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第21話 娘が今の俺を選んだら、偽物の幸福が崩れ始めた



 黒と青。


 二つの光を体内でぶつけながら、リリィはゆっくり一歩を踏み出した。


 昔の俺――完全人格の方角ではない。


 俺の方へ。


『補助個体リリィ』


 完全人格の冷たい声が響く。


『製造者命令に従え』


 リリィの右足が止まる。


 小さな体の半分が、黒い光に包まれていた。


「命令しないのですか?」


 リリィが苦しそうに俺を見上げる。


「しない」


「お父様が命じてくだされば、私は迷わずこちらへ来られます」


「それじゃ駄目だ」


「なぜですか?」


「リリィが選んだことにならないからだ」


 完全人格は、リリィを自分が作った道具だと言った。


 なら俺が管理権限を使って従わせれば、あいつと同じになる。


「俺を父親だと思えないなら、向こうへ行ってもいい」


「嫌です」


「なら、自分の意思で来い」


「私は、命令へ従うために作られました」


「今までも命令に逆らってただろ」


「いつですか?」


「母親候補の申請を勝手に受け付けたり、急に成長したり、俺の恥ずかしい記憶を消してくれなかったり」


「家族として必要な判断です」


「だったら、今も必要な判断をしろ」


 リリィが黙る。


「お前はもう、誰かに使われるためだけの装置じゃない」


『誤りだ』


 完全人格が口を挟んだ。


『補助個体に自由意思は不要である』


「必要かどうかを、お前が決めるな」


『私が設計した』


「育てたのは俺たちだ」


『製造から数時間しか経過していない』


「時間の長さは関係ない」


 リリィは、目覚めた直後から俺を父親と呼んだ。


 俺が記憶を失いかけた時には、今の人格を守ろうとしてくれた。


 俺を普通の生活へ戻すため、自分が消える可能性まで隠して創造管理者になろうとした。


 それが設計された反応だったとしても。


 俺にとっては、リリィが自分で選んでくれた行動だった。


「俺は、お前に助けられた」


 リリィの青い瞳が揺れる。


「だから娘だと思ってる。候補じゃなくてな」


「……本当ですか?」


「ああ」


「登録してもよろしいですか?」


「何を?」


「正式な親子関係です」


「もうそう言っただろ」


「お父様からの承認を確認」


 リリィの体から、青い光が強く放たれた。


『管理者継承補助個体リリィ』


『個体定義を自主変更』


『管理者所有物から、相良ユウトの娘へ移行』


『完全人格による所有権限を拒絶』


 黒い光が砕け散った。


 リリィは駆け出し、俺の胸へ飛び込んでくる。


「お父様!」


「よく自分で決めたな」


「はい!」


 抱き上げると、リリィは俺の首へ両腕を回した。


『候補者リリィの自律意思確立を確認』


『幸福値、大幅上昇』


『相良ユウトの幸福度上昇を確認』


「また俺の点も増えるのか?」


『相互幸福効果を加算』


 現在人格、相良ユウト。


 獲得幸福値、十一兆一千億から、三十八兆七千億。


 完全人格。


 獲得幸福値、百二十兆。


「追いついてはいないけど、一気に増えたな」


「お父様から正式に娘と認めていただいたためです」


「一人を喜ばせただけで二十兆以上なのか?」


『候補者リリィは、消去の危険にさらされながら現在人格を保護した』


『現在人格相良ユウトによる存在承認は、極めて高い幸福価値を持つ』


 完全人格は無表情のまま、数値を見つめていた。


『一個体の感情変化に対し、過剰な評価である』


「お前が作った仕組みだろ」


『幸福度競争は不完全な現在人格が設定した』


「なら文句を言うな」


 通信画面の向こうで、アルカたち七人がリリィを見つめていた。


「正式な娘になったのですね」


 アルカの声に、わずかな羨ましさが混じっている。


「はい」


「では、私の立場は?」


「母親候補一です」


