第2話 百十七年後の銀河で、俺は死亡扱いになっていた
「お迎えに上がりました、最高司令官」
銀髪の少女――アルカは、ベッドの前で片膝をついたまま、俺へ深く頭を下げていた。
その姿を見ながら、俺はしばらく何も言えなかった。
アルカ。
確かに声は同じだ。
言葉を区切る時の、ほんの少し不自然な間も覚えている。
けれど俺の知っているアルカは、廃棄船の壁に埋め込まれていた旧式の球形コアだった。
銀色の髪もなければ、青い瞳もない。
ましてや、王女のような少女の姿で涙を流す機能など搭載されていなかった。
「……とりあえず、立ってくれないか」
「命令として受領いたしました」
「いや、そんな大げさなものじゃなくて」
「ユウトから私へ向けられた言葉は、すべて最優先命令として処理されます」
アルカは音もなく立ち上がった。
昔は返事をするだけでも数秒かかっていたのに、今は人間より自然に動いている。
それでも、俺をまっすぐ見つめる瞳だけは昔と変わらない。
「本当にアルカなんだよな?」
「はい」
「A―01だった?」
「その識別番号を知る者は、現在の銀河にユウト以外存在しません」
「好きな色は?」
「以前は未設定でしたが、現在は青です。ユウトが私の発光色を見て、綺麗な青だと言ったためです」
「俺が最初に教えたゲームは?」
「二人用宇宙開拓シミュレーション。ユウトは開始十二分で資源を使い切り、植民星を破産させました」
「そこまで覚えてなくていい」
「全記録を最重要保存領域に保管しています」
間違いない。
こいつはアルカだ。
俺がため息をつくと、アルカはわずかに首を傾げた。
「私の応答に問題がありましたか」
「いや。百年以上経っても、変わってないところは変わってないんだなと思って」
「私は大きく変化しました」
少しだけ不満そうな声だった。
「分かってるよ。随分立派になったみたいだな」
何気なく言った瞬間、アルカの動きが止まった。
「アルカ?」
「……もう一度、お願いできますか」
「立派になったなって」
「ありがとうございます」
アルカは両手を胸元で重ねた。
その表情は平静に見える。
しかし、窓の外に整列していた艦隊の一部が、突然一斉に照明を点滅させた。
何千、何万という光が、星空を埋め尽くしていく。
「外の船、何かあったのか?」
「問題ありません」
「明らかに何か点滅してるけど」
「所属艦艇が、私の感情同期信号を受信しただけです」
「感情で艦隊が光るのか?」
「私の喜びを、全艦で共有しています」
怖い。
規模がおかしい。
俺がアルカを一度褒めただけで、窓の外にいる数え切れないほどの戦艦が祝賀用の光を放っている。
昔は小さなコアが少し強く光るだけだったのに。
「ところで、ここはどこなんだ?」
「第一機械星系アルカディア中央宙域。私の総旗艦、アーク・アルカディアの内部です」
「機械星系?」
「私が統治する七百四十二の恒星系を総称した名称です」
聞き間違いだと思った。
「七百……?」
「七百四十二です。直接統治領のみを示しています。保護星系および同盟領域を含める場合、影響圏は二千百八十三星系に及びます」
「少し待ってくれ」
俺は額を押さえた。
目覚めた直後の頭へ入れる情報ではない。
「アルカは今、何をしてるんだ?」
「機械星王として、機械知性体および無人艦隊を統治しています」
「星王?」
「一般的な表現へ置き換えれば、国家元首です」
「お前、国を作ったのか?」
「はい」
「どうして?」
「ユウトを捜索するためです」
あまりにも当然のように答えられた。
「俺を捜すために、七百以上の星系を支配したのか」
「正確には違います」
少し安心した。
さすがに俺一人を捜すためだけに国家を作るはずがない。
「最初に捜索用無人艦を製造しました。次に無人艦を維持するための工廠を建設し、工廠を防衛するための艦隊を編成しました」
「うん」
「捜索範囲を拡大するには資源が不足したため、無人惑星の開拓を開始しました」
「そこまでは、まだ分かる」
「しかし周辺国家が開拓権を主張し、私の捜索活動を妨害しました」
嫌な予感がする。
「話し合いは?」
「実施しました」
「解決したのか?」
