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第55話 九十二年前の遭難信号を追ったら、四千人がまだ帰るのを待っていました

 九十二年前に消息を絶った民間移民船オルフェウスから、識別符号を含む微弱信号が届いた。


 その事実だけで、中央母艦の技術管制室は一気に緊張した。


 けれど、俺たちはすぐに艦隊を動かさなかった。


 《オルフェウス》そのものが今も存在しているとは限らない。救命艇や非常用ビーコンだけが残っている可能性もあれば、百年近く漂流した残骸から自動信号が漏れているだけかもしれない。


 何より、九十二年前の未帰還船だ。


 そこに四千八百十二人が今も生きていると考えるには、分からないことが多すぎた。


「まず信号源の位置を絞ろう。今の星図だけじゃなくて、《オルフェウス》が消えた当時の航路と重力場も重ねてほしい。九十二年も経ってるなら、当時と同じ場所にいるとは限らないから」


 俺がそう言うと、エリスはすぐに解析領域を広げた。


「旧連邦時代の航路情報を復元します。当時の恒星運動、既知の重力異常、航路閉鎖理由も同時に照合します。ただし資料欠損が多く、現在座標への変換には相応の誤差が出ます」


「誤差が出る前提でいいよ。候補を消していけばいい」


 アルカも七艦隊側の探索記録を呼び出していた。


「《オルフェウス》消失後、旧連邦は三度の大規模捜索を実施しています。その後も民間団体による探索が続いていますが、四十三年前を最後に正式な捜索記録はありません」


「どうして打ち切ったの?」


「最後に確認された進路上に、大規模な空間乱流域が形成されたためです。当時の技術では深部探索が困難と判断されています」


 表示された古い星図には、航路の先を覆うように赤い領域が広がっていた。


 俺にも見覚えがある。


「ここ、《ミルトン裂溝》じゃないか?」


「現在名称ではその通りです」


「昔はそんな呼び方してなかったけど……あそこ、今も危ない?」


「危険度は低下しています。ただし内部には複数の重力断層が残っており、大型艦隊の一括侵入は推奨されません」


 なるほど。


 だから九十二年間、見つからなかった可能性はある。


 だが、それだけでは説明が足りない。


「信号が今になって届いたのは?」


「先ほど復旧した帰還支援網が、旧式識別符号を再送した結果と考えられます」


 エリスが信号経路を可視化する。


 俺たちが起動した第九十四処分宙域の中継器。


 そこから旧救難網へ呼びかけが広がり、今も残っている設備が順番に応答した。その一つが、九十二年間誰にも拾われなかった信号を掘り起こしたらしい。


「つまり《オルフェウス》が急に信号を出したんじゃなくて、昔の救難網が久しぶりに『まだいるか』って聞いたから、向こうが返事した?」


「現時点では、その可能性が最も高いです」


「……律儀な機械だな」


 九十二年間。


 呼ばれなかったから黙っていた。


 呼ばれたら返事をした。


 それだけなのかもしれない。


 それでも、その返事が残っていたという事実は大きかった。


     ◇


 解析開始から二時間後。


 最初の候補座標が出た。


 《ミルトン裂溝》外縁から約三・七光年内側。


 通常航路から大きく外れた場所だった。


「こんなところまで流されたの?」


「単純な漂流では説明できません」


 エリスが軌道予測を重ねる。


「消失当時に重力断層へ巻き込まれ、通常空間へ復帰した位置が記録上の予測と異なっていた可能性があります。その場合、旧連邦の探索範囲から外れたことにも説明がつきます」