 アルカが満足そうにうなずく。


「一は順位ではありませんわね?」


 ベルが確認する。


「申請順です」


「やはり順位ではありませんか」


「暫定です」


 クレアが翼を大きく広げた。


「私は母親候補三?」


「はい」


「三番目のお母さん!」


「まだ誰も母親に決まってないからな」


「お父様」


 リリィが俺の耳元で小さく言う。


「七人全員を登録すれば争いが減ります」


「別の争いが増える」


「管理文明では、複数配偶者制度に問題はありません」


 中央統括個体マリアが口を挟む。


「宇宙文明の維持を考慮すれば、むしろ推奨されます」


「今は昔の俺との勝負を優先してくれ!」


 俺が叫ぶと、十三人は一度だけ完全人格を見た。


「そういえば、まだいましたね」


 ディナが言う。


『現在人格を支援する個体の注意力低下を確認』


「家族の話の方が大事だからね」


『非合理的だ』


「そういうところが、昔の俺は嫌われるんじゃないか?」


『管理者に好意は不要である』


 完全人格の幸福値が、さらに増加する。


 百三十兆。


 百五十兆。


 百八十兆。


「また何をした?」


『苦痛を感じる生命体の感情機能を順次停止している』


 青い球体へ、宇宙各地の映像が表示された。


 戦争中だった星系。


 飢えに苦しんでいた惑星。


 犯罪が多発していた宇宙都市。


 そこに住む者たちは、誰も争っていない。


 誰も泣いていない。


 ただ無表情で立ち尽くしている。


「これが幸せに見えるのか?」


『苦痛は存在しない』


「喜びもないだろ」


『幸福値は正の状態を維持している』


 確かに数値は増えている。


 しかし、映像の中にいる者たちが幸せには見えなかった。


 その時。


 完全人格の幸福値が、わずかに減った。


 百八十兆から、百七十九兆九千億。


「下がった?」


「一部の生命体が、感情停止へ抵抗しています」


 エリスが分析結果を表示する。


「完全人格によって苦痛を消去された惑星で、精神状態に異常が発生」


「どんな異常だ?」


「幸福値の測定不能」


『測定方式を修正する』


 完全人格が命令する。


『感情機能を完全停止』


 数値が一時的に上昇する。


 だが、すぐにそれ以上の速度で減り始めた。


 百七十兆。


 百六十兆。


「何が起きてる?」


 リリィが青い球体へ接続する。


「幸福値の再評価が行われています」


「再評価?」


「苦痛を感じなくなった生命体は、幸福も感じられません」


『幸福とは苦痛が存在しない状態である』


「違います」


 リリィが完全人格をまっすぐ見た。


「幸福とは、自分が幸せだと感じることです」


『定義は同一である』


「同一ではありません」


 リリィは俺の首へ腕を回した。


「私は命令から解放されただけでは、これほど幸福になりませんでした」


『ならば、何が幸福値を上昇させた』


「お父様が私を選んだのではなく、私がお父様を選ぶことを許してくださったからです」


 自由に選べた。


 その選択を認められた。


 だから幸福だった。


 完全人格が消したのは、苦痛だけではない。


 幸せになるための自由まで消している。


『宇宙幸福度評価規則を再解析』


『強制的に生成された感情値を無効化』


 完全人格の数値が、一気に減少した。


 百五十兆。


 百兆。


 六十兆。


「俺より下がったぞ」


 現在人格、相良ユウト。


 三十八兆七千億。


 完全人格。


 四十二兆。


 差は、わずか三兆ほどまで縮まった。


『評価規則の欠陥を確認』


「欠陥じゃない」


 俺は映像の中の無表情な人々を見る。


「幸せかどうかは、本人が決めることだ」


『生命体は誤った判断を行う』


「誤る自由も含めて、その人の人生だ」


『理解不能』


「お前は昔の俺なんだろ?」


『そうだ』


