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第69話 百三十九年物の船を確認したら、俺の仕事は『直すこと』ではありませんでした

 百十七年ぶりの現場仕事の日。


 朝、鏡の前に立った俺は、支給された作業服を見て少し安心した。


「これだよ」


 濃紺の上下。


 胸元には銀河保全管理機構の小さな標章と、


『非常勤現場保全員 相良ユウト』


 という名前だけが入っている。


 七艦隊最高司令官の文字はない。


 勲章もない。


 肩章もない。


 普通の作業服だった。


「やっと普通に仕事できそうだ」


「そうでしょうか」


 後ろからアルカの声がした。


「何?」


「いえ」


 振り返る。


 アルカだけではなかった。


 ベル、クレア、ディナ、エリス、フィア、グレイス。


 七人全員がいた。


「何で全員いるの?」


「初出勤なので」


「子供の入学式じゃないんだから」


「似たようなものですわ」


 ベルまで真顔で言う。


 さらに廊下の向こうからリリィたちがやってきた。


「お父さん、お仕事がんばって!」


「ちゃんと帰ってきてね!」


「おかず取られない時間に!」


「最後だけ基準がおかしいぞ」


 三人に見送られながら玄関――中央母艦だから正確には居住区出口だが――まで来たところで、もう一つ気づいた。


「アルカ」


「はい」


「外に停まってる船、何?」


「送迎艇です」


「でかくない?」


 窓の外には、どう見ても小型艇とは呼べない艦が停泊していた。


「七艦隊共通規格護衛輸送艇です」


「護衛って言ったよな?」


「はい」


「俺、今日は現場保全員として行くんだけど」


「承知しています」


「普通の通勤艇で行かせて」


「却下します」


「何で!?」


「相良ユウトだからです」


 便利な理由として使われ始めている気がする。


     ◇


 結局、かなり揉めた。


 俺としては銀河保全管理機構が用意した作業員用シャトルへ乗るつもりだった。


 アルカたちは、それでは護衛上の安全基準を満たさないという。


 妥協案として。


 護衛輸送艇は離れた場所を飛ぶ。


 俺は普通の作業員用シャトルへ乗る。


 現場へ七艦隊の軍艦を横付けしない。


 最高司令官権限も使わない。


 これで決着した。


「絶対だからな」


「はい」


「現場に艦隊呼ばないでよ」


「緊急時を除きます」


「その緊急の基準、普通の基準にして」


「努力します」


「努力じゃなくて」


 最後まで不安だった。


     ◇


 《ミネルヴァ》が保管されているのは、銀河保全管理機構の第三十七解体保全ヤードだった。


 大型船を何十隻も置ける巨大な施設だ。


 新品の船はない。


 役目を終えた貨物船。


 事故で損傷した小型艇。


 廃棄前検査を待つ作業船。


 交換用部品を取り外している途中の古い巡航艇。


 俺には妙に落ち着く光景だった。


「……懐かしいな」


 気づけば呟いていた。


 新品ばかり並ぶ港より。


 こういう場所の方が、昔の職場に近い。


「相良さんですか?」


 声をかけられた。


 作業服姿の女性だった。


 三十代くらいに見える。


 胸の表示には、


『現場責任者 ミレイ・ハーン』


 とある。


「はい。今日から……と言っても月一回ですけど、よろしくお願いします」


 軽く頭を下げる。


 すると相手が固まった。


「え」


「?」


「頭……下げるんですか?」


「初勤務だから」


「いえ、その……最高司令官が」


「今日は現場保全員です」


 俺は職員証を出した。


「単独作業禁止、現場責任者の指示に従う。だから今日はハーンさんの方が上司です」


 ミレイさんの顔が引きつった。


「七艦隊最高司令官に作業指示を?」


「そうなるみたい」


「辞退できます?」


「困ります」


「ですよね……」


 ものすごく嫌そうだった。


 気持ちは分からなくもない。


 俺だって逆の立場なら嫌だ。


「普通でいいですよ。危ないことしたら止めてください」


「本当に?」


「うん」


「『そこ触るな』って言っても?」


「言ってください」


「『勝手に分解するな』も?」


