第62話 誰もいない救難基地を開けたら、二十三年前から一人だけ『救助待ち』でした
「その救助要請、いつから出てる?」
俺が聞くと、エリスは案件R-0178の詳細記録を開いた。
登録上は無人。救難基地としての運用も二十三年前に終了しており、所属していた職員は全員転属か退職済み。それなのに現在も救助要請が届いていて、対象人数だけははっきりと一名になっている。
「送信日時そのものは現在時刻です。ただし、信号内部に保存された生成日時は二十三年前になっています」
「二十三年前?」
「はい。正確には、基地が閉鎖された十一時間後です」
表示された時刻を見て、俺は少し考えた。
「じゃあ、今になって誰かが救難信号を出したんじゃなくて……二十三年前に出そうとして、送れなかった?」
「その可能性が高いです」
エリスが基地の通信履歴を復元する。
案件R-0178の対象は、第九十二辺境救難基地。周囲の航路が再編されたことで利用者が減少し、二十三年前に閉鎖された施設だった。閉鎖時には通信設備の一部も停止され、旧救難網への接続も切断されている。
ただし、基地内部の緊急設備まですべて撤去されたわけではなかった。
救難基地だからだ。
たとえ閉鎖後でも、遭難者が偶然たどり着く可能性がある。だから非常用電源と最低限の生命維持設備だけは、解体までの間、独立して動くよう残されていたらしい。
「その状態で救助要請だけ生成された。でも、外へ送る通信路がなかった」
「はい。そして百十七年前の帰還支援網が再起動したことで、旧式通信規格を受け入れる経路が復活しました」
アルカが俺を見る。
「ユウトが管理人として認証され、旧救難網との接続が再構築されたため、基地内部に二十三年間保留されていた信号が送信されたようです」
「……二十三年遅れで届いたのか」
救難信号というより、出せないまま送信箱に残り続けた手紙みたいなものだった。
問題は、その手紙を書いた誰かがまだ待っているかどうかだ。
「基地の現在位置は?」
「変わっていません。小惑星帯外縁部に固定された施設です。第四艦隊の巡航艇なら四十分以内、医療設備を備えた救難艇でも一時間以内に到達できます」
「じゃあ行こう。生きてる可能性は?」
「現時点では不明です。ただ、救助要請が消えていない以上、基地側では救助対象の存在を現在も認識しています」
それなら確認する理由は十分だった。
◇
俺は救難艇を一隻出すつもりだった。
医療班と技術班、それから護衛艇があればいい。
ところが出発準備を始めて十分もしないうちに、予定航路の表示がおかしくなった。
「……アルカ」
「はい」
「何で護衛艦が七隻いるの?」
「七艦隊から一隻ずつです」
「救助対象、一人だぞ?」
「承知しています」
アルカは平然としていた。
通信画面の向こうではベルが腕を組んでいる。
「二十三年間も救助を待っていた方なのでしょう? でしたら、確実に助ければよろしいのですわ」
「確実と過剰は別だと思うんだけど」
「ユウトが現地へ向かう時点で、護衛なしという選択肢はありません」
グレイスまで即答した。
俺が基地へ直接入るとはまだ言っていないのに、どうやら現地へ行くだけで七艦隊すべての護衛対象になるらしい。
結局、大型艦を動かすのだけは止めてもらい、各艦隊から必要な専門要員だけを出してもらうことになった。
それでも周囲から見れば、七艦隊合同の救難部隊である。
対象は一人。
名前も分からない。
たぶん昔の俺なら、救難艇一隻で済ませていた。
百十七年後では、俺が「確認しに行こう」と言っただけで七つの艦隊が共同作戦を組む。
未だに慣れない。
◇
《ラスティア》は、小さかった。
救難基地と呼ばれているものの、大型艦が直接入港できる規模ではない。全長三百メートルほどの円筒型施設で、中央部から何本ものドッキングアームが伸びている。
二十三年間、人の手が入っていない外壁は暗く、標識灯もほとんど消えていた。
「対象基地を視認。外部電源反応なし」
「救難信号は?」
「継続しています。基地内部の独立非常電源から発信中」
無人機が接近し、外部端子へ接続する。
ほどなく内部状況が表示された。
主電源、停止。
補助電源、停止。
非常電源、残量一・八パーセント。
生命維持区画、一室のみ稼働。
救助対象、一名。
医療担当者の顔が変わった。
「一・八パーセントだと、どれくらい?」
「現在の消費量なら十一時間前後です。ただし蓄電設備が劣化しています。突然停止する可能性もあります」
