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第56話 九十二年ぶりに移民船の扉を開けたら、最初に起きた人から「救助はまだですか」と聞かれました

 民間移民船オルフェウスで確認された生命反応は、四千百二十六。


 その数字が分かったからといって、すぐに全員を起こせるわけではなかった。


 九十二年前の低代謝休眠装置は、本来なら数か月から長くても数年程度の使用を想定したものだ。それを《オルフェウス》は、故障した船体を抱えたまま九十二年間維持してきた。


 動いていること自体が異常だった。


「まず、船から出すことより休眠設備を安定させる方が先か」


 中央母艦の救難指揮室で俺が確認すると、エリスが《オルフェウス》の断面図に色を重ねた。赤く表示された区画ほど電力供給が不安定で、特に第四休眠区画は危険な状態らしい。


「はい。現在の最大の問題は、外部から大量電力を送り込めば解決するような単純な構造ではないことです。旧式休眠装置は供給電圧の急激な変化に弱く、九十二年間の劣化を考慮すると、正常値まで一気に戻すことで停止する可能性があります」


「昨日のビーコンと似てるな。古い機械って、元気にしようとして急に電気入れると嫌がるんだよ」


「機械を老人のように表現するのは技術的には不正確ですが、今回は理解として概ね正しいです」


「珍しく褒められた気がしない」


 医療側からも条件が示されていた。


 休眠者は、一人ずつ状態を確認してから段階的に覚醒させる必要がある。九十二年という時間が身体にどれほどの影響を与えたのか、今の医学でも実例がない以上、最初の一人を起こすだけでも慎重にならざるを得ない。


