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第61話 三百八十七件の遭難記録を整理したら、最優先が『誰も乗っていない船』でした

 《オルフェウス》の未完了記録が正式に「完了」へ変わった翌朝。


 俺が朝食を食べ終える前に、帰還支援網に残された三百八十七件の一覧が食卓の横へ表示された。


「……朝から見る量じゃないな」


 遭難船。


 消息不明の輸送艇。


 閉鎖された救難基地。


 探査隊。


 古い移民船。


 中には、船名すら残っておらず、識別符号だけになっている案件もある。


 年代もばらばらだった。


 最も新しいものは十八年前。


 古いものになると、俺が眠るより前の記録まで混じっている。


「すべてを同時に確認する必要はありません」


 アルカが俺の前へ朝食の追加を置きながら説明する。


「昨日ユウトが決めた通り、現在も救難信号や設備反応が確認できる案件を優先し、その次に最終位置を特定できるものを調査します。記録しか残っていない案件は、資料整理から始めます」


「俺が寝てる間に、もう分類した?」


「七艦隊全体で処理しました」


「仕事が早いな……」


 表示が切り替わった。


『緊急確認対象 七件』


『反応継続対象 二十一件』


『位置推定可能 九十四件』


『記録再調査対象 二百六十五件』


 これなら。


 少なくとも最初から三百八十七件全部を相手にする必要はない。


「七件の中に、今すぐ人が危ない可能性があるものは?」


「現在のところ二件です。ただし、どちらも生命反応そのものは確認できていません」


「じゃあ何を基準に緊急?」


「一件は救難信号が断続的に更新されています。もう一件は、現在使用中の民間航路へ接近しています」


「漂流船?」


「その可能性があります」


 エリスが詳細を表示した。


『案件番号R-0041』


『船名 不明』


『旧連邦大型貨物船』


『最終有人記録 百四年前』


『現在位置 推定可能』


『民間航路との最接近予測 二十六時間後』


「百年以上前の貨物船が今も漂ってる?」


「正確には、船体と思われる大型物体です。帰還支援網が識別信号を受信し、旧記録と照合しました」


「中に人は?」


「記録上、最終退船は完了しています」


 俺は少し意外に思った。


「じゃあ救難案件じゃないよね?」


「本来なら完了扱いになるはずでした。しかし、救難網では未完了のまま残っています」


「何で?」


「理由が記録されていません」


 そこが。


 少し引っかかった。


     ◇


 朝食後。


 俺たちは中央母艦の小会議室へ移動した。


 大規模な救難指揮室ではない。


 今回はまだ、確認段階だ。


「案件R-0041。旧貨物船《ハーヴェスト》」


 追加資料を掘り出したエリスが、百四年前の記録を表示する。


 船名は残っていた。


 大型農業輸送船。


 開拓惑星向けに種子、農業設備、土壌改良材、家畜用受精卵などを運んでいたらしい。


 事故原因は推進器火災。


 乗員二十八名は全員救命艇で脱出し、その後別の船に救助されている。


「人は全員助かったんだ」


「はい。ですから人的救難としては完了しています」


「なのに船の案件だけ残ってる」


「記録上は」


 アルカが少し眉を寄せた。


「当時の救難責任者が、船体回収を別案件として登録したようです」


「何で貨物船一隻に?」


 昔の貨物船なら、事故で放棄されること自体は珍しくない。


 回収費用の方が高ければ。


 捨てる。


 俺だって。


 何でも直していたわけではない。


「積み荷かな」


 俺が言うと。


 エリスが貨物一覧を開いた。


『目的地――エルシア第四開拓惑星』


『主要貨物――初期農業資材』


『保存種子 二万一千四百種』


『凍結遺伝資源 二千八百種』


『開拓用農業設備』


『基礎土壌菌群』


「……これか」


 アルカも理解したらしい。


「開拓惑星の初期生態系構築用ですね」


「今のエルシア第四は?」


「現在は居住人口約十二億。農業生産星として稼働しています」


「じゃあ荷物なくても困らなかった?」


「別便が用意された記録があります」


「なら、なおさら何で未完了なんだろ」


 俺は古い事故報告を読み進めた。


 救助完了。


 代替貨物手配。


 乗員帰還。


 そこまで。


 普通だった。


 最後に。


 一行。


『積載遺伝資源について、回収可能性を継続検討』


「これだけ?」


「はい」


「誰が書いたの?」


「当時の開拓局生態部門です」


「今も部署ある?」


「組織再編されていますが、後継機関は存在します」


「聞いてみよう」


     ◇


 現在のエルシア生態資源庁へ問い合わせると。


 反応は。


 予想以上に早かった。


『《ハーヴェスト》が見つかったのですか?』


 通信画面に映った年配の研究者は、俺たちより驚いていた。


「見つかったというか、帰還支援網から信号が出てきて。まだ現物確認前です」


『船体は残っている可能性が?』


「あります。でも、百年以上ですよ」


『それでも確認してください』


 食いつき方が変だった。


「そんなに重要な積み荷なんですか?」


『現在の価値で、という意味では違います』


 研究者は一度言葉を選んだ。


『《ハーヴェスト》が運んでいた種子や遺伝資源の大半は、別便によってエルシアへ届けられました。現在も保存されています。ただし、《ハーヴェスト》の貨物には一部、原系統がすでに失われた品種が含まれています』