「外から電気入れよう」
「試行しています。しかし受電できません」
技術班が外部端子を切り替えるが、基地側が電力を受け付けない。
故障かと思ったものの、表示された配線図を見ているうちに、俺は見覚えのある記号に気づいた。
「ちょっと拡大して」
エリスが図面を広げる。
古い。
俺がノア・ポートで廃棄船を扱っていた頃ですら旧式だった安全遮断機構だ。
「これ、壊れてるんじゃないと思う」
「どういうことですか?」
「閉鎖するときに物理遮断したんだよ。外部電源を抜いた後、内部の隔離板を落としてる。遠隔操作じゃ戻らない」
技術班が配線図を再解析した。
「……確認しました。機械式遮断器があります。しかし通常の整備通路は封鎖されています」
「非常用の保守口があるはず。救難基地なら、主通路が潰れてても電源だけは触れるようにしてる」
「図面上には記載がありません」
「廃棄前提の設備だと、現場用の保守口が正式図面から消されることがあるんだよ」
昔、何度も困らされた。
書類上は存在しないのに、実物には妙な蓋がある。
逆に図面には載っているのに、改修で完全に塞がれていることもあった。
「外壁の下側。受電設備の三メートルくらい後ろを見て」
無人機が移動する。
外壁を照らした直後、技術担当者が声を上げた。
「あります。旧規格の手動保守ハッチです」
「そこから隔離板まで行けると思う」
「内部構造を確認……接続しています。間違いありません」
通信室が一瞬静かになった。
俺としては、昔よく見た設備を思い出しただけだった。
ところが七艦隊の技術者たちが、一斉にこちらを見ている。
「そんなに見る?」
エリスが小さく息を吐いた。
「百年以上前に廃棄された規格を、図面なしで見つける最高司令官は現在ほかにいません」
「元管理人だからな」
「その前職が強すぎます」
褒められているのか分からなかった。
◇
保守用無人機が内部へ入り、手動遮断器を復旧した。
外部電源を接続すると、二十三年間眠っていた基地の一部へ少しずつ明かりが戻っていく。
生命維持区画も安定した。
そこで初めて、救助対象の詳細を読み出すことができた。
医療救命槽、一基稼働中。
収容者、一名。
低代謝維持状態。
収容期間――八千四百一十三日。
「……本当に二十三年間いたのか」
九十二年間眠っていた《オルフェウス》の人たちを見たばかりなのに、それでも数字として表示されると重い。
「生命状態は?」
医療班から、今度ははっきりした返答が来た。
「生存しています。長期低代謝処置による影響は精密検査が必要ですが、救命可能です」
名前はまだ出なかった。
救命槽に入った時点で身分証のデータが破損しており、基地側には「未確認遭難者」として保存されていたらしい。
「じゃあ運び出そう。ここで無理に起こす必要はないよな?」
「はい。救命槽ごと移送するのが最も安全です」
「お願い」
それからの作業は、俺が口を出す必要もなかった。
七艦隊の合同救難班は、古い基地の気圧と電力を維持したまま医療区画へ入り、救命槽を固定し、そのまま救難艇へ運び込んだ。
二十三年間。
誰にも届かなかった救難信号の先から、一人の人間が戻ってきた。
◇
身元が分かったのは、救難艇へ収容してからだった。
本人の記録ではない。
基地の閉鎖作業記録に残っていた映像と、顔を照合した結果だった。
「ナディア・セルン。当時三十四歳。《ラスティア》救難基地の設備管理責任者です」
「職員じゃないの?」
「元職員です」
アルカが閉鎖記録を開いた。
「基地の正式閉鎖時刻は二十三年前の十五時。職員登録は、その時刻ですべて解除されています」
「救難信号が出たのは?」
「翌日の午前二時十一分です」
その間の監視映像も残っていた。
閉鎖後。
本来なら誰もいないはずの基地へ、一隻の小型艇が戻っている。
乗っていたのはナディア一人だった。
理由も記録されていた。
「非常電源系統に異常値を確認。解体班到着前に安全確認を実施する」
ただそれだけだった。
元管理責任者が、閉鎖した基地に異常が残っていることに気づいた。
放置したまま誰かが解体へ入れば危険だから、自分で確認しに戻った。
その最中に老朽化した区画で減圧事故が発生し、負傷。基地の自動救命設備が彼女を救命槽へ収容した。
しかし、その時点ですでに職員登録はゼロ。
通信設備も停止済み。
だから基地は二十三年間、
登録人員ゼロのまま、一人の救助対象を抱えていた。
