第33話 門の外で待つ人
審問所で差し出された釈放の条件は、一枚の紙に収まっていた。
異端の印刷物を配ったことを認める。今後、皇帝の公開記録の印刷には関わらない。そう誓えば、皇帝の執り成しによる赦免を認めるという。
「これに署名すれば、今日にも外へ出られます」
審問官は、リシェルの前へ紙を滑らせた。
面会室の格子の向こうで、トビアスが首を振った。
「帰りたい。だが、それには書かない」
「まず外に出てから、取り消しを求めることは――」
「取り消せる保証はあるのか」
リシェルは答えに詰まった。
「俺が罪を認めたことにされる。弟子たちの仕事も、明日から止まる。赦されなきゃいけないことは、していない」
その手の甲には、インクが残っていた。リシェルは条件書を読み直した。彼を外へ出すことしか考えず、その先を読んでいなかった。
「少し、時間をください」
彼女は審問官に告げ、面会室を出た。
門の外には、イルザとレオンハルトがいた。今日の同行は、公開記録を発行した側の説明が必要になった場合に限ると、先に合意してある。彼は審問所へ入らず、要請を待っていた。
「条件つきの赦免しか認めないそうです」
リシェルは紙を広げた。
「彼は無実なのに。私まで、署名した方が早いと思ってしまいました」
レオンハルトは紙を読んだ後、返した。
「公開記録が正式なものだという証明なら出せる。ほかに必要なことがあれば、聞かせてくれ」
彼女の答えを先に決めはしなかった。
リシェルは、トビアスが言った「帰りたい」を思い出した。助けを拒んだのではない。罪を認める形での救済を拒んだのだ。
戻ると、トビアスは格子のそばへ来た。
「さっきは、ごめんなさい。署名の後に起きることを、私が軽く考えました。出るために必要なことを、一緒に考えさせてください」
「印刷を続けたい。弟子に手を出さないでほしい。罪を認めた記録を残したくない」
「わかりました。自白があると聞きましたが、何に署名したのですか」
彼の顔が険しくなる。
「紙を読まされた。皇帝の印があった。読むと、手が勝手に……今も、次の調書が来たら署名するようになっている」
リシェルは初めて、机の陰に隠れていた彼の手首を見た。
灰色の糸が、指へ絡んでいる。
「止めてほしいですか」
「ああ。頼む」
彼女は本人の依頼を確かめ、糸へ手をかざした。
「否」
糸が切れた。トビアスは指を開き、握り、もう一度開いた。
リシェルは椅子につかまった。一回でも頭が重くなる。今日はここまでにすると、立会人に伝えた。
その場で審問官に、署名の際に読ませた紙の提出を求めた。拒否されると、イルザを通じて通常の司法官へ保全を申し立てた。
皇帝の記録に、この命令はない。さらに印刷所に残った搬出簿には、押収された調書と同じ紙の納入先が記されていた。
夕方、立会人を伴った司法官が来た。紙を押収し、トビアスの調書と照合する。古い認証印を使った書面命令だった。
「強制された署名を、容疑の根拠にはできない」
司法官が告げた。公開記録の印刷それ自体を罪とする根拠も示されず、拘束は解除された。
自白書を証拠から外した記録と、工房の営業を妨げないことの確認を、トビアスが自分の目で読んだ。
*
門を出た時、空はもう暗かった。
「腹が減った」
トビアスが言うので、リシェルはようやく笑えた。
「工房の皆さんが、食事を用意しています」
「それなら急ごう。あいつら、俺の分まで食うから」
レオンハルトは門の脇に立っていた。トビアスが近づくと、道を空けた。
「公開記録は続ける。今日の偽勅のことも載せる」
皇帝が言うと、トビアスは短く頷いた。
「俺が刷ります。陛下の件も、消しませんよ」
「消すよう求めない」
そこへ、近衛の伝令が駆けつけた。
大公が統治権停止案を提出した。確定した支持は議会の四割ほどで、中道派への働きかけを始めているという。
レオンハルトは通知書を読んだ。
「私への処分を審議すること自体は、必要だ」
紙を折り直す手が止まった。
「ただ、次に権限を握る者まで、叔父が一人で決めてよいはずはない」




