第22話 昔の俺に名前を付けたら、息子になった
『現在人格相良ユウト』
『私に名前を与えろ』
『そして、幸福というものを教えろ』
青い球体の中で、十歳ほどの少年が俺へ手を伸ばしていた。
つい先ほどまで、宇宙を完全に管理しようとしていた昔の俺。
九千回以上も宇宙を作り直し、生命から感情と自由を奪おうとした創造管理者の完全人格。
そいつが過去の記憶と権限を捨て、子供の姿で人生をやり直そうとしている。
「名前か」
『個体を区別するために必要だ』
「その言い方は、まだ昔のお前っぽいな」
『他の表現を知らない』
「なら、これから覚えればいい」
俺は少年の顔を見る。
自分と同じ顔なので、名前を考えるというより、昔の自分へ別名を付けるような妙な感覚だった。
「ハル」
『意味を要求する』
「これから新しく始めるって意味だ」
『該当言語における春という季節を指す名称か』
「そういう細かいことは気にするな」
『了解した』
少年の周囲へ青い光が集まる。
『新規個体名、ハル』
『創造管理者完全人格から、独立人格ハルへ移行』
『過去の管理者権限を放棄』
『候補者番号一万二千八百八十二として登録』
青い球体の中から、ハルの体がゆっくりと外へ出てきた。
床へ足をつける。
しかし子供の体に慣れていないのか、一歩目で大きくよろめいた。
俺が腕を伸ばして受け止める。
「大丈夫か?」
「身体制御に誤差が発生した」
「最初から完璧じゃなくていい」
「転倒は非効率的だ」
「子供は転びながら歩き方を覚えるものだ」
ハルは俺に支えられたまま、自分の足を見下ろした。
「これが、学習か」
「多分な」
「不便だ」
「それも含めて生きるってことだよ」
ハルはしばらく考えた後、俺の顔を見上げる。
「私とお前の関係は何になる」
「同じ人格から生まれたなら、兄弟か?」
「年齢情報では、私の方が古い」
「それだとお前が兄になるのか……」
「お父様の子供です」
リリィが俺の腕へ抱きついた。
「基礎人格情報がお父様と一致し、新しい個体として誕生しました。私の弟です」
「お前より見た目は大きいけどな」
「私は必要に応じて成長できます」
リリィの体が光り始める。
「張り合わなくていい。小さいままでいろ」
「はい」
光が消える。
ハルはリリィを見つめた。
「お前は、私の姉なのか」
「はい」
「製造時間では、私の方が先に存在している」
「新しい個体として登録されたのは、ハルが後です」
「理解した」
ハルは素直にリリィへ頭を下げた。
「姉さん」
リリィの動きが止まる。
「もう一度お願いします」
「姉さん」
リリィは両手を頬へ当てた。
『候補者リリィの幸福度上昇』
『候補者ハルの幸福値上昇』
『相良ユウトの幸福度上昇』
「家族が話しただけで点数を入れるな」
『幸福度競争中のため、自動的に評価される』
俺の幸福値が、また少し増えていた。
引退したいのに、子供が増えるほど一位から遠ざかっている。
「それで」
ハルが改めて俺を見る。
「私は、お前を何と呼べばいい」
「好きに呼べばいいよ」
「相良ユウト」
「他人行儀だな」
「現在人格」
「もっと嫌だ」
「管理者」
「それも禁止」
「では、製造基礎個体」
「家族の呼び方じゃない」
ハルはリリィを見る。
「お前は何と呼んでいる」
「お父様です」
「私は、お前を父親として認識すればよいのか」
「よいのかって言われてもな」
今までのハルは、俺の過去の人格だった。
だが、記憶も権限も捨てて新しい存在として生きることを選んだ。
リリィと同じように、俺を基礎として生まれた子供。
「ハルが嫌じゃないなら、それでいい」
「嫌という感情は、まだ正確に理解できない」
「なら、今すぐ決めなくても――」
「父さん」
俺の言葉を遮り、ハルがそう呼んだ。
「どうだ」
「少し驚いた」
「不適切か」
「いや」
俺はハルの頭へ手を置いた。
「悪くない」
