第58話 九十二年ぶりに移民船を出航させようとしたら、四千人が船を直し始めました
《オルフェウス》最終航海計画が正式に動き始めてから三日。
俺が最初に聞かされた予定では、七艦隊の技術班が必要区画だけを修復し、医療側の許可が出た元乗員乗客を乗せたうえで、外部牽引によってセレスティアまで運ぶことになっていた。
つまり、《オルフェウス》自身を完全に復活させるわけではない。
船体健全性は三一%。主機関は停止し、航法中枢も壊れている。九十二年間にわたって自動保守機が延命していたとはいえ、移民船として自力航行できる状態ではなかった。
だから、安全に一度だけ最後の航海ができれば十分。
そのはずだった。
「……何でこんなに人がいるの?」
中央母艦の臨時作業管制室に入った俺は、壁一面に表示された人数を見て足を止めた。
『《オルフェウス》修復作業参加希望者――一千三百八十四名』
数字を読み上げたエリスは、いつも通り淡々としている。
「元乗員および元乗客から提出された希望です。医療上、作業可能と判断された者に限定していますので、実際の参加許可人数は三百十二名まで減らしています」
「いや、それでも多いよ。みんな九十二年ぶりに起きたばっかりだろ?」
「そこは医療班も同意見です。ただし、本人たちから非常に強い要望があります」
理由は聞くまでもなかった。
正面の通信画面には、《オルフェウス》元航法士のミレイ・オーランドが映っている。
まだ定期検査は続いているものの、初めて話した頃と比べれば顔色もかなり良くなっていた。
『相良さん。私たち、自分たちの船なんです』
「それは分かるけど、身体は大丈夫なの?」
『無理はしません。医療班の指示にも従います。でも、全部知らない人に直してもらって、完成したら乗ってくださいと言われるのは……何というか、違うんです』
ミレイが少し言葉を探すように視線を落とす。
『私たちは《オルフェウス》を捨てて逃げたわけじゃありません。いつか助けが来ると思って、船を残して眠ったんです。だから最後にもう一度だけ動かすなら、自分たちでも触りたいんです』
その言葉を聞いてしまうと、最初から拒否する気にはなれなかった。
「医療班が許可した範囲だけ。それから、危険区画には七艦隊の技術班しか入らない。それでいいなら、俺は反対しないよ」
『本当ですか?』
「ただし、九十二年前の感覚で『これくらいなら平気』は禁止。今の身体がどこまで動くかは、お医者さんの方が詳しいから」
俺がそう付け加えると、横にいたアルカがわずかに目を細めた。
「ずいぶん説得力のある注意ですね、ユウト」
「誰のおかげだと思ってるんだよ」
「ダリオ主任でしょうか」
「そこは否定できないけど!」
通信の向こうでミレイまで笑っていた。
◇
《オルフェウス》の修復作業は、想像していたものとは少し違う形で始まった。
七艦隊が担当するのは、船体構造、生命維持、電力、牽引装置、安全航行に必要な系統。それ以外の場所については、元乗員乗客が自分たちの手で手を入れることになった。
とはいえ、九十二年前の技術しか知らない人たちに現代の設備を触らせるわけにはいかない。そのため七艦隊の技術者が一人ずつ付き、古い設備と現在の技術を繋ぐ形で作業することになった。
最初は。
かなり大変だった。
『違う、それは食堂区画の照明回路です!』
『昔はここが空調だったんだよ!』
『九十二年間に自動保守系が迂回経路を組んでいます!』
『誰だこんな配線したの!』
『M-06です!』
『……じゃあ文句言えないな』
作業回線を聞きながら、俺は思わず笑った。
「楽しそうだな」
「作業事故防止の観点からは、もう少し静かにしていただきたいところですが」
グレイスは呆れたように言ったものの、その声にも少し笑いが混じっている。
九十二年前の整備員と、今の七艦隊技術者。
使っている言葉も、工具も、常識も違う。
それなのに。
壊れた場所を前にすると、妙に話が通じるらしい。
◇
俺も一度だけ《オルフェウス》へ入った。
もちろん、一人ではない。
アルカ、グレイス、エリスの三人に加え、医療担当と保安要員まで付いている。
「俺、見学だよね?」
「はい」
「工具も持ってないよ?」
「確認済みです」
「何でそこ確認したの?」
「ユウトだからです」
「俺の名前が理由になるようになってない?」
そんなことを話しながら気密通路を抜ける。
船内へ入った瞬間。
俺は、思っていたより長く立ち止まった。
