外板はいくつも剥がれている。


 推進器は停止。


 通信アンテナの一部は折れ。


 船体中央には、長い時間の中で生じた亀裂を応急封鎖した跡も残っていた。


 綺麗にはしてある。


 でも。


 直してはいない。


「本当に、そのままだな」


「はい」


 アルカが隣へ来る。


「ユウトが発見された時の状態を、可能な限り保存しています」


「電源は?」


「外部保全電源のみ。船内設備は原則停止しています」


「休眠槽は?」


「そのままです」


 百十七年間。


 俺が眠っていた場所。


「見に行っていい?」


「そのために来ました」


 俺たちは、保存用の接続通路から《アステリア》へ入った。


     ◇


 匂いまで。


 少し覚えていた。


 古い金属。


 長く停止していた空調設備。


 断熱材。


 機械油。


 今の中央母艦にはない匂いだ。


「お父さん、ここにいたの?」


 リリィが小声で聞く。


「うん」


「百十七年?」


「ほとんど寝てたけどな」


「長いね」


「長いな」


 三人はいつもより静かだった。


 俺が説明したからではない。


 たぶん。


 実際に見ると何か感じるものがあるのだろう。


 通路は狭い。


 照明も保全用の最低限だけ。


 天井には、俺が昔貼った補修材まで残っていた。


「これ」


 クレアが指差す。


「ユウトがやった?」


「たぶん」


「雑」


「緊急補修だったんだよ」


「端が斜め」


「機能してればいいだろ」


 ミレイさんに見られたら怒られそうだ。


 ディナは補修箇所をじっと見ている。


「百年以上持ってる」


「途中から保全環境だからな」


「でも持ってる」


「まあ」


 少し嬉しい。


     ◇


 休眠槽のある救命区画へ入った。


 一基だけ。


 古い装置が残されている。


「これ?」


 アカリが聞く。


「これ」


「小さい」


「俺一人しか入ってなかったからな」


「狭くなかった?」


「寝てたから分からない」


 休眠槽の透明カバー。


 その内側。


 百十七年間。


 俺はここにいた。


 俺自身には、その百十七年間の記憶がない。


 だから。


 不思議なことに。


 怖い場所という感じはしなかった。


 むしろ。


「助けてもらった場所なんだよな」


 俺が言うと。


 リリィが休眠槽の側面へ手を置いた。


「ありがとう」


 小さな声だった。


 ハルも続く。


「お父さんを守ってくれて、ありがとう」


 アカリは少し考えて。


「いっぱい寝かせてくれて、ありがとう」


「そこ?」


「お父さん寝るの好きでしょ?」


「百十七年は長すぎるよ」


 でも。


 笑ってしまった。


 リリィが持ってきた花は、船体に直接置かず、保全用の小さな台へ置くことになった。


 ハルの手紙も一緒。


 アカリのお菓子は。


 やっぱり俺が食べることになった。


     ◇


「ユウト」


 エリスが休眠槽の制御部を見ていた。


「どうした?」


「保存されている船内記録を、ここから閲覧できます」


「昨日の通信?」


「それも含まれます。ただ、別のものです」


「何?」


「最終乗員記録」


 表示が開く。


『船名 アステリア』


『運航状態 廃棄処理中』


『登録乗員 〇』


 ここまでは。


 百十七年前の記録。


 廃棄船だから。


 乗員はゼロとして処理されていた。


 そして。


 事故直前。


『船内生命反応検出』


『一』


『登録情報との不一致』


『再確認』


『生命反応 一』


 俺。


『暫定乗員登録を実施』


『乗員一名』


「船が俺を乗員にしてたんだ」


「はい」


 エリスが頷く。


「正式な船員登録ではありません。生命保護機能を作動させるための緊急処理です」


 その結果。


 廃棄船だった《アステリア》には。


 最後に一人だけ。


 乗員ができた。


『乗員識別』


『相良ユウト』


 俺は画面を見る。


「それが百十七年間ずっと?」


「はい」


 記録の最後。


 俺が目覚め。


 救助され。


 《アステリア》から搬出された日。


『乗員退船』


 その次。


『船内生命反応 〇』


『乗員登録――』


 そこで。


 処理が止まっていた。


「削除されてない?」


 エリスも少し不思議そうだった。


「通常であれば、退船後に暫定乗員登録を解除します」


「壊れてたから?」


「可能性はあります」


 さらにログを調べる。


 だが。


 解除処理は走っていた。


『暫定乗員登録解除』


『処理拒否』


「拒否?」


「《アステリア》自身の船内管理系が拒否しています」


「何で?」


 理由。


『保護対象の帰還可能性あり』


 俺は黙った。


「俺、もう退船してるのに?」


「はい」


『保護対象が再乗船する可能性を考慮』


『乗員登録を保持』


 百十七年間。


 俺を乗員一名として守った船は。


 俺が救助された後も。


 乗員登録を消していなかった。


「……まだ乗員なの?」


「船内記録上は」


 エリスが答える。