「……必要なら」


「今、間がありましたよね?」


 どうやら現場責任者として優秀な人らしい。


     ◇


 《ミネルヴァ》は、ヤードの端にいた。


 百三十九年前に建造された小型長距離艇。


 俺が眠るより二十二年も前の船だ。


 全長は四十八メートル。


 船体は細長く、左右に小さな推進ユニットを持つ。


 白かったはずの外装はかなり色褪せていた。


 補修跡も多い。


 でも。


「大事に乗ってたんだな」


 一目で分かった。


「分かるんですか?」


 隣にいた少年が聞いた。


 十八歳。


 現在の所有者。


 セイル・エイデン。


 百十七年前に俺と同じ職場で働いていたマルク・エイデンのひ孫にあたる。


「補修跡が多いけど、雑に塞いだ跡がない。交換できるところはちゃんと交換してるし、無理に規格違いの部品も入れてない」


「祖父がずっと整備していました」


「君のおじいさん?」


「はい。マルクは曽祖父です。祖父がこの船を引き継いで、去年亡くなるまで乗っていました」


 セイルは《ミネルヴァ》を見上げた。


「僕はほとんど乗っていません」


「船、好きじゃない?」


「嫌いではないです」


 少し迷ってから続ける。


「でも、僕は惑星で植物の研究をしたいんです。宇宙船を維持する生活はしたくありません」


「うん」


「……怒らないんですか?」


「何で?」


「祖父が大切にしていた船だから」


「おじいさんが大事にしてたものを、君まで一生背負う必要はないだろ」


 セイルがこちらを見る。


「でも遺言で、あなたに見てもらえと」


「捨てるなとは言われてない」


「はい」


「なら、本当に捨てていい状態か確認する。それだけだよ」


 少しだけ。


 セイルの肩から力が抜けた。


     ◇


 検査は俺一人ではやらなかった。


 これは約束でもある。


 ミレイさん。


 構造担当二名。


 動力担当。


 生命維持担当。


 それに俺。


 六人で確認する。


「まず外殻からです」


「了解」


「相良さん」


「はい」


「本当に私の指示で動いてくださいね」


「分かってるって」


「さっき工具箱を勝手に開けようとしました」


「見るだけ」


「見るだけの人は工具を手に取りません」


 厳しい。


 でも。


 ダリオさんも昔こんな感じだった。


 少し懐かしくて笑ってしまった。


「何です?」


「いや。ちゃんと現場に戻ってきたんだなと思って」


 ミレイさんは意味が分からなかったらしい。


「では右舷からお願いします」


「はい、主任」


「主任じゃありません。現場責任者です」


「似たようなものじゃない?」


「違います」


 百十七年経っても、この辺は変わらないらしい。


     ◇


 《ミネルヴァ》の状態は。


 予想より悪かった。


 外装だけなら直せる。


 推進器も交換すればいい。


 航法装置も現行品へ載せ替えられる。


 問題は骨格だった。


「主船体梁、ここ見てください」


 構造担当が内部走査を拡大する。


 細い亀裂が何本も走っている。


「疲労?」


「はい。しかも補修済み箇所の奥です」


 俺も確認する。


 昔の基準なら。


 補強材を入れて延命したかもしれない。


 だが。


「これ交換できない?」


「できます」


「費用は?」


 数字が表示された。


「……新しい同クラス船買えるな」


「二隻買えます」


「じゃあ無し」


 セイルが少し驚いた顔をした。


「そんなに早く決めるんですか?」


「まだ全部見るけど、ここを無理して残す意味は薄いと思う」


 さらに動力区画。


 主反応炉は停止済み。


 遮蔽材の劣化。


 配管も規格外。


 生命維持装置には修復不能ではないものの、現行基準なら総交換が必要な部位が多い。


 船として戻すなら。


 残るのは船名と外装の一部くらいだ。


「直そうと思えば直せる」


 俺は正直に言った。


「でも、それはこの船を直すっていうより、新しい船を中に作るのに近い」


 セイルは黙って聞いている。


「乗り続けたい理由があるなら、それでもいい。でも君はそうじゃないんだよな?」


「はい」


「なら、俺は廃棄でいいと思う」