「……古いな」
壁の材質。
照明の色。
区画番号の書き方。
全部。
俺が知っている時代のものだった。
もちろん《オルフェウス》に乗ったことはない。それでも、百十七年前に働いていた俺にとって、この船の中は中央母艦よりずっと馴染み深い。
「落ち着きますか?」
アルカに聞かれ。
「少し」
素直に答えた。
「最新の船より、どこを開ければいいか分かる」
「開けなくて結構です」
「分かってるよ!」
◇
俺たちが向かったのは、休眠区画ではなく中央生活区画だった。
そこでは。
目覚めた元乗客たちが、食堂を片付けていた。
九十二年間使われなかった机。
固定された椅子。
空になった食料配給装置。
その一つ一つを。
自分たちで掃除している。
「そこまで直す必要ある?」
俺が尋ねると。
一人の老人が顔を上げた。
老人といっても。
身体年齢だけなら六十歳前後。
暦の上では百五十歳を超えているらしい。
「必要かどうかなら、必要ないですよ」
「じゃあ何で?」
「汚いままセレスティアに着きたくない」
老人はそう言って、布を動かし続けた。
「出航した時は新品だったんです。みんなでここで飯を食って、目的地に着いたら何をするか話してた。それが九十二年経ったからって、最後だけ別の船みたいな顔をさせるのは可哀想でしょう」
なるほど。
俺は。
こういう人たちを止める資格がない気がした。
「手伝おうか?」
言った瞬間。
「ユウト」
アルカ。
「最高司令官」
グレイス。
「相良さん」
医療担当。
三方向から止められた。
「掃除くらいだよ!?」
「見学という条件です」
「布で机拭くだけだよ?」
「過去の実績を考慮すると、その十分後には壁を外している可能性があります」
「信用なさすぎない!?」
老人が腹を抱えて笑っていた。
◇
少し奥へ行くと。
今度は大勢の人間が壁の前に集まっていた。
「何してるの?」
「名前を戻してるんです」
若い女性が答える。
壁には。
古い文字。
『セレスティア到着記念』
その下。
何百もの名前。
「これ、出航前に?」
「はい。到着したら日付を入れる予定でした」
日付欄だけが。
空白になっている。
「だから、消さずに残すことにしたんです」
女性が少し笑った。
「今度こそ日付を書けるので」
俺は。
その空白を見た。
九十二年間。
埋まらなかった場所。
「そっか」
今度は。
それ以上何も言わなかった。
◇
修理区画では。
例の自動保守機M-06も分解されていた。
九十二年間を守り続け。
十一年前に完全停止した小さな機械。
「状態は?」
俺が聞くと。
七艦隊の技術者が苦笑した。
「率直に言えば、原型を保っているのが不思議なくらいです。純正部品の六割以上が失われ、船内にあった別機器の部品で置き換えられています」
「自分で?」
「記録を見る限りでは」
M-06は。
故障するたび。
使われなくなった設備から部品を取ったらしい。
「俺みたいだな」
「否定できません」
エリスが即答した。
「そこは少し否定してほしかった」
技術者が続ける。
「直すこと自体は可能です。ただ、内部制御系まで現行品へ置き換えると、別の機械になると言う者もいまして」
「誰が?」
少し離れたところ。
ミレイがいた。
「歩いて大丈夫?」
「ここまでなら許可をもらいました」
彼女はM-06を見る。
「できれば、中身は残したいんです」
「でも直らないかもよ」
「それでも」
ミレイは。
少しだけ考えてから続けた。
「九十二年間、あの子が何をしたのか残しておきたいんです。新しい機械を同じ箱に入れて『直りました』と言うより、動かなくてもいいから」
「なるほど」
それなら。
俺にも分かる。
「じゃあ、動かす方は新しく作れば?」
「え?」
「M-06そのものは記録ごと残して、必要なら同型の新しい子を作る。外見くらい似せられるだろ」
技術者が。
少し驚いた顔をした。
「最高司令官なら、絶対に旧機体を修理すると言うと思っていました」
「俺だって何でも直せばいいとは思ってないよ」
直すことで。
消えるものもある。
最近になって。
ようやく。
それが分かってきた気がする。
「こいつはもう、十分働いたんじゃない?」
九十二年。
それ以上働けと言う方が。
酷だ。
ミレイが。
M-06へ視線を戻した。
「……そうですね」
◇
その日の夕方。
新しいM-06の製造が決まった。
正確には。
『M-07』
「番号続けるんだ」
技術者が頷く。
