第53話 百十七年前の廃棄ビーコンを起動したら、三百二十九人の帰り道になりました
ウェルズ家の親族会を出てから十分も経たないうちに、俺たちを乗せた小型艇は中央母艦の発着区画へ滑り込んだ。
着艦を待つ必要はなかった。こちらが到着するより先に救難対応用の指揮室が立ち上がっており、艇の扉が開いた時には、アルカの端末へ辺境第九航路の最新状況が次々と送り込まれている。
民間輸送船には乗員四十三名、乗客二百八十六名、合計三百二十九名が乗っていた。主推進器と航法装置を失い、旧第九十四処分宙域へ漂流中。生命維持系統そのものはまだ生きているものの、船体後部で発生した二次損傷によって電力供給が不安定になり始めていた。
「救助艦が最短で到達できるのは、どれくらい?」
移動しながら俺が尋ねると、アルカは歩調を緩めることなく答えた。
「第三艦隊所属の高速救難艦が最寄りです。すでに進路を変更しており、通常航行なら四十七分で宙域外縁へ到達します。ただし、問題はその先です」
空中に立体地図が開かれる。
現在の第九十四処分宙域は正式な航路から外れているものの、百十七年前には廃棄予定の船体や大型設備を一時的に集積する場所として使われていた。当時から危険な場所で、巨大な船体を解体せず、そのまま係留していた場所もある。切り離された推進器、使われなくなった補給施設、空になった燃料槽。そういうものが、規則正しく並んでいるわけではない。
しかも百年以上放置された結果、軌道は少しずつ崩れている。
「《アルメリア》は、この辺りか」
「はい。現在も低速で内部へ流されています。外部から取得できる位置情報には最大で四百二十メートルの誤差があり、大型救難艦をそのまま進入させるのは危険です」
「四百メートルか。あそこじゃ大きすぎるな」
俺の記憶にある第九十四処分宙域なら、場所によっては船体同士の間隔が百メートルもなかった。最新の艦なら障害物自体は検知できるだろうが、静止しているはずの旧構造物がゆっくり回転していたり、内部に反応のない金属塊が何重にも重なっていたりすれば、遠距離から完全な航路を作るのは難しい。
だからこそ、昔は誘導ビーコンを置いていた。
「エリス。さっきの型番、もう一度出してくれる?」
「旧連邦規格《LB-17型局所誘導標識》です。現存記録によれば、第九十四処分宙域には四十八基が設置されていました。ただし正式な停止処理から百十三年が経過しており、稼働中と確認された個体はありません」
「稼働していないのと、完全に壊れてるのは別だからな」
昔の設備は無駄に頑丈だった。というより、あの手の誘導装置は壊れると事故に直結するから、多少電源が不安定でも最低限の信号だけは吐き続けるよう作られていた。
俺は表示された仕様書を拡大する。外見も中身も、記憶にあるものとほぼ同じだった。
「これなら主電源が死んでいても予備セルがある。ただ、百年以上経っているなら普通は空だよな。外部受電端子は残ってる?」
「規格上は存在します。しかし現在の艦艇から直接給電するには変換が必要です」
「直接じゃなくていい。起動信号だけ通せれば、周辺の保守線から電力を拾うかもしれない」
アルカが立体地図へ視線を戻した。
「保守線そのものが生きている保証はありません」
「ないよ。でも、全部死んでいる保証もない」
以前なら、そこで俺自身が工具を持って確認しに行っていた。
けれど今は違う。
俺の前には七艦隊がある。
「旧式設備を扱える無人機を先行させよう。救難艦を突っ込ませる前に、使えるものが残っているか確認する。俺はここから手順を出す」
そう言うと、アルカの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
「承知しました。その判断なら、私から異論はありません。百十七年前のユウトなら、自分で小型艇に乗っていた可能性が高いので」
「……否定しづらいな」
「現在のユウトには、行かせません」
アルカは穏やかに言ったが、その言葉には一切の交渉余地がなかった。
ダリオさん。あんたの教育、百十七年後まで効いてるぞ。
◇
中央母艦の救難指揮室へ入ると、すでに七艦隊から必要な人員が集められていた。
巨大な戦闘指揮所ではない。円形の卓を中心に、救難艦の位置、《アルメリア》の状態、周辺障害物の推定配置が整理されている。通信、航法、救難、技術担当がそれぞれ必要な情報だけを扱い、余計な声はほとんど聞こえなかった。