「現在も、相良ユウト一名です」


 なんだろう。


 七人の時とは違う。


 《アステリア》には人格なんてない。


 自分で考えて俺を待っていたわけでもない。


 ただ。


 古い安全プログラムが。


 再び乗る可能性のある人間の情報を消さなかった。


 それだけだ。


 でも。


「ずっと待ってたみたいだな」


 そう思ってしまった。


     ◇


「起動できる?」


 俺が聞いた瞬間。


 七人全員から視線が来た。


「触らないよ!」


 先に言った。


「ちょっと電源入れて記録を見るだけ」


「保存技術班へ確認します」


 アルカは完全に警戒している。


「だから俺は触らないって」


「工具を持参しようとした人の発言ですので」


「信用ないな……」


 保存技術班と連絡を取り。


 船内管理系だけ。


 保全電源から一時起動する許可が出た。


 エリスが現行設備側から操作する。


「起動します」


 古い機械音。


 長く眠っていた制御装置へ、少しずつ電気が流れる。


 照明が一つ。


 また一つ。


 弱く点く。


 百十七年前。


 俺が見ていたのと同じ色だった。


『船内管理系起動』


『アステリア』


『状態確認』


『主機関 停止』


『航行機能 停止』


『通信機能 制限』


『生命維持 外部供給』


 そして。


『船内生命反応を確認』


 俺たち十人。


『人数 一〇』


 古いセンサーなのに。


 ちゃんと数えた。


『登録乗員情報照合』


 数秒。


『相良ユウト』


『一致』


 俺は少し笑った。


「ただいま」


 何となく。


 口から出た。


 返事は期待していない。


 船だから。


 人格AIではない。


 でも。


 表示が変わった。


『乗員一名 帰船確認』


「……帰船」


 アルカが小さく読み上げる。


 その下。


『同伴生命反応 九』


『識別情報要求』


 エリスがこちらを見る。


「現在の身分情報を送信しますか?」


「俺の?」


「全員です」


「いいの?」


 七人が頷く。


 子供たちにも聞いた。


「登録する?」


「する!」


 三人とも即答だった。


 エリスが最低限の識別情報だけ送る。


 アルカ。


 ベル。


 クレア。


 ディナ。


 エリス。


 フィア。


 グレイス。


 リリィ。


 ハル。


 アカリ。


 古い船内管理系が、一件ずつ処理していく。


 七人について。


 少し長く止まった。


「昔の通信記録と照合してる?」


「そのようです」


『外部通信送信者履歴との一致を確認』


『七件』


『相良ユウト関連登録へ統合』


 そして。


 子供たち。


『相良ユウトとの家族関係を確認』


 現在の身分記録を参照したらしい。


『同伴者分類』


 処理。


『家族』


 リリィが俺を見る。


「船も家族って分かった?」


「みたいだな」


 嬉しそうに笑った。


 最後に。


 《アステリア》は。


 現在の船内情報を更新した。


『乗員 一』


『同伴家族 九』


「……九?」


 俺が数える。


 七人。


 子供三人。


「十人じゃない?」


「ユウトを除いた人数です」


「ああ」


 でも。


「七人まで家族扱いなんだ」


 言った瞬間。


 空気が変わった。


「船の判定です」


 アルカがすぐ言う。


「現在の公的関係情報、生活記録、家族登録候補その他から総合的に判定したものと推測します」


「アルカ、説明早くない?」


「客観的事実です」


 ベルも堂々と頷く。


「百三十九年前の船ですら理解できることですわ」


「結婚したとは登録してないからな?」


「家族と配偶者は別概念です」


 エリスが冷静に補足する。


 それなら。


 まあ。


 今さら否定するようなことでもない。


「家族でいいだろ」


 七人が止まった。


「何?」


 ベルがこちらを見る。


「今、何と?」


「一緒に暮らしてるし、子供たちもいるし」


 俺は少し考える。


「七人は家族だろ」


 恋愛の結論とは。


 また別だ。


 妻候補十四人の話は、これからちゃんと向き合わないといけない。


 でも。


 七人が家族かと聞かれたら。


 もう答えは決まっている。


「百十七年前から、かな」


 アルカが。


 目を伏せた。


「……反則です」


「何が?」


「今、それを言うのは」


「船の登録確認しただけだぞ?」


「ユウトはそういうところですわ!」


 ベルまで怒っている。


 でも。


 全員。


 嬉しそうだった。


     ◇


 それから。


 アカリが《アステリア》へ話しかけ始めた。


「ねえ、船」


「返事はしないぞ」


「でも聞いてるかも」


 その理屈は嫌いじゃない。


「お父さん、今ちゃんとご飯食べてるよ」


「何の報告?」


「大事」


「そうだな」


 リリィも続く。


「ちゃんと帰ってくるようになりました」


「最近だけだけどな」


「お休みも取ってます」


 ハルまで。


「夜も寝ています」