「元乗員側からの希望です。M-06の後継機として」
「それならいいな」
『旧M-06は《オルフェウス》船内記録とともに保存予定』
「うん」
『なお』
「嫌な言い方するな」
『元乗客側より、相良ユウトの旧管理人工具を展示してほしいとの申請があります』
「関係ないだろ!」
『九十二年前の設備を理解できた人物として』
「俺の工具はオルフェウスに一回も触ってない!」
展示計画は。
その場で却下した。
◇
それから四日。
《オルフェウス》は。
見違えるようになった。
もちろん、外見はぼろぼろのままだ。
船体の傷も。
失われた推進区画も。
あえて完全には直していない。
それでも。
人が歩く場所に明かりが戻り。
食堂が開き。
通路が片付けられ。
壁の表示が点いた。
そして。
休眠者の移送も順調に進んでいる。
『生命反応確認者四千百二十六名のうち、現行休眠装置への移行完了三千八百九十一名。覚醒済み二百三十五名』
最初に確認した人たち。
全員。
今も生きている。
「ここまで来たか」
俺は。
中央母艦から送られてくる《オルフェウス》の映像を見る。
「はい」
アルカが隣に立つ。
「最終航海開始まで、残り二日です」
◇
そして。
出航前日。
一つの問題が起きた。
『セレスティア自治圏政府より通信』
「今度は何?」
『到着式典について、再度協議を希望しています』
「派手なのはやらないって話じゃなかった?」
「その方針です」
アルカが資料を開く。
「ただし今回は、式典の規模ではなく到着場所についてです」
「到着場所?」
表示されたのは。
セレスティア星系の巨大な宇宙港。
現在使われている最新施設。
ではなかった。
『旧第一移民港』
「旧?」
「九十二年前、《オルフェウス》が到着する予定だった港です」
「まだ残ってるの?」
「一部のみ」
かつて。
最初期の移民船が。
次々と降り立った場所。
現在は新しい宇宙港へ役目を譲り。
保存施設になっているらしい。
「そこへ着けたいって?」
「セレスティア政府側からではありません」
「じゃあ誰?」
「《オルフェウス》側です」
俺は。
思わず笑った。
「本人たちなら、決まりだな」
◇
出航当日。
《オルフェウス》の船内へ。
俺たちは乗り込んだ。
俺。
十四人。
リリィ。
ハル。
アカリ。
結局。
全員だった。
「やっぱり全員来たな」
「当然です」
アルカ。
「この人数で普通の家族旅行と言い張りますの?」
ベル。
「言ってないよ!」
子供たちは。
初めて乗る九十二年前の船が珍しいらしく、あちこち見たがっている。
「勝手に走るなよ。古いところも残ってるから」
「はい、お父様」
「父さんこそ勝手に壁を開けないように」
「開けないよ!」
ハルにまで監視されている。
やがて。
船内放送が流れた。
『《オルフェウス》乗員乗客の皆さんへ』
ミレイの声だった。
『本船はまもなく出航します』
九十二年。
止まっていた船。
『目的地は、セレスティア』
船内の。
あちこちから。
声が上がった。
泣く人。
笑う人。
家族と抱き合う人。
『予定より』
ミレイが。
ほんの少し笑う。
『九十二年ほど遅れました』
船内に。
大きな笑いが広がった。
『でも』
少し間を置いて。
『今度こそ、到着します』
そして。
外部牽引艦から。
推力が伝わる。
《オルフェウス》が。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
動き始めた。
◇
「出た……」
窓の外。
九十二年間。
この船を閉じ込めていた《ミルトン裂溝》の暗い空間が。
少しずつ遠ざかっていく。
「お父様」
リリィが。
俺の手を握った。
「この船は、もう遭難船ではありませんね」
「うん」
俺は。
前を見る。
目的地がある。
航路がある。
周囲には。
七艦隊の護衛艦と医療艦。
そして。
船内には。
帰ろうとしている人たちがいる。
「もう移民船だよ」
九十二年前と同じ。
《オルフェウス》は。
再び。
目的地へ向かう船になった。
その瞬間。
船内表示が。
古い文字で更新された。
『航海状態』
『救難待機』
その文字が消え。
代わりに。
『通常航行』
と表示される。
俺は。
思わず笑った。
「やっとだな」
九十二年間。
助けを待っていた船は。
ようやく。
救難信号を止めた。
そして。
セレスティアまで。
残り十七時間。
《オルフェウス》最後の航海が始まった。