こういう時の七艦隊は、本当に頼もしい。
『最高司令官、第三艦隊救難艦より接続します』
正面に通信画面が開き、短い銀髪の女性士官が映った。
『艦長のマルタ・ヘインです。現在、宙域外縁まで三十八分。搭載救難艇六隻、作業用無人機二十四機を即時投入可能です』
「無人機のうち、旧式端子へ物理接続できる機体は?」
『汎用作業腕を持つ機体が十二。変換端子は艦内製造設備で作成できます。必要な仕様を送っていただければ、到着までに準備します』
「助かる。昔の規格だから面倒だと思うけど、無理に今の通信系へ繋がなくていい。外部受電端子へ最低出力だけ入れて、自己診断が走るか見てほしい」
マルタ艦長はすぐに意図を理解したらしい。
『ビーコンそのものを完全復旧するのではなく、生きている個体を探すのですね』
「そう。全部直す時間はない。一基でも二基でも起きれば、その信号を基準点にできる。位置が確定したら、そこから次を拾えるかもしれない」
『了解しました。十二機を六組に分け、外縁側から探索します』
そこでエリスが横から補足した。
「LB-17型は単独運用ではなく、近接個体との相互補正機能を持っています。一基が正常起動した場合、隣接ビーコンへの旧規格呼出信号を自動送信する可能性があります」
「それだ」
昔、何度も世話になった機能だった。
一個ずつ位置を確認して回るのが面倒だから、保守員が一基を叩き起こせば、周囲の連中が順番に返事をする。当時は便利だと思っただけだったが、まさか百十七年後、三百二十九人を助けるために使うことになるとは思わなかった。
◇
その間にも《アルメリア》との通信は続いていた。
映像はほとんど届かない。音声も雑音が多く、数十秒ごとに途切れる。
『……こちらアルメリア。七艦隊最高司令部、応答を確認した。現在、船体第三区画まで乗客を移動中。負傷者十二名、うち重傷二名。生命維持は……現状維持可能』
船長らしい男の声は落ち着いていたが、呼吸は少し速い。
俺は通信担当へ目を向けた。
「直接話せるなら、回線を開いて」
「了解しました」
短い雑音のあと、こちらの声が向こうへ通る。
「《アルメリア》、こちら相良ユウト。状況はこっちでも見てる。今、救難艦を向かわせてるから、無理に船を動かさないでほしい」
しばらく返事がなく、通信が切れたのかと思った頃、向こうから少し戸惑った声が返ってきた。
『……相良ユウト? 最高司令官ご本人ですか?』
「そうらしい。でも今は、救難担当だと思ってくれればいい」
指揮室の何人かが微妙な顔をしたが、誰も口には出さなかった。
向こうでは、船長が一度深く息を吐いたようだった。
『失礼しました。船長のレオン・ハルバートです。主推進器は完全停止、姿勢制御は前部スラスター二基のみ使用可能です。ただ、漂流を止めようとすると電力消費が生命維持へ影響します』
「なら今は使わなくていい。こっちで航路を作るから、それまでは人を一か所に集めすぎないようにして、隔壁だけ確保してほしい。船体が何かに当たりそうなら、その時だけ姿勢制御を使って」
『了解しました。乗客には、どこまで説明すべきでしょうか』
その質問に、俺は少しだけ考えた。
安心しろ。絶対助かる。
そう言えれば格好いいのかもしれない。
でも、まだ分からない。旧ビーコンが本当に動くかも、救難艦が内部へ入れるかも、何も確定していない。
「嘘は言わなくていいよ。救助隊が来ていることと、こっちが信号を見失っていないことだけ伝えて。それから通信は切れても慌てなくていい。こっちからも呼び続けるから」
一瞬、向こうが静かになる。
『ありがとうございます』
それだけ返ってきた。
◇
三十一分後、《ヴァルナ》が第九十四処分宙域の外縁へ到達した。
そこからは、待つ時間だった。
『無人機一号、旧誘導標識へ接近。外装損傷多数。識別表示を確認――LB-17、個体番号九四〇七』
映像に、懐かしい形が映った。
黒ずんだ円筒。側面には昔の連邦規格で警告文字が残っている。
「端子は下側。蓋が固着してるなら、右へ回すんじゃなくて、一度押し込んでから左へ回してみて」
『……開きました』
無人機担当が少し驚いた声を出す。
「昔からあれ、分かりにくかったんだよ」
指示通り、仮設変換端子が接続される。
『給電開始。反応なし』
十秒。
二十秒。
『内部電圧上昇を確認。ただし制御部から応答ありません』
やっぱり無理か。