「今なら行ける?」


 アルカが答えた。


「大型主力艦を直接投入する必要はありません。高機動探査艦と救難艦を先行させ、状況確認後に必要戦力を追加するのが妥当です」


「じゃあ、それで行こう。探査だけなら、できるだけ静かに」


「理由を伺っても?」


「もし本当に生存者がいたら、いきなり七艦隊が何百隻も現れたら怖いだろ」


 九十二年間も孤立していたなら、なおさらだ。


 アルカはわずかに目を細め、それから頷いた。


「第三艦隊より長距離探査艦二隻、第七艦隊より救難支援艦一隻を派遣します。医療班も待機させますが、接触確認までは後方に置きます」


「お願い」


 昔の俺なら、自分で見に行きたがったと思う。


 今も正直、気にはなる。


 でも。


 俺が現地へ行かなければ話が進まないわけではない。


 そこはもう分かっていた。


     ◇


 派遣艦が《ミルトン裂溝》へ到着するまでの間、俺たちは《オルフェウス》そのものについて調べた。


 建造から百年以上経っている船なのに、記録は驚くほど多く残っていた。


民間移民船オルフェウス


『登録乗員四百十二名』


『移民乗客四千四百名』


『目的地――旧セレスティア開拓圏』


「四千八百十二人って、全員合わせた数だったんだな」


「はい」


 リリィたちが学校から戻ったあとも、俺が端末を見ていると、三人も自然に集まってきた。


「お父様、その方たちはどこへ行く途中だったのですか?」


「新しい星に住む予定だったみたいだよ」


「着けなかった?」


 ハルが尋ねる。


「記録上はね」


 アカリは船の仕様を見ていた。


「父上。この船には長期休眠設備がある」


「休眠?」


 俺も画面を見る。


『長距離移民用低代謝休眠区画』


『最大収容四千六百名』


「これって、今の冷凍睡眠みたいなもの?」


「現行技術ほど完全ではありません」


 エリスが説明する。


「当時の長距離移民船では、航行中の食料・酸素消費を抑えるため、乗客を低代謝状態へ移行させる設備が使用されていました。通常運用なら数か月から数年程度を想定したものです」