ハルの黒い瞳が、一瞬だけ青く光る。
『候補者ハルに未知の感情反応を確認』
『幸福値、二兆八千億上昇』
「これが幸福か」
「どう感じる?」
「胸部内部の温度が上昇している」
「機械的な説明だな」
「だが、不快ではない」
「なら大事にしろ」
「了解した、父さん」
昔の俺が、俺の息子になった。
自分でも何を言っているのか分からないが、今さら家族が一人増えた程度で驚いてはいられない。
「私たちにも紹介してください」
通信画面の向こうから、アルカの声が届く。
救援活動へ向かった七人全員が、いつの間にかこちらを見ていた。
「ハル。あの七人がアルカ、ベル、クレア、ディナ、エリス、フィア、グレイスだ」
「旧統治端末七基」
「やり直し」
「旧派生統治知性」
「もう一回」
「父さんが名前を与えた、大切な七人」
「それでいい」
七人の表情が一斉に柔らかくなる。
「ハル」
アルカが静かに呼びかけた。
「私たちを初期化しようとした件については、今後ゆっくり話し合います」
「過去人格の行動は、現在の私の責任になるのか」
「子孫に先祖の罪を背負わせないと、ユウトは命じました」
グレイスが答える。
「そのため処罰はしません」
「ただし、反省は必要ですわ」
「私と一回だけ戦えば許すよ」
「クレア、駄目だ」
「武器なしでも?」
「子供と殴り合うな」
ハルは七人を順番に見た。
「お前たちは、私の何になる」
七人が黙った。
次の瞬間。
「母親候補です」
全員の声が重なった。
「違うからな!」
「リリィの母親候補であるなら、ハルに対しても同じ立場となります」
エリスが冷静に説明する。
「家族構造上、合理的です」
「お父様の妻になれば、私とハルの母親です」
リリィまで加勢する。
「父さん」
ハルが俺を見る。
「この中から母親を選ぶ必要があるのか」
「ない」
「十四名の配偶者候補が存在すると記録されている」
「記録を読むな」
「最適な個体を演算するか」
「絶対にするな!」
七人の通信画面の横へ、セレスたち六人とソフィアまで現れた。
「ハルの教育には、戦略知識が必要です」
「生産技術を教えれば、一人で惑星を作れます」
「過去の全記録を学ばせるべきです」
「空間転移なら、すぐに教えられる」
「成長用の肉体は私が設計します」
「中央母艦の後継者教育を開始します」
『正式な婚姻を結べば、私が母親で問題ありません』
「全員、母親枠を狙うな!」
ハルは十四人の女性を眺め、少し考えた。
「父さん」
「今度は何だ?」
「幸福とは、非常に騒がしいものなのか」
「うちの場合はそうみたいだな」
「理解した」
おそらく間違った理解だが、訂正する気力がなかった。
◇
「父さん」
しばらくして、ハルが青い球体へ手を伸ばした。
「創造管理者選定を終了させる方法がある」
「本当か?」
「完全人格だった時の記録を、すべて捨てたわけではない。知識として必要な部分だけ残している」
「結婚以外の方法か?」
「婚姻制度を使用する必要はない」
その一言で、アルカたちとソフィアの表情が変わった。
『必要ないのですか?』
ソフィアの声が、明らかに残念そうだった。
「制度を止めるためにはな」
『制度以外の理由であれば必要です』
「話を戻してくれ」
ハルが青い球体へ情報を送る。
『創造管理者制度・緊急分散継承規定』
「こんな規則があったのか?」
「創造管理者一名が宇宙全体を管理できなくなった時に使用する制度だ」
「条件は?」
「現管理者が二名以上の独立した後継個体を持つこと」
ハルが自分とリリィを指す。
「私たちで条件を満たした」
「他には?」
「七名以上の独立統治知性による保証」
今度はアルカたち七人の名前が表示される。
「それも満たしてるな」
「さらに、異なる文明系統を持つ六名以上の統括個体による承認」
セレスたち六人。
条件が、あまりにも今の家族構成と一致していた。
