第40話 大司教の証言
百日の猶予を得てから、第八十九日。
放火から十日余り、焼けた物資の補充と各州の証言の照合に追われた。足りない覆面は他の倉庫から回し、壊れた霧笛は工房で修理した。ようやく各街区の必要数が揃った翌朝、元老会の再審議が開かれることになった。
議場へ向かう前に、リシェルは白百合の家を訪れた。
今日公表するのは、すでに示された儀式の手順だけではない。奉献の後に死亡と発表され、生存と療養の事実を隠された経緯、その時に関わった者たちの記録だった。
日記の追加の抜粋については、数日前から質問を分けて確認している。兄への手紙に触れる一節には青い札が示され、そこは外した。
「今日も、同じ範囲でよろしいですか」
療養係が一問ずつ聞いた。答えを急がず、前日までの確認と照らした。
アデルの視線が白い札へ向き、指先が動いた。答えの曖昧な箇所は、最後まで公開分に入れなかった。
「承りました」
リシェルは言った。
帰り際、アデルは窓へ目を向けた。療養係が光を弱めるか尋ねると、青い札を見た。
リシェルは、日の当たる寝台をそのままにして部屋を出た。
*
オルドリックが証言台へ置いたのは、妹の死亡を発表した教会の控えだった。
「制度の虚偽は、先の法廷で明らかになりました。今日は、生存を隠した責任について話します」
ゼノンが口を開きかけたが、議長は証人の発言を続けさせた。
「私は妹が生きている可能性を調べず、死亡発表に署名した。助けを求める訴えにも、耳を貸さなかった」
大司教の指が、自分の署名の上で止まった。
若い司祭が、奉献後にも鎮静薬が運び込まれていた記録を提出した。書記官は、記録の矛盾を問いただした同僚が異動させられた日付を挙げた。レオンハルトが北塔から知らせた帳簿の所在も、保管官が確認している。
「この日付と、この出納です」
リシェルは照合箇所を示した。ゼノンの反論は途中で途切れた。大公が席を立ち、議場を出ていくのが見えた。
証言と帳簿が保全され、証人には独立した警備がついた。拘束の必要性を再審査した元老会は、レオンハルトの監視付き釈放を決議した。
「統治権の停止と監査は続ける。認める活動は、改誓への参加と避難の補助に限る」
委員長は条件を読み上げた。北塔から届いた彼の回答は、その条件を受け入れるというものだった。
改誓案への賛成は、四十二票。
全定数六十に対する必要数、四十を満たした。教会の公開証言も受理されたが、議長は票数の脇へ条件を書かせた。
「祭壇で条文を読み、もう一度、一人ずつ意思を確かめる。今日の票で、当日の答えを縛ってはならない」
リシェルは控えに書き留め、祭壇で読み上げる条文を束の一番上へ移した。
議会が終わり、夕闇が迫る皇宮の長い回廊。
北塔から離宮へと戻る道すがら、レオンハルトは前方から歩いてくる人影を見つけた。
リシェルだった。
二人は、数歩の距離を置いて足を止めた。
北塔にいる間、少し痩せたのだろう。彼の襟元に隙間があった。リシェルはそこへ目をやり、すぐに顔を見た。
「記録は、受理されました」
「ああ。聞いている」
彼は手を伸ばさなかった。リシェルも近づかなかった。
話したいことなら、ほかにもあった。声はどうか、眠れていたか。けれど今ここで、以前のように訊くことはできない。
「今日は、もう休みます」
「そうか」
彼が通路を空けた。すれ違う時、リシェルはわずかに歩みを緩めたが、そのまま部屋へ向かった。
*
離宮の自室に戻ったリシェルを待っていたのは、安息ではなく新たな凶報だった。
「聖女様……」
部屋の隅に、ボロボロに服を引き裂かれ、頬を腫らしたマリエラがへたり込んでいた。彼女を保護したイルザが、険しい顔で傍らに立っている。
「マリエラさん!? その傷、誰に……!」
「配置表を、私が渡しました……」
マリエラは血のにじむ唇を震わせ、すがりつくようにリシェルを見上げた。
「療養所の物資を守ると約束されました。皇帝と教会を裁くとも。私は、その約束を信じて倉庫の配置表を渡しました。火をつけるとは聞いていません。でも、渡したのは私です」
イルザが証言を記録した。手当ての後、司法官へ事情を話すことになった。
「それから、大公は自分が皇帝になるつもりです。戴冠の準備を、もう始めています」
「大公自身が、皇帝に……?」
「はい。彼は地下の偽勅保管庫を使い、力ずくで帝都の要所を制圧する気です。私の組織の人間も、大半が捕らえられ……私だけが、命からがら逃げ出してきました」
マリエラは泣き崩れた。自らの復讐心が、結果的に最悪の独裁者に力を与えてしまったことを悔やむように。
皇帝の力が失われ、教会が崩壊した今。
帝国の実権を握ろうとする大公の、最後の暴走が始まろうとしていた。