百年以上経っているのだから、当然だ。
そう思った時、記憶の奥から一つ浮かんだ。
「待って。一度給電を切って。五秒置いて、今度は最初の半分の出力で入れ直してみて。あいつ、電圧が一気に上がると保護回路が閉じる」
エリスが旧仕様書を高速で確認する。
「記録には記載がありません」
「現場改修されたやつだと思う。同じ症状を何度か見たことがある」
五秒置いて、再給電。
画面の中では、しばらく何も起こらなかった。
さらに三秒後。
円筒の側面に、小さな赤い光が点いた。
『応答あり! 旧識別信号を受信。座標補正開始……固定点取得しました!』
指揮室の空気が変わる。
「周辺呼出は?」
『自動送信を確認。旧規格帯域で応答待機中――九四一一、応答。九四一二、微弱応答。九四一六、正常』
黒かった立体地図に、小さな点が浮かび始める。
一つだった反応が二つになり、三つになり、やがて点が線へ変わっていく。
百年以上前に捨てられた設備が、一基ずつ眠りから起きていく。
「……まだ働けるじゃん」
俺が呟くと、アルカが隣で小さく笑った。
「誰かに似ていますね」
「俺は廃棄されてないよ?」
「百十七年眠っていましたから、少しくらいは似ています」
「そこ一緒にする?」
◇
最終的に応答したビーコンは、四十八基のうち十八基だった。
半分にも届かない。
それでも十分だった。
位置が確定した十八点を基準に過去の配置図と現在の探査情報を重ねると、さっきまで曖昧だった処分宙域内部の構造が急速に形を持ち始める。《アルメリア》の位置誤差も、四百二十メートルから十九メートルまで縮まった。
「これなら、救難艇は入れる?」
俺が尋ねると、《ヴァルナ》のマルタ艦長は少し間を置いてから答えた。
『本艦は無理です。しかし救難艇なら航路を設定できます。最短経路ではなく、障害物密度の低い南側旧保守路を使用します。第一艇接触まで十九分です』
「頼む」
『必ず連れて帰ります』
今度は、俺も何も付け足さなかった。
専門家がそう言うなら、任せればいい。
これも、百十七年前の俺には出来なかったことかもしれない。
◇
『アルメリア、こちら救難艇一号。船体を視認した』
その報告が入った瞬間、指揮室のあちこちから押し殺した息が漏れた。
立体映像には、巨大な旧輸送設備と壊れた船体の隙間に引っかかるように漂う《アルメリア》が映っている。船尾は大きく裂けていたが、前半部は残っている。
『接舷位置を確保。医療班から入ります』
救出は、そこからさらに時間がかかった。
重傷者、歩けない老人、幼い子供。一度に全員を運べるわけではない。救難艇が往復し、その間も《アルメリア》の船体はゆっくりと流れ続けた。
俺にできることはもう少なかった。
だから、黙って見ていた。
『第一便、七十二名収容。第二救難艇接舷。重傷者二名、医療区画へ搬送開始』
少しずつ残留者数が減っていく。
二百五十七人から二百一人へ。そこから百四十四人、八十六人。やがて船内に残ったのは、レオン船長と乗員四人だけになった。
『救難艇三号、最終収容を開始します』
最後まで船に残ったレオン船長から、通信が入った。
『最高司令部。こちらアルメリア船長。最後に一つ、確認してもよろしいでしょうか』
「聞こえてるよ」
『途中から旧誘導信号を受信していました。あれは……本当に百年以上前の設備なのですか?』
「そうみたい。昔の連中が、まだちょっと働いてくれた」
『それが、我々の位置を示していた?』
「うん」
通信の向こうで、船長が笑った気配がした。
『では、帰ったら礼を言う場所が多そうですね』
「機械だから、別にいらないと思うけど」
『それでもです』
俺は少しだけ考えてから答えた。
「じゃあ、無事に帰ってから言ってやって」
『了解しました』
数分後。
『アルメリア、全員退船。救助者総数、三百二十九名』
その報告が流れた瞬間、残留者数の表示がゼロになった。
◇
俺は椅子の背にもたれ、ようやく息を吐いた。
「終わったな……」
「はい。今度こそ、終わりました」
アルカも静かに頷く。
負傷者はいる。船も失うかもしれない。
それでも三百二十九人全員が帰ってくる。
「よかった」
それだけ言うと、今になって力が抜けた。
アルカがこちらを見るより先に、俺は苦笑しながら続ける。
「分かってるよ。現地には行ってないし、飯も食べるし、今日はちゃんと寝る。最近は何を言われるか先に分かるようになってきた」
「まだ何も言っていませんが、その理解があるなら問題ありません」