「原系統?」


『品種改良前のものです。現在栽培されている系統の祖先に近いもの、と考えてください』


「今はもうない?」


『少なくとも既知の保存庫にはありません』


 なるほど。


 人命ではない。


 でも。


 完全に価値がなくなったわけでもない。


「百年以上冷凍設備が動いてるとは思えないけど」


『通常なら不可能です。しかし大型農業輸送船の遺伝資源庫は独立電源と受動冷却構造を持っています。漂流環境によっては、一部が保存されている可能性があります』


「可能性はどれくらい?」


『極めて低いです』


 即答だった。


『ですが、ゼロではありません』


 俺は。


 少し笑った。


「その言い方、最近よく聞くな」


     ◇


 問題は。


 《ハーヴェスト》が現在航路へ接近していることだった。


 もし船体が完全な残骸なら。


 危険物として除去しなければならない。


 だから。


 どちらにしても確認は必要だった。


「今回は人命救助じゃないから、技術局主体でお願い。接近前に航路側へ注意情報を出して、必要なら一時変更」


「了解しました」


 グレイスが立体図を確認する。


「対象は大型だが、軌道変更そのものは可能だ。破壊処理もできる」


「破壊は最後にして」


「分かっている」


「昔なら真っ先に反対してたと思われてない?」


「思っている」


「正直だな!」


 ただ。


 俺も分かっている。


 もし《ハーヴェスト》が危険で。


 積み荷も全部駄目なら。


 壊して片付ける。


 残すこと自体が目的じゃない。


     ◇


 三時間後。


 第四艦隊の航路保全艇が《ハーヴェスト》を発見した。


『対象を視認』


 画面に映った船は。


 ひどい状態だった。


 全長約八百メートル。


 左舷後部が大きく焼け落ち、主推進器は完全に失われている。外壁には無数の微小衝突痕があり、船体そのものもわずかに歪んでいた。


「よく百年も残ってたな」


「構造強度は限界に近いです」


 エリスが解析する。


「牽引には補強が必要です」


「電力は?」


「船体全体では反応なし。ただし……」


 一か所。


 小さな反応。


「貨物区画?」


「はい」


 農業資源庫。


 そこだけ。


 わずかな電力が残っていた。


「外から診断できる?」


『試します』


 無人機が接近する。


 古い外部端子。


 錆び。


 変形。


 一度では接続できない。


 二度目。


 端子を交換。


 三度目。


『接続成功』


 画面へ。


 百四年前の管理表示が開いた。


『主電源 停止』


『予備電源 停止』


『農業資源庫』


『受動冷却維持』


「受動冷却?」


 俺が聞くと、エリスが説明した。


「周辺宇宙空間への放熱を利用する非常保存状態です。電力は監視装置だけに使用されているようです」


「中身は?」


『内部温度を取得します』


 数値が出る。


「……低いな」


「保存条件内です」


 エリスが少し驚いた声を出した。


「少なくとも温度だけなら、遺伝資源の一部が残っている可能性があります」


 通信越し。


 エルシアの研究者が。


 完全に黙っていた。


「生きてるかは、開けないと分からないですよね?」


『はい』


「じゃあ安全な場所まで運ぼう」


     ◇


 牽引準備に入った時。


 もう一つ。


 記録が見つかった。


『貨物管理責任者 最終記録』


 事故直後。


 乗員が脱出する前に。


 残されたものらしい。


『船体放棄決定を確認。乗員は全員退船予定』


 男の声。


『生態資源庫について、非常保存へ移行しました』


 少し息が荒い。


『誰かが回収する保証はありませんが、捨てる判断は後からでもできます』


 俺は。


 画面を見た。


『持って帰れる可能性があるなら、今ここで殺す必要はない』


 音声は。


 そこで終わっていた。


「……似た人いるな」


 ベルが通信越しに言った。


『ユウトですわね』


「俺もそう思った」


 百四年前。


 知らない誰か。


 助かる人間は全員助けた。


 でも。


 船に残るものを。


 完全に諦める必要はないと思った。


「この人、名前は?」


「貨物管理責任者――ノア・フェルド」


「記録残しておいて」


「はい」


 今度は。


 俺だけが。


 記録に残る話じゃない。


     ◇


 《ハーヴェスト》は。


 その日のうちに航路外へ牽引された。