「みんなで俺の生活報告するの?」


 三人は真面目だ。


「《アステリア》が心配しないように」


 百十七年間。


 俺の生命状態だけを見続けた船。


 確かに。


 もし心配する機能があるなら。


 報告しておいた方がいい。


「じゃあ俺からも」


 俺は古い制御盤を見る。


「ちゃんと起きてる」


 もちろん。


 反応はない。


「飯も食ってる」


 アルカが頷く。


「仕事も一人で抱えないようにしてる」


 エリスが頷く。


「休みも」


 少し考える。


「かなり予定入ってる」


「二十八件ですわ」


「それ休みかな?」


 七人が笑った。


 俺も笑う。


「とにかく」


 古い船へ向けて。


 ちゃんと言った。


「百十七年間、守ってくれてありがとう」


 無音。


 何も返らない。


 それでいい。


 船に返事を求めるために来たわけではない。


 俺が言いたかっただけだ。


 そして。


「もう俺を守らなくていいよ」


 七人の表情が少し変わった。


「今はこんなにいるから」


 七人。


 三人の子供。


 ほかにも家族がいる。


 妻候補たちがいる。


 七艦隊がいる。


 俺が一人で漂流していた百十七年前とは違う。


「だから、もう休んでいい」


 古い機械へ。


 十二番へ言ったのと同じことを言っていた。


 百年以上働いたなら。


 もう休んでいい。


     ◇


 船内管理系を停止しようとした時だった。


 エリスが手を止めた。


「ユウト」


「何?」


「《アステリア》から確認要求です」


「確認?」


 表示が出る。


『乗員相良ユウト』


『退船予定を確認』


「うん」


『暫定乗員登録を解除しますか』


 全員が。


 静かになった。


 百十七年間。


 残っていた俺の登録。


 今なら。


 消せる。


「どうする?」


 アルカが聞いた。


 俺は少し考えた。


 この船はもう飛ばない。


 俺もここで暮らすわけではない。


 船員登録を残しておく実務上の意味はない。


 でも。


「残しても問題ある?」


「ありません」


 エリスが答える。


「保存記録上の登録にすぎません」


「じゃあ」


 俺は画面を見る。


「そのままで」


『登録保持』


 表示。


『乗員一名』


 たった一人。


 それでいい。


「また来るから」


 言ってから。


 俺は少し訂正した。


「次は一人じゃないけど」


 リリィが俺の手を握る。


 ハルも反対側。


 アカリは袖を掴んだ。


 後ろには七人。


 《アステリア》に乗った時。


 俺は一人だった。


 今。


 降りる時は。


 十人だった。


     ◇


 区画を出る直前。


 リリィが振り返った。


「お父さん」


「何?」


「《アステリア》、寂しくない?」


「どうだろう」


 船に感情はない。


 少なくとも。


 今のところ確認されていない。


「でも」


 俺は答える。


「また来ればいいだろ」


「うん」


「花も替えないとな」


「次はもっと持ってくる」


「保全担当に確認してからな」


 百十七年前の俺なら。


 勝手に置いていた気がする。


 少しは成長した。


     ◇


 居住区へ戻る途中。


 エリスから報告があった。


「先ほど《アステリア》を起動したことで、未整理だった船内記録の索引作成が完了しました」


「また何か出た?」


 最近。


 古い設備を触るたびに何か出てくる。


「重大な危険情報ではありません」


「ならよかった」


「ただし、一件だけ分類不能の記録があります」


「何?」


「《アステリア》が百十七年間で受信した通信は、昨日確認した七人からの七件だけではありませんでした」


 俺は足を止める。


「まだあった?」


「はい」


「誰から?」


 エリスが表示する。


『受信時期』


『相良ユウト休眠開始から百十六年十一か月後』


「目覚める直前?」


「約三週間前です」


 七人も画面を見る。


「送信者は?」


「識別できません」


「未来の家族評議会?」


「時間介入痕跡はありません」


「じゃあ普通の通信?」


「形式としては」


 問題は。


 宛先だった。


『受信対象――アステリア船内管理系』


「俺宛てじゃない?」


「はい」


「船宛て?」


「はい」


 さらに。


 通信内容。


 一文だけ。


『相良ユウトを、あと二十一日だけ眠らせてください。』


 俺は黙った。


「……何で?」


「続きがあります」


『二十一日後。』


『彼を迎えに行ける七人が、ようやく同じ場所へ揃います。』


 俺は。


 七人を見る。


 七人も。


 誰も知らない顔をしていた。


 俺が目覚める。


 わずか三週間前。


 誰かが。


 《アステリア》へ。


 俺をまだ起こすなと頼んでいた。


 そして。


 その理由は。


 俺を迎えるために。


 七人全員が揃う日を待つためだった。

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