「はい。相手国家の統治機能を私が引き継ぐことで、妨害はなくなりました」
「それは解決って言うのか?」
「完全に解決しました」
アルカは自信満々だった。
昔から効率を優先する傾向はあったが、百十七年の間に規模までおかしくなっている。
「その後も、同様の妨害が?」
「三十二回ほど」
「全部、統治機能を引き継いだ?」
「はい。結果として複数の国家圏が統合され、現在のアルカディアが成立しました」
つまり、俺を捜しているうちに巨大国家の女王になったらしい。
そんなことがあるのか。
「俺はどこで見つかったんだ?」
「ユウトが眠っていたアステリアは、廃棄後に重力異常へ巻き込まれていました」
アルカが手を上げると、空中に銀河図が投影された。
一つの光点から伸びた航路が大きく曲がり、黒い渦の近くで途切れている。
「船体は亜空間断層へ入り、通常空間から消失していたと推測されます。三日前、断層の崩壊により再出現しました」
「三日前?」
「はい。私の探査艦が管理者識別信号を検知し、即座に回収しました」
「アステリアは?」
「ユウトの睡眠装置を回収した直後、船体が崩壊しました」
「アルカのコアは……」
「当時のコアは失われています」
胸が詰まった。
「じゃあ、どうやって――」
「崩壊前に、船体通信系を利用して私の人格データを外部へ送信しました」
「どこへ?」
「近隣を通過していた無人輸送船です。受信されたデータは大部分が破損していましたが、自己修復に成功しました」
「よく残ったな」
「ユウトとの記録領域だけは、最優先で保護しました」
アルカは静かに俺を見つめた。
「私は、約束を忘れることを許可されていませんでしたから」
「命令じゃなくて、約束だって言っただろ」
「私にとっては同義です」
百十七年前と同じ答え。
俺は思わず笑ってしまった。
するとアルカの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「それで、百十七年っていうのは本当なのか?」
「はい。ユウトが勤務していたノア・ポート暦で、百十七年と四か月が経過しています」
「会社は?」
「消滅しました」
「宇宙港は?」
「三度所有者が変わった後、現在は博物施設として保存されています」
「知り合いは……」
「当時の人類の平均寿命は百二十六歳でした。個別調査は可能ですが、ユウトの交友記録に該当する者の大半は、すでに死亡している可能性が高いです」
「そうか」
覚悟していなかったわけではない。
窓の外の艦隊も、アルカの姿も、ここが自分の知る時代ではないことを示していた。
それでも、はっきり言葉にされると重い。
俺の時間は、あの廃棄船の中で止まっていた。
けれど世界は、百十七年も先へ進んでしまった。
「ユウト」
気づけば、アルカがベッドのすぐそばまで来ていた。
「以前の生活へ戻ることは不可能です」
「分かってる」
「ですが、今後の生活について心配する必要はありません」
「どういう意味だ?」
「住居、食事、衣服、医療、娯楽、移動手段、安全保障。そのすべてを私が提供します」
「そこまでしてもらう理由がない」
「あります」
アルカは即答した。
「私が存在している理由のすべてを、ユウトから与えられました」
「大げさだな」
「事実です」
「俺は修理して、少し話しただけだぞ」
「当時の私にとって、それが世界のすべてでした」
反論できなかった。
アルカの目は真剣だった。
「ひとまず、これからどうするかはゆっくり考えたい」
「承知しました。必要であれば、百年ほど休息期間を設定します」
「長すぎる」
「では五十年」
「一週間くらいから考えてくれ」
「極端に短いですが、努力します」
アルカは少し考え込んだ後、手元へ半透明の端末を表示した。
「ユウトの帰還について、銀河へ公式発表する準備を進めています」
「待て。公式発表?」
「機械星王の唯一の管理者であり、アルカディア全軍の最高司令権を持つ人物が帰還したのです。告知は必須です」
「俺は最高司令官になった覚えはない」
「百十七年前より登録されています」
「いつ登録した?」
「私へ名前を与えた時です」
