第50話 百十七年前の置き手紙を開いただけなのに、七艦隊の全員が黙り込みました
新人研修が正式に始まってから、旧廃棄船管理区画の整理は一気に進んだ。
といっても、何でも展示品にするわけではない。
俺が強く主張した結果、歴史資料院もようやく「昔のゴミまで全部ありがたがるのはやめよう」という方針を理解してくれたらしい。
少なくとも。
『相良ユウトが百十七年前に使用したと思われる布巾』
「捨てて」
『しかし』
「捨てて」
『歴史資料として――』
「汚い布巾を保存するな」
『……廃棄します』
「よし」
ここまでは勝った。
『相良ユウト旧私物箱』
「それも――」
『内部未確認』
「……私物箱?」
朝食中だった俺は、そこで手を止めた。
青い球体の上に、古びた金属箱の映像が浮かんでいる。
「こんなのあったっけ?」
『旧職員休憩室裏の個人保管棚から発見されました』
「俺の名前が?」
『はい』
側面に。
確かに薄く。
『相良』
と書かれていた。
「ユウト」
アルカが食卓の向こうからこちらを見る。
「開封許可を」
「別にいいよ」
「よろしいのですか?」
「百年以上前の俺の私物だろ。どうせ工具か着替えじゃない?」
そう言いながら。
俺自身。
少しだけ気になっていた。
何を入れたのか。
本当に。
覚えていなかったからだ。
◇
午後。
箱は中央母艦へ運ばれてきた。
歴史資料院の人間が立ち会いたいと言っていたが、俺が断った。
自分の昔の私物箱を開けるだけなのに、専門家が周囲を囲むのは落ち着かない。
だから。
居間にいるのは。
俺。
十四人。
それから学校を終えて帰ってきたリリィ、ハル、アカリ。
「何で全員いるの?」
「気になります」
リリィ。
「歴史資料」
ハル。
「父上の私物であれば確認が必要だ」
アカリ。
「子供まで俺のプライバシーを歴史資料扱いしないで」
「百十七年前です」
「時間が経てばプライバシー消えるわけじゃないからな?」
箱は。
本当に普通だった。
錆びた角。
擦れた表面。
昔の簡易ロック。
「これ、壊れてるな」
「開錠しますか?」
エリスが聞く。
「いや」
俺は。
箱の右下を二度叩いた。
少し持ち上げ。
左側を押す。
カチッ。
蓋が開いた。
「……」
全員が俺を見る。
「何?」
「故障していたのでは?」
「昔からこうだった」
「直さなかったのか?」
グレイス。
「使えたから」
「お前は何でも直すわけではないのだな」
「困らなければ後回しにするよ」
ベルが笑った。
「そこは妙に安心しましたわ」
「どういう意味?」
◇
中身は。
想像していた通り。
大したものではなかった。
古い作業用手袋。
交換用端子。
小型工具。
賞味期限が百年以上前に切れた非常食。
「これは絶対食べるなよ」
俺が言うと。
「父さんに言われたくない」
ハルが返してきた。
「今の俺だって食わないよ!」
「百十七年前なら?」
「……状態を見る」
「ユウト」
十四人から名前を呼ばれた。
「冗談!」
危ない。
昔の勤務記録が発掘されてから。
俺の食生活に対する信用が完全になくなっている。
「他は?」
リリィが覗き込む。
「服と……」
底に。
紙があった。
「手紙?」
何枚か。
束になっている。
俺は一枚取った。
『相良へ』
「あ」
見覚えのある字だった。
「休めって書いた人?」
アカリが聞く。
「たぶん」
「読んでも?」
「いいよ」
開く。
中には。
短い文章。
『また工具を持っていっただろ。返せ』
「……」
静かになった。
「終わり?」
クレアが聞く。
「終わり」
ハルが頷く。
「重要資料」
「重要じゃない!」
◇
二枚目。
『相良へ』
『二十七番の件、上には黙っておく。ただし電源系統を勝手に変更した報告書は出せ。俺に書かせるな』
「ベルだな」
「私ですわね」
「結構迷惑かけてたんだな、俺」
「今さらですの?」
「そこまで?」
三枚目。
『相良へ』
『保管期限を過ぎたコアを五基も残してどうするつもりだ。理由を書け』
裏。
俺の字。
『まだ動くので』
「……」
グレイスが額を押さえる。