ベルが横で楽しそうに笑った。
「ウェルズ家の皆様と会った成果が、早くも出ましたわね」
「ダリオさんに今も監視されてる気がする……」
◇
問題は、その翌朝だった。
朝食を食べようとした俺は、端末に並んだ大量の通知を見て固まった。
『旧第九十四処分宙域・誘導網再評価』
『百十三年間停止扱いだった旧設備十八基が救難活動に寄与』
そこまではいい。
『七艦隊技術局、旧設備の一斉廃棄方針を再検討』
「……まあ、それも分かる」
何でも残せばいいわけではない。
でも今回みたいに、使えるものが眠っている可能性はある。
『民間航路管理局も旧式救難設備の再調査を開始』
「それもいいんじゃない?」
『対象設備、推定二千八百四十万基』
「規模が一気に銀河になるな……」
俺が呆れると、エリスが冷静に補足した。
「銀河全域です。すべてを修復するわけではありません。まず記録上廃棄扱いになっている設備の所在と状態を確認し、利用価値が残っているものだけを再評価します」
「それならいい。使えないならちゃんと捨てればいいし、まだ役に立つなら残せばいい」
「その発言も記録しておきます」
「何でも記録しなくていいから」
ところが、通知はまだ終わっていなかった。
『救助されたアルメリア乗客より共同要望』
表示された文章を読む。
『救助に使用された旧誘導ビーコン九四〇七の保存を希望』
「ビーコンを?」
『救難経路の最初の基準点となった設備です。名称案も同時に提出されています』
「名前まで?」
嫌な予感がしたが、表示された文字を見た瞬間、俺はすぐには何も言えなかった。
『《帰還灯》』
百十七年前、廃棄船が並ぶ場所で、ただ航路を示すために置かれた小さな誘導装置。
役目を終え、誰にも使われなくなって、百年以上。それでも完全には壊れず、昨日は三百二十九人の帰り道を作った。
「いい名前ですね」
リリィが嬉しそうに言った。
「うん。これは、いいと思う」
『保存申請を承認しますか?』
「していいよ。ただし、何でも歴史遺産にするなよ?」
『承認しました』
これで終わり。
そう思ったのだが。
『追加申請。救助された乗客三百二十九名より、相良ユウトへの面会希望があります』
「全員から?」
『代表者からの伝言があります』
端末に、短い文章が表示された。
『迎えに来てくれて、ありがとうございました』
「……俺は現地には行ってないんだけどな」
すると、アルカが静かに首を振った。
「いいえ、ユウト。あなたは自分で船を操縦する必要も、工具を持って現場へ入る必要もありませんでした。今のあなたには、行ける者を送り、知っている者の知識を集め、七艦隊すべての力を使うことができます」
百十七年前との違いを、俺自身より彼女の方がよく分かっているらしい。
「昨日、三百二十九人を迎えに行ったのは、あなた一人ではありません。私たち全員です」
俺は少しだけ黙ってから、ようやく頷いた。
「……そっか」
昔は、壊れたものを見つけたら自分で直すしかなかった。
でも今は違う。
俺には七艦隊がいる。
なら、これから帰れなくなった誰かを見つけても、一人で全部背負う必要はない。
「じゃあ面会は、救助に参加した人たちも一緒でお願い。《ヴァルナ》の乗員、救難艇、医療班、通信、航法、無人機担当、それから昨日ここで動いてた人たちも含めて」
『相良ユウト単独への謝意として申請されています』
「俺一人で受け取るのはおかしいだろ」
エリスがほんの少しだけ笑った。
「では、そのように調整します」
「お願い」
そこで、朝食を食べていたハルがふと端末を見上げた。
「父さん。昨日の旧ビーコン、十八基は起きたけど、残り三十基はどうする?」
俺の箸が止まった。
「……調べるだけだからな」
その瞬間、アルカの視線がこちらへ向く。
俺は先回りするように続けた。
「分かってる。自分では行かない。無人機で状態確認するだけだし、勤務時間内にやる。飯も抜かないし、夜まで続いたら明日に回す」
リリィとアカリが安心したように頷き、ベルは楽しそうに笑っている。
俺は思わず天井を見上げた。
百十七年前。
使えるものを捨てるのが嫌で、一人で勝手に残業していた俺は。
どうやら今。
使えるものを捨てる前に確認するために、十四人と三人から定時退勤を監視される最高司令官になっていた。
ずいぶん出世したはずなのに。
そこだけは昔より自由がなくなっている気がした。