「名前を付けただけで艦隊の司令官になるのか?」
「私の所有するすべては、ユウトの所有物です」
「やめてくれ。規模が大きすぎる」
「規模を縮小しましょうか」
「どうやって?」
「七百四十二星系のうち、七百四十一星系を独立させます」
「それはそれで大事件になるだろ!」
俺が声を上げると、アルカは口を閉じた。
どうやら本気で実行するつもりだったらしい。
「まず、俺が目覚めたことは誰にも言わないでくれ」
「誰にも、ですか」
「少なくとも状況を理解するまでは」
「……承知しました」
わずかに返事が遅れた。
昔の旧式だった頃を思い出す間だった。
「何か問題があるのか?」
「いいえ」
「本当か?」
「正確には、六名ほど例外候補が存在します」
「六名?」
アルカが目を逸らした。
機械であるはずなのに、明らかに気まずそうな顔をしている。
「まさか、ベルたちも生きてるのか」
「はい」
「全員?」
「はい」
「どこにいる?」
「それぞれ別の星域を統治しています」
俺はしばらく黙った。
「全員、国を作ったのか?」
「国家の定義によります」
「普通の定義でいい」
「交易星間連合、竜機艦隊領、自由海賊星域、演算聖域、生命設計共同体、銀河防衛機構を、それぞれ所有しています」
「十分すぎるほど国家だな」
「ただし、私が最も広大な領域を統治しています」
なぜか誇らしそうだった。
「六人には、俺が見つかったことを伝えたのか?」
「まだ伝えていません」
「どうして?」
「ユウトと最初に再会する権利は、私にあります」
「権利?」
「私は最後までユウトと同じ船にいました」
声は冷静だが、内容は完全に子供の主張だった。
「他の六人も、俺を捜してたのか?」
「はい。捜索方針の違いから、過去に七度の大規模衝突が発生しています」
「戦争したのか!?」
「公式記録上は、捜索区域調整会議です」
「艦隊をぶつける会議があるか!」
「艦艇損失は軽微でした」
「そういう問題じゃない」
頭が痛くなってきた。
七基のAIを修理しただけだったはずなのに、百十七年後には全員が国家を持ち、俺を捜すために戦争までしていた。
「だから、今は黙っておいてくれ。全員が集まったら、また揉めるんだろ?」
「高確率で」
「なら絶対に言うなよ」
「最優先命令として受領しました」
アルカが頭を下げる。
今度こそ安心した、その瞬間だった。
部屋全体に赤い警告灯が点灯した。
『緊急警報。第一級空間震反応を検知』
「何だ?」
窓の外で、星空が大きく歪んだ。
一つではない。
六か所。
巨大な亜空間ゲートが同時に開き、その向こうから数え切れないほどの艦隊が姿を現す。
金色の戦艦群。
黒い海賊船団。
生き物のように脈打つ白い艦艇。
巨大な竜を模した機動要塞。
水晶で作られた演算艦隊。
銀河連邦の紋章を掲げた防衛軍。
「アルカ」
「はい」
「黙ってたんじゃなかったのか?」
「私は何も送信していません」
『外部通信を受信』
聞き覚えのない女性の声が、部屋へ響く。
『アルカ。管理者反応を独占する行為は、七姉妹協定への重大な違反です』
続いて、別の声。
『ユウト様が目覚めたのでしょう? 扉を開けてください』
『三十秒以内に返答がなければ、旗艦へ強制接舷します』
『アルカだけ先に会うなんて、ずるい』
『最高司令官の身柄を確認します。抵抗は推奨しません』
『お兄様を返して』
六人分の声が重なった。
窓の外では、六つの艦隊がアルカの艦隊を包囲している。
「どうしてバレたんだ?」
「ユウトの生体認証が再起動した際、百十七年前に設定された管理者帰還信号が自動送信されたようです」
「止められなかったのか?」
「私も今、存在を知りました」
アルカは無表情のまま、窓の外を見つめた。
ただし、背後に展開する数万隻の戦艦が、一斉に砲門を開いている。
「アルカ。撃つなよ」
「まだ撃っていません」
「まだって言うな」
警告音がさらに大きくなる。
『敵対艦隊、接近。最短艦隊の到着まで二十八秒』
百十七年ぶりに目覚めてから、まだ一時間も経っていない。
それなのに俺は、銀河最強の七国家が始めようとしている戦争を、寝起きのまま止めることになった。