 解体施設ではなく。


 エルシア生態資源庁の研究拠点へ。


 開封作業には。


 俺は参加しなかった。


 専門外だから。


 ただ。


 結果だけは。


 翌朝。


 一番に届いた。


「……多いな」


『保存種子二万一千四百種のうち、生存性確認済み三千八百二十一種』


『追加検査中』


『凍結遺伝資源二千八百種のうち、復元可能性あり六百四十二種』


 百年以上。


 全部ではない。


 むしろ。


 大半は失われていた。


 でも。


 残った。


「三千種以上……」


 リリィが表示を見る。


「お花もありますか?」


「あるかもな」


 エリスが検索する。


「食用作物、薬用植物、繊維植物、観賞植物を含みます」


「では、お花もありますね」


「そうだな」


     ◇


 エルシアから。


 正式な報告が届いた。


『回収された系統のうち、現在絶滅している原系統を百四十七種確認』


「百四十七……」


『今後、復元研究および保存を行います』


 その下。


『旧貨物船《ハーヴェスト》の救難案件について、完了申請』


 俺は。


 少し迷った。


 人はいなかった。


 誰も帰ってきていない。


 それでも。


 百四年前。


 船の中に残されたものを。


 誰かが。


 捨てずに待たせた。


「完了でいいと思う」


 アルカが聞く。


「理由は?」


「持って帰れたから」


 それで十分だった。


『案件R-0041』


『状態――完了』


 また一つ。


 三百八十七件から。


 数字が減った。


     ◇


 ところが。


 その日の午後。


 エルシア側から。


 妙な相談が来た。


『回収種子の一部について、発芽確認試験を実施』


「うん」


『百四十七年前後失われていた品種の一つが発芽しました』


「それは良かった」


『名称がありません』


「何で?」


『旧登録名が損傷しており、品種番号しか残っていません』


「じゃあ番号でいいんじゃない?」


『研究所内ではすでに仮称が定着しています』


「嫌な予感する」


『《管理人一号》』


「変えて!」


 エリスが。


 少しだけ笑っている。


「研究者側では、百年以上保管されたものを救った案件にちなみ――」


「俺は種を育ててないから!」


『代替案があります』


「聞くだけ聞く」


『《フェルド一号》』


 俺は。


 止まった。


 百四年前。


『捨てる判断は後からでもできます』


 そう残した。


 貨物管理責任者。


 ノア・フェルド。


「そっちで」


『承認しますか?』


「うん。俺じゃなくて、その人の名前がいい」


 翌日。


 百年以上ぶりに芽を出した植物へ。


 《フェルド一号》


 という仮称が付いた。


     ◇


「ユウト」


 夜。


 アルカが。


 帰還支援網の一覧を表示した。


「完了案件、二件目です」


「《オルフェウス》と《ハーヴェスト》か」


「はい」


「あと三百八十五」


「はい」


 数字だけ見れば。


 まだ。


 ほとんど減っていない。


 でも。


「急がなくていいよな」


 俺が言うと。


 アルカは。


 すぐに頷いた。


「はい。一件ずつで十分です」


「人がいるかもしれない船を先にして、こういう荷物だけの案件は余裕がある時に確認する」


「その方針で整理済みです」


「ありがとう」


 俺は一覧を見る。


 帰らなかった人。


 帰らなかった船。


 誰かが残したもの。


 全部。


 同じ優先順位ではない。


 同じ救い方でもない。


 でも。


 確認もしないで。


 全部終わったことにする必要もない。


「次は?」


 俺が聞くと。


 エリスが三番目の緊急案件を表示した。


『案件R-0178』


『最終記録 二十三年前』


『対象――救難基地』


『登録人員――ゼロ』


「また無人?」


「はい。ただし」


 表示が更新される。


『現在信号』


『救助要請 受信中』


「人いないのに?」


「そのはずです」


 さらに。


『信号内容』


『救助対象 一名』


 俺は。


 画面を見る。


「誰?」


『不明』


 救難基地には。


 登録上。


 誰もいない。


 なのに。


 二十三年間閉鎖されていた基地が。


 今。


 一人分の救助を求めていた。


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