「現地医療艦は?」


「二隻が到着済みです。さらに第四艦隊から大型医療母艦一隻が向かっています。必要であれば中央母艦側にも最大一万人分の長期治療区画を準備できます」


 アルカの説明を聞きながら、俺は改めて七艦隊の規模を実感した。


 百十七年前なら、四千人以上の患者を受け入れる場所を用意するだけで大騒ぎだっただろう。


 今は違う。


 必要だと言えば。


 もう動いている。


「じゃあ、こっちは焦らなくていいな。船が九十二年も頑張ったんだから、最後の数時間で無茶する必要はない」


 俺がそう言うと、アルカが静かに頷いた。


「その判断で進めます」


 以前なら。


 俺自身が焦っていたと思う。


 目の前に壊れかけているものがあるなら、一秒でも早く触りたくなる。


 でも今は。


 直す人も。


 治す人も。


 運ぶ人もいる。


 俺は全部やらなくていい。


     ◇


 《オルフェウス》へ最初に入ったのは、人間ではなく無人機だった。


 救難用の小型機が気密扉を開き、船内の空気、微生物、放射線量、有害物質を調べる。


 九十二年間ほぼ閉じられていた船内は、驚くほど保存状態がよかった。


 もちろん無傷ではない。


 照明の大半は落ち、通路の壁には応急修理の跡が残っている。扉のいくつかは溶接され、故障した区画を物理的に切り離した形跡もあった。


「これ、全部事故直後にやったのかな」


「一部は違います」


 エリスが修理痕を年代別に色分けした。


「最も新しい補修跡は、推定十一年前です」


「十一年前?」


「自動保守機が現在まで活動を続けていた可能性が高いです」


 映像が切り替わる。


 通路の奥。


 一台の小さな作業機械が、壁際で停止していた。


 片方の作業腕がなく、車輪も一つ欠けている。


「これが?」


「《オルフェウス》標準搭載の保守機です。機体番号M-06。活動ログを取得できました」


 ログを見る。


『冷却管補修』


『空調系統切替』


『休眠区画第三群 電源再接続』


『部品不足』


『代替部品作成』


 そして。


『移動機能低下』


『重要度判定』


『休眠区画維持を優先』


 最後の記録。


『作業完了』


「……こいつも頑張ったんだな」


 俺がそう言うと、エリスが一度だけ作業機の映像を見た。


「現在は完全停止しています」


「直せる?」


「可能性はあります」


「じゃあ人命救助が終わったあとでいいから、状態だけ見てやって」


「了解しました」


 その返事を聞きながら。


 なんとなく。


 昔の自分なら最初にそっちを直し始めて、ダリオさんに怒られただろうなと思った。


 今は順番を守る。


 少しは成長したらしい。


     ◇


 最優先になったのは、第四休眠区画だった。


 四百三十一基。


 そのうち八十七基で、生命維持系統に軽度から中度の異常が出ている。


 現地医療班は、休眠装置を一基ずつ現行設備へ接続しながら状態を確認していった。


『第四区画、外部電源安定。冷却系統を現行設備へ段階移行します』


『休眠装置四〇九番、脳波反応維持』


『四一〇番、循環系に異常なし』


『四一一番――追加医療支援を要請』


 数字だけを聞いていると。


 四千人という巨大な塊に感じてしまう。


 でも一基の中には、一人ずつ人がいる。


 名前もある。


 家族もいたはずだ。


 九十二年前に。


 新しい星へ移り住もうとしていた人たち。


「最初に誰を起こすか決まった?」


 俺が聞くと、エリスが候補者を表示した。


「医療班は、休眠状態が最も安定しており、かつ船内運用情報を持っている乗員を優先したいとしています」


「船員?」


「はい。航法士ミレイ・オーランド。第55話で確認した最終有人記録を残した人物です」


 俺は画面を見る。


 九十二年前。


『もし救難網がまだ生きているなら、いつか誰かが見つけてください』


 そう残した女性。


「生きてるんだ」


「生命反応は安定しています」


「じゃあ、その人がいい」


     ◇


 覚醒処置には。


 三時間近くかかった。


 一気に起こすわけではない。


 体温を上げ。


 代謝を戻し。


 循環を確認し。


 神経反応を見ながら。


 少しずつ。


 俺は中央母艦から見ていただけだったが、現地医療班には相当な緊張があったらしい。


『覚醒段階三へ移行』


『自発呼吸確認』


『脳波正常範囲』


『刺激反応あり』


 そして。


 医療艦の映像に。


 一人の女性が映った。


 長い休眠で筋力が落ちているため、身体の大半は医療装置に支えられている。


 髪は短い。


 見た目だけなら。


 九十二年前の記録映像と、ほとんど変わっていない。


「時間の感覚、変になるな」


「本人にとってはさらに大きいでしょう」


 アルカが静かに答える。


 ミレイの瞼が。


 ゆっくり開いた。


     ◇


『聞こえますか。ここは救難医療艦です』


 医師が慎重に声をかける。


 ミレイはすぐには答えなかった。


 目を動かし。


 天井を見て。