「……管理人って、どこも似たようなことするんだな」
俺が呟くと、通信画面にいた七人全員がこちらを見た。
「何?」
ベルが呆れたように言う。
「ユウトがそれを言いますの?」
「いや、俺なら一人で戻ったりは……」
言いかけて、やめた。
戻ったと思う。
廃棄予定の船に危険な異常が残っていると分かっていて、翌日誰かが入るなら、たぶん確認しに行った。
アルカも同じことを考えたらしく、ほんの少し笑っていた。
◇
ナディアが目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
もちろん俺が起こしたわけじゃない。
医療班の判断で低代謝状態から段階的に復帰させ、十分な検査を終えてから覚醒処置が行われた。
俺が医務室へ入った時、ベッドの上の女性はまだぼんやりと天井を見ていた。
「気分どうですか?」
声をかけると、ゆっくりこちらを見る。
「……ここは?」
「救難艇の医務室です。《ラスティア》から運びました」
その名前を聞いた瞬間、彼女の目が少し開いた。
「基地は……?」
「大丈夫です。外部電源につないで安定させてます」
「非常電源が……異常を……」
「直すのは後で専門の人がやります。まず自分の心配してください」
ナディアはまだ状況を理解できていなかった。
当然だと思う。
本人にとっては、事故に遭ったのが昨日のことに近い。
だから医療班から、時間経過について慎重に説明した。
二十三年。
その言葉を聞いた後、ナディアはしばらく何も言わなかった。
俺も急かさなかった。
九十二年という時間を突きつけられた《オルフェウス》の人たちを見たばかりだ。短い言葉で受け入れられるものじゃない。
やがて彼女は、掠れた声で聞いた。
「どうして……今になって救難信号が届いたんですか?」
「古い帰還支援網が再起動したんです。そこに基地からの未送信信号が残ってました」
「誰が再起動を?」
「俺たちです」
「あなたは救難局の人?」
「いや」
少し迷ってから答える。
「前職は、廃棄宇宙船の管理人です」
ナディアが瞬きをした。
「前職?」
「今は七艦隊の最高司令官になってます」
今度は完全に固まった。
説明が悪かったかもしれない。
ちょうどその時、医務室の入口からアルカが顔を出した。
「ユウト。医療班から、面会は十分までと聞いています」
「もうそんな経った?」
「はい。それからベルたちも面会を希望していますが、十四名が同時に入ることは許可されていません」
「十四?」
ナディアが俺を見る。
「家族というか、妻候補というか……」
「ユウト」
「はい」
アルカの声が少し低くなったので説明を諦めた。
今説明すると、二十三年後の銀河より俺の家庭環境の方が混乱させそうだった。
◇
中央母艦へ戻った頃には、夕食の時間を過ぎていた。
それでも食堂には明かりがついていた。
リリィたち三人だけでなく、妻候補たちまで待っていたらしい。
「お父さん、助かった?」
席へ着く前に聞かれた。
「助かったよ。まだしばらく病院だけど、大丈夫だって」
「よかったです」
リリィが安心したように笑う。
その顔を見てから、俺もようやく椅子へ座った。
今日やったことは、大したことじゃない。
届いた救難信号を確認して、電源が切れそうだったからつないで、中にいた一人を病院へ運んだ。
昔の俺なら、それで終わる仕事だったと思う。
でも現在では、その一人を助けるために七艦隊が共同救難部隊を作り、百年以上前の帰還支援網が動き、二十三年前に止まった施設まで再起動した。
規模だけがおかしい。
やっていることは変わらない。
「案件R-0178は?」
俺が聞くと、アルカが食卓の横へ小さな表示を出した。
救助対象、一名。
救助完了。
案件R-0178――完了。
残り、三百八十四件。
「じゃあ次は――」
「明日です」
アルカが俺より先に表示を消した。
「今日はもう終わりです」
「まだ確認だけならできるけど」
「できません」
今度はベルまで同意する。
「救難案件を一件終わらせるたび、ユウト自身の休息案件を発生させていては意味がありませんわ」
「案件扱いなの?」
返事の代わりに、中央母艦から新しい表示が出た。
最高司令官休養予定。
同行希望申請――十四件。
「……何これ」
食卓の向こう側で、妻候補たちの視線が一斉に集まった。
どうやら三百八十四件の救難案件を整理するより先に、俺は自分の休日を誰と過ごすか決めなければならないらしい。