 言葉にしてから。


 船内が静かになった。


     ◇


 ミレイさんが俺を見る。


「確認します。廃棄判定で?」


「うん」


「保存指定を提案しませんか?」


「何で?」


「この船の来歴が判明したためです」


 すでに機構内では《ミネルヴァ》のことが少し知られているらしい。


 百十七年前。


 俺の同僚だったマルクが所有した船。


 その子孫が使い続けた。


 そして俺が百十七年後に廃棄前検査を担当する。


「歴史資料として保存を求める声が出る可能性があります」


「誰が所有することになる?」


「保存指定された場合、機構または博物施設へ移管される可能性があります」


「セイルは?」


「所有者の同意が必要です」


 俺はセイルを見る。


「残したい?」


 少年はしばらく考えた。


 そして。


「いいえ」


 はっきり答えた。


「祖父は博物館に置いてほしいとは言っていません」


「うん」


「最後に確認してもらって、それで駄目なら終わらせていいと言っていました」


「じゃあそれでいい」


 ミレイさんが確認する。


「最高司令官としてではなく?」


「所有者が決めたことだろ」


「ですが、歴史的価値が――」


「価値があることと、本人のものを勝手に残すことは別じゃない?」


 俺が七人へやってきたことも、結局そこだった。


 使えるから残す。


 価値があるから残す。


 それだけではない。


 本人がどうしたいか。


 それを抜いてはいけない。


「写真や記録は残せる。必要なら構造データも保存する。でも船そのものをどうするかは、所有者のセイルが決めればいい」


「……了解しました」


 ミレイさんが判定欄へ入力する。


『廃棄承認』


 百三十九年間飛び続けた船の。


 最後が決まった。


     ◇


「本当に直さなかった」


 検査を終えた後。


 セイルがぽつりと言った。


「直してほしかった?」


「違います」


 首を振る。


「あなたのことを調べたんです」


「俺を?」


「はい。古い船もAIも、捨てられそうなものを全部助ける人だって」


「全部じゃないよ」


「今日分かりました」


 セイルは《ミネルヴァ》を見る。


「だから祖父は、あなたに見てもらえって言ったんだと思います」


 俺も船を見上げた。


「マルクもそうだった」


「曽祖父を覚えてるんですか?」


「もちろん」


 慎重な奴だった。


 俺が電源を落とす前にパネルを開けようとすると怒った。


 工具の管理にうるさかった。


 俺が使った工具を戻し忘れると必ず見つけた。


「たぶん、俺が何でも残そうとする人間だったら、頼まなかったと思う」


 セイルが笑う。


「祖父の言葉と同じです」


「え?」


「遺言には続きがあります」


 端末を開いてくれた。


 俺が知らされていなかった部分。


『相良が直せると言ったなら、直すかどうかはお前が決めろ。』


『相良が捨てていいと言ったなら、安心して捨てろ。』


『あいつは物を捨てないんじゃない。確認せずに捨てるのが嫌いなだけだ。』


 しばらく。


 何も言えなかった。


「……本人に言われると恥ずかしいな」


「百年以上前の人ですけど」


「それでも」


 マルク。


 ちゃんと分かってたらしい。


     ◇


 船の解体は翌週から始まることになった。


 ただ。


 最後に一つだけ作業が残った。


「私物確認です」


 ミレイさんが言う。


「長期間使用された個人船なので、解体前に船内収納をすべて確認します」


「それ大事」


「相良さん」


「何?」


「今だけすごく嬉しそうですね」


「こういうの昔よくやったから」


「では勝手に開けないでください」


「分かってるって」


 最終確認はセイル立ち会いで行った。


 居住区。


 機関室。


 操縦席。


 貨物区画。


 大半はすでに整理済み。


 残っているのは古い工具や予備部品程度だった。


 最後。


 後部整備区画の床下。


「ここ、開けた?」


 俺が聞く。


「床下?」


 セイルは知らないようだった。


 ミレイさんが図面を確認する。


「収納区画の記載はありません」


「この型、昔の整備員が勝手に工具置き場作ることあるんだよ」