「もしかして、昔の俺は最初からこの制度を使うつもりで、全員を作ったのか?」
「不明だ」
ハルは首を横へ振った。
「完全人格の私は、この制度を非効率として封印していた」
「一人で決めた方が早いから?」
「そうだ」
「でも一人で全部決めた結果、宇宙を九千回作り直したんだろ」
「現在の私には、それが誤りだったと理解できる」
少しだけ成長が早すぎる気もする。
だが、昔の自分の失敗をすべて覚えているのなら、同じ過ちを繰り返したくないのだろう。
「制度を使えば、どうなる?」
「創造管理権限を、一人の管理者ではなく家族評議会へ分散できる」
「家族評議会?」
「父さん、リリィ、私。七統治知性、六統括個体、先代管理者ユリア」
「合計十七人か」
「全員の合意がなければ、宇宙再編のような大規模権限は使用できなくなる」
「俺一人が管理者を続けなくてもいい?」
「全候補者の人格を消去する必要もない」
「それだ!」
ようやく見つかった。
誰か一人へ宇宙全体を押しつける必要もない。
リリィも、候補者たちも消えない。
俺も普通の生活へ戻れる可能性がある。
「今すぐ申請してくれ」
「一つ問題がある」
「何だ?」
「家族評議会の設立には、構成員全員の自由意思による同意が必要だ」
「みんなに聞けばいいだろ」
「候補者一万二千八百七十九名も、権限を分散される対象として同意する必要がある」
宇宙各地で救援活動をしている候補者たち。
ソフィアへ幸福値を集めているとはいえ、全員が同じ考えとは限らない。
「残り時間は?」
『創造管理者認証競争終了まで、二十二時間五十八分』
「一日もないな」
「さらに」
ハルが新しい条件を表示した。
『家族評議会の本拠地を一か所設定すること』
「本拠地?」
「全管理権限の中心となる場所だ」
「中央母艦でいいんじゃないか?」
俺が言うと、アルカたち七人が一斉に反応した。
「反対します」
「交易連合首都が最適ですわ」
「竜機艦隊領!」
「海賊星域なら自由だよ」
「生命設計共同体の中心惑星を推奨します」
「演算聖域が最も安全です」
「銀河防衛機構本部へ設置すべきです」
セレスたち六人も黙っていない。
「中央母艦以外は認められません」
「新しい惑星を製造します」
「全宇宙の記録へ接続できる場所が必要です」
「空間的な中心地点を作ります」
「生きた管理惑星を設計できます」
「中央母艦こそが正式な管理拠点です」
リリィが手を上げる。
「お父様のお部屋」
全員が静かになった。
「前に作った普通の部屋か?」
「はい。お父様が最も安心できる場所です」
「宇宙全体の管理本部が、俺の六畳くらいの部屋?」
「幸福値評価では、最適です」
ハルが青い球体へ接続する。
「候補地として申請する」
『家族評議会本拠地候補』
『相良ユウト私室』
『名称登録が必要』
「普通にユウトの部屋でいい」
『正式名称として登録』
『全宇宙管理中枢・ユウトの部屋』
「余計なものが前についたぞ!」
宇宙の命運を決める家族評議会。
その本拠地候補は、ベッドと風呂しかない俺の小さな部屋になった。
『家族評議会設立への全候補者投票を開始』
『可決条件、全会一致』
青い球体へ、一万二千八百七十九個の投票欄が表示される。
賛成。
賛成。
賛成。
次々と票が入っていく。
「いけるか?」
残り百名。
残り十名。
残り一名。
最後の投票欄だけが、いつまでも空白のままだった。
「誰だ?」
『未投票候補者を表示』
画面に映ったのは、一つの巨大な赤い恒星だった。
『候補者番号六百六十六』
『種族、恒星生命体』
『現在、文明三千個を体内へ封印』
『要求』
『家族評議会へ参加したければ、相良ユウト本人が私の内部へ来い』
恒星の表面に、巨大な目が開く。
『お前が本当に宇宙を支配しない者なのか』
『私が直接、確かめる』
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