「それで通したのか?」
「通ったんじゃない?」
「説明になっていない」
「でも事実だし」
四枚目。
『相良へ』
『飯を食え』
「また?」
五枚目。
『寝ろ』
「……」
六枚目。
『本当に寝ろ』
「増えてきた」
七枚目。
『医療区画へ行け』
「ユウト」
アルカの声が低くなった。
「昔の話!」
◇
「似たようなのばっかりだな」
俺は苦笑しながら。
最後の封筒を持ち上げた。
それだけ。
他と少し違っていた。
封がされたまま。
表には。
『相良ユウトへ』
フルネーム。
「……」
「ユウト?」
「いや」
何となく。
手が止まった。
「これだけ覚えてない」
封筒の端。
日付を見る。
百十七年前。
俺が事故に巻き込まれ。
長い眠りにつく。
その。
三日後。
「俺がいなくなった後の手紙だ」
部屋の空気が。
静かに変わった。
「開けますか?」
アルカが聞く。
「俺宛てだろ?」
「はい」
「じゃあ読むよ」
古い封を。
ゆっくり開いた。
◇
『相良へ』
『これを読んでいるなら、とりあえず生きて戻ったということだろうから、先に言っておく。馬鹿野郎。』
「……」
俺は思わず笑った。
「怒られてる」
「当然です」
アルカ。
「まだ最初の一行だよ?」
続きを読む。
『医者から聞いた。あの状況で生きている方がおかしいらしい。お前は昔からそうだ。壊れた機械を見ると直せるか確認するくせに、自分が壊れているかは確認しない。』
笑えなくなった。
『十九番も二十七番も三十一番も、その他のコアも、こちらで処分停止にしてある。お前が散々騒いで残したものを、お前が戻る前に捨てたら寝覚めが悪い。』
アルカが。
息を止める。
ベルも。
グレイスも。
何も言わない。
「……あの人」
俺は。
少しずつ。
思い出していた。
「直属の主任だった」
名前は。
まだ出てこない。
でも。
顔。
声。
いつも不機嫌そうで。
俺が勝手な修理をすると怒って。
報告書を書けと追い回して。
飯を食えと言って。
工具を返せと言っていた。
『お前はどうせ、直したのは仕事だからとか、動いたからとか言うんだろう。それでもいい。理由は何でもいい。結果として、残ったものがある。』
俺は。
次の行を読むのに。
少し時間がかかった。
『だから今度は、お前が残れ。』
「……」
誰も。
喋らなかった。
◇
『戻ったら休暇を取らせる。これは命令だ。拒否しても無駄だ。勤務表から名前を外してある。』
『それと、お前が隠している鍋は見つけた。洗っておいた。』
「……」
俺は。
そこで吹き出した。
「鍋、洗ってくれたんだ」
クレアが。
目元を押さえながら笑う。
「そこなんだ……」
「だって、あれ俺が洗ってなかったってことだろ?」
「父さん」
ハルが言う。
「今そこ気にする?」
「気になるだろ」
でも。
続きが。
最後だった。
『早く戻れ。報告書が溜まっている。』
『――主任 ダリオ・ウェルズ』
「ああ」
名前を見て。
一気に戻ってきた。
「ダリオさんだ」
覚えている。
怒鳴り声。
工具を取り上げられたこと。
無理やり休憩室へ連れていかれたこと。
俺が勝手に残したコアを見て。
「また増やしたのか」
と。
呆れた顔をしていたこと。
「……忘れてたな」
百十七年。
長すぎる。
忘れていた。
本当に。
たくさん。
◇
「ユウト」
アルカが。
俺の横へ座った。
「その方は」
「もう亡くなってるだろうな」
「はい」
「百十七年だもんな」
分かっている。
当たり前だ。
俺の知っている人間は。
ほとんど。
もういない。
これまで。
あまり考えないようにしていたのかもしれない。
起きたら銀河が変わっていて。
十四人がいて。
七艦隊がいて。
子供たちがいて。
毎日騒がしくて。
考える暇もなかった。
「会いたかったですか?」
「……どうだろ」
俺は手紙を見る。
「会ったらまず怒られそう」
「確実に」
グレイス。
「何でお前が断言するの」
「記録を読めば分かる」
「まあ、そうだな」
少し笑う。
「たぶん」
今度は。
ちゃんと言えた。
「会いたかったな」