「九十二年は?」


「想定外です」


 やっぱり。


 簡単な話ではない。


「でも設備が動いてたら、生きてる可能性はある?」


「ゼロではありません。ただし、正常な管理なしに九十二年間維持できたとは考えにくいです」


 俺は画面に表示された《オルフェウス》の断面図を見た。


 休眠区画。


 予備電源。


 生命維持。


 修理用無人機。


 そして。


「この船、自動保守システム積んでるな」


「はい。移民船では一般的です」


「九十二年間、こいつがずっと面倒見てた可能性は?」


 エリスが少し黙った。


「あります。ただし、その場合は非常に特殊な運用が必要です。乗員側の指示なしで、電力配分、休眠維持、故障区画切り離しを長期間継続しなければなりません」


「でも、信号を返した」


「はい」


 それだけで。


 少し期待してしまう。


 期待しすぎるな。


 自分にそう言い聞かせながら、俺は探査艦からの報告を待った。


     ◇


 派遣艦から最初の通信が届いたのは、その日の夜だった。


『最高司令部、こちら探査艦シェード。指定座標へ到着しました。旧式識別信号を直接受信しています』


 俺は夕食を中断して立ち上がりかけた。


 アルカに肩を押さえられた。


「座ったままで聞けます」


「……はい」


「食事も続けてください」


「この状況で?」


「ダリオ主任なら、そう命じると思います」


「強いな、その名前」


 仕方なく箸を持ったまま、通信画面を見る。


 探査艦の艦長が続けた。


『信号源まで約二十七万キロ。現在、無人探査機を先行させています。ただし対象周辺に大量の金属反応があります』


「船?」


『まだ断定できません。破片群の可能性もあります』


「近づきすぎないで。まず外から形を取って」


『了解』


 映像が少しずつ更新される。


 暗い宇宙。


 細かな金属片。


 大きな影。


 最初は何なのか分からなかった。


 だが。


 無人探査機が回り込み。


 光が当たった。


「……いた」


 俺は。


 箸を持ったまま、画面を見つめた。


 巨大な船体。


 外装は何か所も剥がれ、片側の推進区画はほとんど失われている。


 それでも。


 船首部分に。


 古い文字が残っていた。


『ORPHEUS』


 《オルフェウス》。


 九十二年前に消えた船が。


 本当にそこにいた。


     ◇


『船体から微弱電力反応を確認』


 探査艦からの報告が続く。


『主機関停止。補助電源反応あり。外部照明なし。ただし船内の複数区画に通電を確認しています』


「通信は?」


『こちらから呼びかけていますが、現時点で音声応答はありません』


「自動信号だけか……」


『ただし』


 艦長が言葉を区切った。


『船体外部に新しい損傷修復跡があります』


「新しい?」


『周辺付着物の年代分析上、少なくとも九十二年前の事故当時より後に補修されています』


 管制室がざわめいた。


「誰かが直したってこと?」


『自動修理機の可能性があります』


「そっか」


 人が起きている証拠ではない。


 でも。


 船は。


 ただ漂っていただけではなかった。


 九十二年間。


 何かが。


 壊れるたびに直していた。


「もう少し近くまで無人機を」


『進入を試みます』


 探査機が船体側面へ接近する。


 古い気密扉。


 反応なし。


 次。


 補助整備口。


 こちらも閉じている。


「旧式の外部診断端子は?」


 俺が聞くと、エリスが船体図から場所を示した。


「船首下部に三系統あります」


 無人機が移動し。


 端子へ接続。


『外部診断を開始します』


 数秒。


 表示が開いた。


 最初に出たのは。


『主機関 停止』


『航法中枢 損傷』


『船体健全性 三一%』


 酷い状態だった。


 それでも。


 次の項目。


『生命維持区画 稼働』


 俺の手が止まった。


「……稼働してる」


『休眠区画への電力供給を確認します』


 さらに。


 表示。


『低代謝休眠装置』


『稼働基数――四千三百九十七』


 誰も喋らなかった。


 俺も。


 数字の意味をすぐには理解できなかった。


「四千三百九十七……」


「装置が動いている数です」


 エリスの声も。


 いつもより少しだけ低かった。


「中に人がいるか確認できる?」


『生体状態取得を試みます』


 探査艦側が診断階層を一つずつ開く。


 古い装置だ。


 今の医療規格とは違う。


 時間がかかる。


『第一群、生命反応あり』


 俺は。


 息を止めた。


『第二群、生命反応あり』


 次。


『第三群――一部異常。多数の生命反応を確認』


 画面に。


 数字が出始める。


 百。


 五百。


 千。


 その数が増えていくたびに。


 部屋が静かになっていった。


『生体反応確認数、四千百二十六』


「……四千人」


 リリィが。


 俺の隣で小さく呟いた。


 四千百二十六人。


 九十二年間。


 帰れなかった人たちが。


 まだ。


 生きている。


     ◇


 喜ぶのはまだ早かった。


『複数の休眠装置で生命維持異常を確認。特に第四区画では電力供給が不安定です』


 エリスがすぐに状態を解析する。


「四千百二十六名全員が安定しているわけではありません。現行医療基準で即時覚醒可能かも不明です。長期休眠による臓器損傷も想定すべきです」


「救難支援艦を前へ出そう」


 アルカが俺を見る。


「同意します。ただし、船内環境の確認前に大量の人員を送り込むのは危険です」


「じゃあ無人機から。休眠区画を維持するのを最優先にして、医療班は船の外で待機。起こすのは状態を見てから」


「了解しました」


 七艦隊が動き始める。


 医療艦。


 電力支援艦。


 修理艇。


 輸送船。


 今度は三百人ではない。


 四千人以上。


 しかも九十二年間眠っていた人たちだ。


 俺一人が何かしてどうにかなる数ではない。


 だから。


 みんなでやる。


     ◇


『追加情報があります』


 探査艦から。


 また通信が入った。


「どうした?」


『船内中枢から自動記録を取得しました』


「見せて」


 画面が。


 切り替わる。


『非常事態発生』


『航路復帰不能』


『救難信号送信』


『応答なし』


 九十二年前の記録。


『乗客休眠維持を最優先』


『乗員による修復作業開始』


 そこから。


 日付が進んでいく。


 一日。


 三日。


 十日。


 一か月。


『救難信号継続』


『応答なし』


『電力配分変更』


『非重要区画停止』


 さらに。


『乗員休眠移行』


 最後まで起きていた人間も。


 少しずつ眠りについたらしい。


 そして。


 最後の有人記録。


『救難担当航法士 ミレイ・オーランド』


 音声が残っていた。


『これを誰かが聞いているなら、《オルフェウス》はまだ残っているということだと思います』


 若い女性の声だった。


 疲れている。


 それでも。


 落ち着いている。


『乗客を全員、休眠へ移しました。乗員も順次入ります。船の自動保守系へ、生命維持を最優先するよう設定しました』


 少し。


 息を吸う音。


『どれだけ持つかは分かりません』


 そして。


『もし救難網がまだ生きているなら、いつか誰かが見つけてください』


 音声が終わった。


 部屋の中。


 誰も。


 しばらく言葉を出せなかった。


 俺は。


 画面に残る。


『救難案件状態 未完了』


 という文字を見た。


 九十二年間。


 終わっていなかった。


「アルカ」


「はい」


「返事、送れる?」


「《オルフェウス》の船内通信へ?」


「うん」


 眠っている人たちには。


 今は聞こえないかもしれない。


 それでもいい。


「何と送りますか?」


 俺は。


 少し考えた。


 九十二年前。


 いつか誰かが見つけてください。


 そう残した人へ。


「見つけたって」


 アルカが。


 こちらを見る。


「それだけですか?」


「あと」


 俺は。


 四千を超える生命反応が並ぶ画面を見る。


「帰れるようにするから、もう少しだけ待っててって」


 アルカは。


 静かに頷いた。


『こちら七艦隊最高司令部』


民間移民船オルフェウスへ』


『救難信号を受信した』


『船体および生存者を確認』


『救難活動を開始する』


 そして。


 最後に。


『――見つけた』


 九十二年前に送られた救難信号へ。


 ようやく。


 返事が届いた。


 俺はその通信を見ながら、思う。


 昨日まで。


 《オルフェウス》は。


 九十二年前に失われた船だった。


 でも。


 今は違う。


 まだ帰っていないだけだ。


 帰れる人がいるなら。


 未帰還と。


 失われたは。


 同じじゃない。


「連れて帰ろう」


 誰に命令するでもなく。


 俺がそう言うと。


 アルカは隣で静かに答えた。


「はい。今度こそ、全員で」


 こうして。


 九十二年前に打ち切られた救難作戦が。


 百十七年前の管理人と。


 今の七艦隊によって。


 再開された。


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