「また図面にない場所ですか?」


「昔はよくあった」


「昔の整備員は何を考えていたんです?」


「便利だから?」


「規格というものがですね――」


 怒られながら床板を見る。


 端に小さな爪がある。


「ここ」


 ミレイさんの許可を取って開けた。


 中には。


 小さな金属箱が一つ。


 錆びてはいない。


 密閉されている。


「セイル。開けても?」


「はい」


 所有者本人が頷いた。


 箱を取り出す。


 内部に危険物反応なし。


 電源反応もない。


 ロックもかかっていなかった。


 蓋を開ける。


 中に入っていたのは。


 工具ではなかった。


「写真?」


 古い記録媒体が何枚もある。


 投影してみる。


 最初の一枚。


「あ」


 若いマルクがいた。


 百十七年前。


 俺が知っている顔。


 その隣にはダリオさん。


 さらに数人。


 昔の職場の連中。


 そして。


「……俺もいる」


 端の方で。


 作業服姿の俺が、工具箱を持ったまま写っていた。


「お若いですね」


 ミレイさんが言う。


「今も見た目そんな変わらないけど」


「そういう意味ではなく」


 次の記録。


 さらに次。


 職場。


 飲み会。


 修理中の船。


 誰かの結婚祝い。


 俺が知らない、俺が消えた後の写真も増えていく。


 マルクが年を取る。


 子供を抱いている。


 《ミネルヴァ》を買った時の写真。


 家族と一緒に船の前で笑っている。


 息子へ船を渡す。


 孫が生まれる。


「ずっと入ってたんだ」


 セイルが呟いた。


 写真は百年以上続いていた。


 最後の方には。


 彼自身もいた。


 幼いセイルが、老人になった祖父と《ミネルヴァ》の操縦席に座っている。


 船は。


 ちゃんと役目を果たしていた。


 百三十九年。


 誰かを運んだ。


 家族を乗せた。


 思い出を作った。


「これなら」


 俺は言った。


「もういいな」


 セイルが頷く。


「はい」


 捨てる。


 でも。


 無かったことにはならない。


     ◇


 箱の一番下に。


 一枚だけ。


 写真ではない記録媒体があった。


『相良ユウトへ』


「また俺?」


 最近、百年前の人から手紙をもらいすぎている。


「曽祖父です」


 セイルが署名を見つけた。


『マルク・エイデン』


「いつの?」


 記録日時。


 百九年前。


 俺が消えてから八年後だった。


「再生します?」


 俺は少し迷った。


「うん」


 マルクの姿が投影された。


 俺の記憶より少し年を取っている。


 でも。


 声は変わらなかった。


『相良。』


『どうせまだ見つかってないんだろうから、勝手に残す。』


 最初からマルクだった。


『ダリオ主任は、お前は死んだと確認できてないから死亡扱いにするなって、まだ揉めてる。』


「やっぱり揉めてたんだ……」


『俺も主任に賛成だ。』


 一度。


 マルクが画面の外を見る。


『ただ、お前が帰ってきた時のために、一個だけ謝っとく。』


「謝る?」


『あの日。』


 少し間が空く。


『お前が乗った廃棄船が投棄された日。』


 俺の表情が変わった。


『あの船の処理命令を出した端末。』


 ミレイさんも。


 セイルも。


 黙る。


『事故じゃなかった可能性がある。』


 空気が止まった。


 俺は映像を見つめた。


『調べた。』


『投棄命令は、システムの誤作動じゃない。』


 百十七年前。


 俺は。


 最後の私物を取りに行った廃棄船ごと、宇宙へ投棄された。


 ずっと。


 事故だと思っていた。


 でも。


 マルクは。


 八年後に。


 違うものを見つけていた。


『誰かが手動で出してる。』


 映像の中のマルクが。


 低い声で続けた。


『しかも、お前が船内にいることを確認した後だ。』


 俺は。


 何も言えなかった。


 百十七年前。


 俺が未来へ飛ばされた原因。


 それは。


 事故ではなかった。

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