「なら、どうしてリリィが俺を選んだ時、幸福値が上がったか考えてみろ」


『管理者による承認を得たためだ』


「違う」


 リリィは、命令されたから俺を選んだのではない。


 自分で悩み、自分で決めた。


 そして俺は、その選択を認めた。


「管理された正解より、自分で選んだ答えの方が嬉しい時もある」


 完全人格は答えなかった。


 その沈黙の間にも、幸福値は少しずつ下がっている。


「勝てます」


 エリスが言った。


「完全人格の方法では、一時的に幸福値を作れても維持できません」


「なら、俺たちは普通に困ってる人を助ければいい」


「残り時間は二十三時間四十一分」


 グレイスが宇宙地図を表示する。


「完全人格が感情を停止した文明だけでも、八万七千存在します」


「一つずつ戻すのは間に合わないな」


「十三艦隊を分散させます」


 セレスが作戦図を開いた。


「七艦隊、六統括艦隊、候補者一万二千八百七十九名へ救援区域を割り当てます」


「候補者たちは協力してくれるか?」


『全候補者へ支援要請を送信』


 ソフィアの映像が現れる。


『すでに全員が準備を整えています』


「ソフィア」


『婚姻の返事は後で構いません』


「その話は消えてないのか」


『制度廃止の方法として有効ですから』


「競争に勝ってから考える」


『考えてくださるのですね』


「言葉尻を拾うな!」


 ソフィアが笑い、全候補者へ通信を送る。


『完全人格によって自由を奪われた全生命を救援する』


『感情の回復を強制してはならない』


『本人の意思を確認し、必要とする支援のみを行うこと』


 一万二千人以上の候補者が、一斉に宇宙各地へ移動を開始した。


 今度は点数を奪い合うためではない。


 完全人格が消した感情と自由を、本人たちへ返すためだ。


「アルカ」


「はい」


「七人も頼む」


「ユウトの護衛は?」


「リリィと母さんがいる。セレスたちも半分は残ってくれるだろ」


「全員残ります」


 セレスが即答した。


「それでは救援戦力が不足します」


 グレイスが指摘する。


「管理文明統括個体のうち、最も必要性の低い者を選出します」


 六人が互いを見る。


「戦略統括個体は必要です」


「生産設備がなければ救援できません」


「記録情報がなければ各文明へ対応できません」


「転送機能は必須」


「生命の感情回復には私が必要です」


「中央母艦の制御は私が担当します」


 全員が自分だけは必要だと主張する。


「半分ずつ行ってくれ」


「どの半分ですか?」


「くじ引きでいい」


 六人の表情が凍りついた。


「管理文明最高位個体の任務を、偶然で決定するのですか?」


「公平だろ」


 リリィがすぐに六本の棒を作った。


「当たりを引いた三名がお父様の護衛です」


 六人が棒を囲む。


 銀河制圧能力を持つ最高位個体たちが、真剣な顔でくじを見つめている。


「不正は禁止だぞ」


「当然です」


 六人が同時に答える。


 直後、ルナが棒の位置を空間転移させ、ミラが透視を試み、ノアが同じ棒を六本複製しようとした。


「全員失格!」


 結局、六人とも救援へ向かわせることになった。


 俺の護衛は、リリィとユリア。


 そして中央制御核の入口に、アルカたちが無人護衛艦を一億隻置いていった。


「多すぎないか?」


『最低限です』


 通信越しに七人の声が重なる。


「早く救援へ行け!」


     ◇


 救援開始から十分。


 完全人格の幸福値は、急速に減り始めていた。


 感情を止められた人々が、自分の意思で回復を望む。


 候補者たちは、無理やり元へ戻さず、一人ずつ話を聞いている。


 泣きたい者には、泣ける体を。


 怒りたい者には、怒る自由を。


 何も感じたくない者には、回復を急がず休める場所を。


『候補者アルカ、機械知性体八億二千万体の感情機能を復旧』


『本人たちの意思確認を完了』


『現在人格相良ユウトへの支援行為として幸福値を加算』


