第47話 許すかどうかも私が決める
白い札と青い札は、今日も枕元にあった。
リシェルが椅子へ座ると、アデルはゆっくり顔を向けた。以前より少し長く、目を合わせていられる。
「リ……シェル」
途切れた音をつなぐように、彼女は名を呼んだ。
「はい。来ました」
リシェルは答えた。初めて会った日の挨拶を、覚えていてくれたのだろうか。訊きたいことはたくさんあったが、まず、返事を待った。
アデルは枕元へ視線を移した。
「かえ……して」
療養係が何を指すのか確かめた。水差しではない。膝掛けでもない。何度か問いを分け、棚の上の日記だとわかった。
リシェルは革表紙を取った。
原本はずっと白百合の家にあったが、資料として扱うたびに、人の手で遠ざけられていた。
「お手元へ、置きますね」
開くか尋ねると、青い札へ視線が向いた。今日は読むのではなく、そばに置きたいらしい。
療養係が枕の横へ収めると、アデルの指が表紙の端へ触れた。
言葉は、それきり続かなかった。
疲れれば意思を伝えること自体が難しくなるし、身体を起こすにも人の助けが要る。失った十年が返るわけでもなかった。
それでも日記は、本人の手の届くところへ戻った。
リシェルはそこで話を終え、休むかどうかを尋ねた。
今度は白い札だった。
レオンハルトは廊下で待っていた。彼への面会の返事は、今日はまだ出ていない。
「お会いになれる時に、改めて」
療養係が言うと、彼は頷いた。
謝罪の言葉を今すぐ聞いてもらうために、扉を開けてほしいとは言わなかった。
*
離宮へ戻ってから、リシェルはレオンハルトに少し時間を求めた。
公務の部屋ではなく、窓の広い小さな応接室だった。扉は閉じず、帰りたくなったら帰れるようにしてある。
「レオンハルト様」
名を呼ぶと、彼は水のカップを置いた。
「私は、あの一時間のことも、署名について話す約束を守らなかったことも、忘れていません」
「ああ」
「でも、ずっとあなたを拒み続けなければ、自分を守れないとは、今は思っていません」
白百合の家の廊下で、彼は面会の返事を待っていた。謝りたいのも、許されたいのも、きっと変わらない。それでも、返事のない扉を開けさせなかった。リシェルは、今日見たその姿を思い返した。
「私は、私にしたことについて、あなたを許すと決めました」
彼は動かなかった。聞き違いを確かめるように、リシェルを見ていた。
「私がそうしたいからです。アデル様や遺族の方の答えとは、別に」
レオンハルトは目を伏せた。
「……ありがとう」
その後にも、言葉があるようだった。だが、彼女の続きを待った。
「恋人に戻るかどうかは、まだ答えられません」
リシェルは膝の上の手を開いた。
「村へ帰りたい。ここで続けたい仕事もあります。あなたに会いたい日もあれば、一人で考えたい日もある。どれかを急いで捨てたくありません」
「わかった」
彼はすぐに笑おうとはしなかった。息を整え、もう一度頷く。
「面会の約束は、今まで通りでいいか」
「はい。変えたくなったら、私から言います」
リシェルは立ち上がった。
別れの挨拶をしようとした彼の前へ、自分から歩いた。
「今、抱きしめてもいいですか」
彼の目が見開かれる。
「……いい」
リシェルは腕を伸ばした。胸へ額をつけると、心臓が速く打っていた。皇帝だった時にも、きっと同じ音がしていたのだろう。今はそれを、近くで聞ける。
「そちらも、腕を回していいですよ」
背中に手が触れた。強く閉じ込める腕ではなく、離れようとすれば緩む重さだった。
リシェルは、もう少しだけそのままでいた。
顔を上げると、彼が何か言いたそうにした。
「何ですか」
「髪が、上着の留め具に引っかかっている」
リシェルは思わず笑った。甘い言葉を待っていた自分が、おかしかった。
二人で引っかかった髪をほどく。彼の指が耳のそばに触れ、胸の奥が温かくなった。
*
数日後、最初の選挙が告示された。
帝都と十三州へ投票の準備を届ける間、政務は暫定の合議体が引き受ける。守護職と誓約院の長を、本人たちの希望や功績だけで決めることはできない。
リシェルは告示を持ち帰り、ベルタへの手紙の横へ置いた。
帰る日程を書いたその下に、もう一行、書き足した。