 自分の身体を確認する。


『……医療、艦?』


『はい。安全な場所です。急いで動こうとしないでください』


 乾いた声。


 でも。


 会話はできる。


『《オルフェウス》は?』


『発見されています。現在、乗員と乗客の救助作業を進めています』


 ミレイの表情が変わった。


『救助……?』


 次の言葉が。


 俺には一番きつかった。


『救助隊は、まだ来ていないんですか?』


 医師も。


 一瞬。


 返事に困った。


 ミレイにとって。


 九十二年は経っていない。


 おそらく。


 休眠に入ってから。


 数時間。


 あるいは眠った感覚すらないのだろう。


『もう来ています』


 医師は優しく答えた。


『あなたは救助されました』


 ミレイは。


 しばらく意味を理解できない顔をしていた。


『……みんなは?』


『現在確認できているだけで、四千百二十六名に生命反応があります』


 目を見開く。


『そんなに……残ってる?』


『はい』


『九十二……』


 医師が。


 そこで。


 最も難しいことを伝えた。


『ミレイさん。落ち着いて聞いてください。あなたが休眠へ入ってから、九十二年が経過しています』


「……」


 映像越しなのに。


 こちらまで息が詰まる。


 ミレイは。


 何も言わなかった。


 冗談だと思ったのかもしれない。


 理解できなかったのかもしれない。


 やがて。


『九十二年?』


『はい』


『……私、二十九なんですけど』


『身体年齢については今後詳細に検査しますが、休眠中の代謝は極端に抑えられていました』


『そうじゃなくて』


 ミレイは。


 困ったように笑った。


『母が……』


 声が止まった。


 九十二年。


 それが何を意味するのか。


 ようやく。


 届いたのだと思う。


     ◇


 医師は。


 無理に説明を続けなかった。


 時間を置く。


 水分を与える。


 医療班も。


 ちゃんと分かっている。


 起こすことと。


 帰すことは。


 同じじゃない。


 身体を助けただけでは終わらない。


 九十二年後へ。


 この人たちは戻ってくる。


 そこから先の方が。


 長いかもしれない。


「アルカ」


「はい」


「家族、調べられる?」


「すでに照合を始めています」


「子孫とか」


「可能な限り」


 直接知っている家族は。


 ほとんど残っていないだろう。


 でも。


 ダリオさんの子孫と会った俺には。


 少し分かる。


 時間が経ったからといって。


 全部が消えるわけじゃない。


     ◇


 一時間後。


 ミレイが。


 もう一度話したいと言った。


 相手は。


 救難責任者。


 つまり。


「何で俺?」


「《オルフェウス》へ送った返信記録に、最高司令部名義が残っているためです」


 エリスが言う。


「現地の救難艦長じゃ駄目?」


「本人が、最初に救難網へ返事をした責任者と話したいと」


「それ俺なんだ……」


 仕方ない。


 通信を開いた。


 画面の向こう。


 ミレイはまだベッドに横になっている。


 顔色は良くない。


 でも。


 さっきよりは落ち着いていた。


『……相良ユウト、最高司令官?』


「相良ユウトでいいです。最高司令官は、まあ今は気にしなくていいので」


『その肩書きを気にしないのは無理だと思います』


「今日起きた人にまで言われた……」


 ほんの少し。


 ミレイが笑った。


 それだけで。


 少し安心した。


『あなたが、私たちを見つけたんですか?』


「俺一人じゃないですよ。昔の救難設備が信号を拾って、七艦隊の人たちが位置を探して、探査艦が見つけて、今は医療班が助けてる。俺は最初の信号を見ただけです」


『でも』


 ミレイが。


 少し間を置いた。


『聞こえたんですよね』


「何が?」


『私の記録』


 九十二年前の。


 最後の音声。


「聞きました」


『恥ずかしいな……』


「ちゃんとしてましたよ」


『二十九歳の私が、九十二年後の人に褒められても困ります』


「俺も百十七年前の人間なので、そこはお互い様です」


『……え?』


「あ」


 アルカが横で額を押さえた。


「説明してなかった?」


「今、初めてです」


 ミレイが。


 本気で困った顔をしている。


『九十二年後に起きたら、救助してくれた最高司令官が百十七年前の人だった……?』


「ちょっとややこしいですよね」


『ちょっと?』


「かなり」


 今度は。


 ミレイがちゃんと笑った。


     ◇


『乗客は、本当に助かりますか?』


 しばらく話したあと。


 ミレイが聞いた。


 俺は。


 適当なことは言わなかった。


「全員助かるとは、まだ言えません。状態の悪い人もいます。でも、今確認できている四千百二十六人については、医療班が一人ずつ見ています」


『そうですか』


「あと、船もまだ生きてます」


『《オルフェウス》が?』