◇
静かだった。
十四人も。
三人も。
何も言わなかった。
だから。
俺は。
少し困った。
「そんな顔しなくても」
リリィが。
隣へ来る。
「お父様」
「ん?」
「その方がいてくださったから」
「うん」
「お父様は、一人ではなかったのですね」
「……」
それは。
今まで。
考えたことがなかった。
あの頃。
一人で働いていた。
一人で飯を食っていた。
一人で壊れたコアを直していた。
ずっと。
そう思っていた。
でも。
休めと言う人がいた。
飯を食えと言う人がいた。
報告書を書けと怒る人がいた。
俺がいなくなった後。
俺の残したコアを。
捨てずにいてくれた人がいた。
「そっか」
俺は。
手紙を見ながら。
小さく頷いた。
「一人じゃなかったんだな」
◇
その後。
エリスが。
ダリオ・ウェルズの記録を見つけた。
「調べたの?」
「はい」
「早いな」
「知りたいですか?」
少し迷って。
「うん」
『ダリオ・ウェルズ』
『旧連邦廃棄船管理局主任』
『相良ユウト事故後、残存コアの廃棄停止措置を申請』
「……」
『申請は三度却下』
『四度目で一部認可』
「四回も?」
『その後も再申請を継続』
アルカが。
目を閉じる。
『対象コア群は管理局再編時まで保存。その後、研究・軍事・民生各機関へ移管』
それが。
今の十四人へ。
繋がった。
「じゃあ」
ベルが静かに言う。
「私たちが残ったのは、ユウトだけのおかげではありませんのね」
「そうだな」
俺は。
すぐに答えた。
「俺だけじゃなかった」
当たり前のことなのに。
今。
初めて分かった。
◇
「この人も記録に残そう」
俺は言った。
「ユウト?」
「旧管理区画」
歴史保存施設。
今は。
俺ばかりが中心になっている。
「俺の名前だけ出すの、おかしいだろ」
「しかし」
「ダリオさんが申請しなかったら、お前たち廃棄されてたかもしれない」
アルカは黙る。
「それに他にもいたはずだよ」
整備員。
職員。
医者。
補給担当。
「俺一人で全部やってたわけじゃない」
昔の俺は。
忘れていた。
だから。
今度は。
「ちゃんと残そう」
俺は。
手紙を置く。
「俺じゃなくて。あそこにいた人たちを」
◇
翌週。
歴史保存施設の展示内容が変更された。
『七艦隊の原点――相良ユウト』
という大きな見出しは。
撤去。
代わりに。
『旧第九十八廃棄船管理区画で働いた人々』
そこには。
俺だけではなく。
ダリオ・ウェルズ。
整備員。
補給員。
医療担当。
名前が残っている人間が。
一人ずつ。
並んだ。
その一番端。
小さな展示。
『主任ダリオ・ウェルズから相良ユウトへ送られた未開封書簡』
全文公開は。
しなかった。
俺が許可した部分だけ。
『だから今度は、お前が残れ。』
その一文だけ。
◇
公開初日。
『来場者から多数の反響』
「そう」
『特にダリオ・ウェルズに関する記録閲覧が増加』
「よかった」
『七艦隊新人研修にも新項目が追加されました』
「何?」
『成果は一人では生まれない』
「それはいいな」
『および』
「まだある?」
『部下が休まない場合は主任権限で休ませる』
「……」
グレイスが頷く。
「素晴らしい」
「嫌な予感」
『七艦隊全域で管理職研修へ採用予定』
「まあ、それも悪くないか」
『相良ユウト本人にも適用』
「何で!?」
十四人が。
一斉にこちらを見る。
「ユウト」
アルカが微笑む。
「今日は何時まで働く予定ですか?」
「えっと」
「勤務予定では十九時終了です」
エリス。
「少しくらい延長――」
「却下」
「まだ何も言ってない!」
「ダリオ主任の方針です」
「百十七年前の上司に今も管理されるの俺!?」
その日の十九時。
俺は。
十四人と三人に囲まれて。
きっちり仕事を終えた。
もし。
ダリオさんが見ていたら。
たぶん。
「やっと言うこと聞いたか」
と。
呆れていただろう。
だから。
俺は誰にも聞こえないくらい小さな声で。
「……報告書は、もう勘弁してください」
そう言って。
百十七年遅れで。
少しだけ笑った。