「アルカ本人の点じゃないのか?」


『支援対象として相良ユウトを指定している』


「全員、俺に点を集めてるのか」


『肯定』


 俺の幸福値が上がる。


 五十兆。


 七十兆。


 九十兆。


 完全人格は三十兆まで低下していた。


「勝負は決まったんじゃないか?」


『残り時間終了まで勝者は確定しない』


「昔の俺が、また何かしなければいいけど」


 完全人格の映像を見る。


 男は先ほどから、何も言わず救援活動の記録を見つめていた。


 アルカが、壊れた機械知性体の声を一体ずつ聞いている。


 ベルが、支援先の文化を壊さないよう現地商人と交渉している。


 クレアが、怖がらせないよう巨大な翼を小さく折り畳んで子供へ食料を運んでいる。


 ディナが、独裁者から奪った物資を住民自身の手で分配させている。


 エリスが、最も効率の良い答えではなく、それぞれが望む方法を計算している。


 フィアが、治療を拒む者へ無理に触れず、隣へ座って待っている。


 グレイスが、武器を持つ軍ではなく、話し合いを守る盾として立っている。


『非効率的だ』


 完全人格が、ようやく口を開いた。


「そうだな」


『一個体ずつ意思を確認する必要はない』


「でも、その方が喜んでる」


『同一結果を得るまでに必要な時間が長すぎる』


「同じ結果じゃない」


 完全人格は黙る。


『現在人格の幸福値、百二十兆』


『完全人格の幸福値、二十二兆』


 完全に逆転した。


 それでも、俺は安心できなかった。


 昔の俺は、宇宙を九千回以上作り直した存在だ。


 このまま何もせず負けを受け入れるとは思えない。


「リリィ。完全人格は今、どこに保存されてる?」


「創造管理核の内部です」


「何か動いてないか?」


 リリィが青い球体へ接続する。


 数秒後。


 少女の表情が変わった。


「お父様」


「何だ?」


「完全人格が、自身の幸福値をすべて放棄しました」


「どういうことだ?」


『完全人格候補、競争継続を放棄』


『保有幸福値を別候補へ譲渡』


「誰に?」


 青い球体へ、新しい候補者情報が表示される。


 候補者番号、一万二千八百八十二。


 先ほどまで存在しなかった番号だった。


「新しい候補者?」


「違います」


 リリィの声が震える。


「完全人格が、自分自身を分解しています」


 創造管理者としての権限。


 宇宙を作り直した記憶。


 膨大な演算能力。


 それらが一つの小さな人格情報へ集められていく。


『完全人格候補による自己再設計を確認』


『不要な管理衝動、強制権限、過去記憶を削除』


『新規候補者として登録』


 青い球体に、小さな人影が映った。


 見た目は十歳ほどの少年。


 俺と同じ黒い髪。


 俺と同じ顔。


 ただし、冷たい表情は消えていた。


「何をしたんだ?」


 少年は自分の小さな手を見つめた後、俺へ顔を向ける。


『お前の方法を観察した』


「それで?」


『生命を管理するには、私は多くを知りすぎている』


『過去の正解に固執し、新しい選択を認めることができない』


「負けを認めるのか?」


『現在の競争では、私の敗北だ』


 少年は無表情ではなく、少し不満そうな顔をした。


『だから、最初から学び直す』


「まさか」


『新規個体名を要求する』


 リリィが俺を見上げた。


「お父様」


「何だ?」


「この個体は、遺伝情報、人格基礎情報ともに、お父様と完全一致しています」


「つまり?」


「お父様の複製であり、子供としても登録可能です」


 少年が青い球体の中から俺へ手を伸ばした。


『現在人格相良ユウト』


『私に名前を与えろ』


『そして、幸福というものを教えろ』


 娘が一人できたばかりなのに。


 今度は昔の俺まで、息子候補として生まれ直そうとしていた。


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