「ぼろぼろですけど」


『……そうでしょうね』


「自動保守機も一台、最後まで動いてたみたいです」


 ミレイの目が。


 大きく開いた。


『M-06?』


「知ってる?」


『私が最後に保守設定を確認した機体です』


「それなら多分、その子です」


『……動いてた?』


「十一年前まで修理記録があります。今は止まってるけど、救助が終わったら直せるか見る予定です」


 ミレイは。


 目を閉じた。


『よかった』


 その一言が。


 人に向けたものなのか。


 船に向けたものなのか。


 機械に向けたものなのか。


 全部なのかもしれない。


     ◇


 その日のうちに。


 さらに五人が覚醒した。


 船長。


 機関士。


 医療主任。


 通信士。


 そして一般乗客一名。


 全員。


 混乱した。


 当然だった。


 昨日だと思っていた世界が。


 九十二年前になっている。


 目的地だった開拓圏は。


 もう巨大な有人星域へ成長している。


 知っている会社はない。


 知っている政治家もいない。


 家族は。


 多くの場合。


 いない。


 それでも。


 共通していた質問があった。


『他のみんなは?』


 自分のことより。


 まず。


 船に残した人たちを聞く。


「この船の人たち、似てるな」


 俺が呟くと、アルカがこちらを見る。


「何がですか?」


「自分より、他の人の心配するところ」


「誰かにも似ています」


「それ俺って言いたい?」


「はい」


「最近分かるようになった」


     ◇


 夜。


 救難計画が更新された。


 全員を一度に覚醒させない。


 休眠装置の状態が悪い者から医療管理下へ移し、身体が安定している者については無理に起こさず、安全な現行設備へ移送する。


 《オルフェウス》そのものも急いで廃棄しない。


 事故原因。


 九十二年間の保守記録。


 救難網が途絶えた理由。


 調べるべきことが大量に残っている。


「じゃあ、今日はここまで」


 俺が端末を閉じると。


 アルカが少し驚いた顔をした。


「何?」


「自分から終了するとは思いませんでした」


「俺だって成長するよ!」


「素晴らしい進歩です」


「褒め方が子供みたいなんだよな……」


 部屋を出ようとしたところで。


 一つ。


 通知が入った。


『ミレイ・オーランドより相良ユウトへメッセージ』


「何だろ」


 開く。


 短い文章だった。


『救助ありがとうございます』


 その下。


『でも、まだ「帰った」とは思えません』


 俺は。


 そこで止まった。


『九十二年後がどんな場所なのか、何も知りません』


『みんなが起きた時、行く場所はありますか?』


 四千人。


 救助して。


 起こして。


 治療して。


 それで終わりだと思っていた。


「……そっか」


 違う。


 あの人たちは。


 移民だった。


 元の家を出て。


 新しい場所へ行く途中だった。


 戻る故郷を失った人もいる。


 向かうはずだった場所は。


 九十二年先の世界になっている。


「アルカ」


「はい」


「一個、仕事増えた」


 俺はメッセージを見せた。


 アルカも。


 すぐに意味を理解した。


「居住地の確保ですね」


「それだけじゃない気がする」


 住所を用意すればいい話ではない。


 九十二年前の法律。


 資格。


 お金。


 仕事。


 教育。


 家族。


 全部。


 今とは違う。


「この人たち、救助したあとどうするかまで考えよう」


「七艦隊だけで決めますか?」


「いや」


 俺は首を振った。


「起きた人たちにも聞こう。勝手に行き先決めたら、それこそ移民じゃなくなる」


 アルカが。


 少し嬉しそうに笑った。


「承知しました」


     ◇


 翌朝。


 俺が起きると。


 もう。


 会議案が出来ていた。


『《オルフェウス》帰還者生活再建支援会議』


「名前固いな」


『参加予定』


『七艦隊』


『中央母艦行政部門』


『旧セレスティア開拓圏現政府』


『医療機関』


『法務機関』


『移民船乗員代表』


「ちゃんとしてる」


『最高責任者』


「嫌な予感」


『相良ユウト』


「何で!?」


 アルカが。


 朝食を運びながら答えた。


「ユウトが『救助したあとまで考える』と発言しましたので」


「考えるとは言ったけど、全部の責任者になるとは言ってない!」


「では名称を変更しますか?」


「そうして!」


『変更候補』


『帰還支援管理人』


「管理人に戻ってる!」


 百十七年前。


 廃棄宇宙船の管理人だった俺は。


 九十二年間帰れなかった四千人を見つけた結果。


 今度は。


 人間の帰る場所まで管理することになりそうだった。


「俺の仕事、どんどん範囲広がってない?」


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