第12話 皇帝の偽物を捕まえる
「大公邸の使用人が偽勅に縛られていました。大公閣下も同じ折り方の紙を持っていましたが、中身までは見ていません」
翌朝。離宮の執務室で、リシェルは昨夜大公邸で見た光景をレオンハルトに報告していた。
レオンハルトは腕を組み、重苦しい沈黙を落とした。
「叔父上が裏で糸を引いているという私の推測と、お前の視界の異常は一致した。だが、それだけでは不十分だ」
「証拠にならない、ということですね」
「ああ。私が元老会で『聖女の目には糸が見えるから大公を捕縛する』と言えば、彼らは私が不当な言いがかりで政敵を排除したと騒ぎ立てるだろう」
レオンハルトは冷静に事実を切り分けた。彼は皇帝の力で強引に大公を捕らえることもできたが、それを行えば力による支配という悪しき過去に逆戻りすることになる。
「物理的な証拠と、実際に大公と偽勅を繋ぐ『実行犯』の身柄が必要だ」
「……ならば、罠を張りましょう」
リシェルの提案に、レオンハルトが微かに眉を上げた。
「イルザ隊長に協力してもらいます。前の偽勅は一日で切れています。失敗したことを敵は知っているはずです。イルザ隊長がまだ標的へ近づけると思わせ、新しい書面を渡しに来るところを押さえるのです」
二人は机の上に、皇宮と大聖堂の分厚い見取り図を広げた。
「接触の場を作るには、敵が動きたくなるような『隙』が必要です」
「私が偽の公告を出そう」
レオンハルトが即座に応じた。「本日の午後より、離宮の警備態勢を一部緩和し、近衛兵の交代時間をずらす。敵は必ずその空白を突いて、操り人形であるイルザに次の偽勅を渡しに来るはずだ」
舞台の用意は皇帝が引き受け、罠の実行と誘導はリシェルが担う。
二人は身を乗り出し、机上の図面に目を走らせた。
「近衛の巡回ルートから外れ、かつ外部の人間が入り込みやすい死角はどこだ」
「東の回廊の奥はどうでしょう。あそこなら人目は少ないです」
「いや、そこは窓が多くて外の警備の目につく。敵はもっと暗く、確実に逃げ道のある場所を選ぶはずだ。例えば……」
二人は図面上の線を追い、視線を彷徨わせた。
そして。
「ここだ」
「ここですね」
二人の指先が、同時に図面の一点にトン、と置かれた。
そこは、離宮の裏庭に通じる『古い使われていない階段』の踊り場だった。
二人の指先が、紙の上で軽く重なり合う。
ハッとして顔を上げると、レオンハルトの顔がすぐ目の前にあった。図面を覗き込むために身を乗り出していたせいで、互いの吐息がかかるほどの距離になっていたのだ。
彼の黒い瞳が、わずかに揺れる。
熱を持った指先が触れ合ったまま、数秒の静寂が落ちた。
やがて、レオンハルトの口元が微かに緩み、低く掠れた笑い声が零れた。
「……同じ思考に至るとはな」
「陛下が、私の考えを読んでいたのでしょう?」
「まさか。お前が皇帝の思考に追いついたのだ」
「ここを選ぶなら、逃げる時はどちらへ?」
「南だ」
「私なら北です」
もう一度顔を見合わせた。今度は、リシェルの方が先に笑った。
レオンハルトは自然な仕草で指を離し、図面を指先で叩いた。
「ここに人員を伏せる。イルザを呼べ」
呼ばれたイルザは、図面を見る前にリシェルへ頭を下げた。
「あの日、私はあなたを殺そうとしました。命令が切れた今も、刃を振り上げた手の感触が残っています」
「あなたも止めてほしかったのでしょう。今度は、一緒に書面を捕まえたいのです」
イルザは右手を開いた。
「十年前にも、この手で住民を地下道へ送りました。私は若い兵で、あの道が危険だと思っても、決まった誘導を止められなかった。……同じことを繰り返すのは、もう嫌です」
彼女は図面へ指を置いた。
「私がここへ立ちます。書面は開かず、封のまま渡します」
*
その夜。
皇宮の奥、古い階段の踊り場は冷たい闇に包まれていた。
イルザは虚ろな目を装い、壁に背を預けて立っている。彼女の心臓は早鐘のように打っていたが、呼吸は訓練された近衛兵らしく落ち着いていた。
カツ、カツ……。
回廊の奥から、くぐもった足音が近づいてくる。
現れたのは、誓約教会の法衣を深く被った人影だった。
「……イルザ・フォーゲル隊長だな」
低く、周囲を警戒する声。イルザは焦点の合わない目を向け、ただゆっくりと頷いた。
「今日はこの書状だ。明朝の配置を読んでおけ」
男が懐から、筒状に丸められた羊皮紙を取り出し、イルザへ差し出した。
イルザがその羊皮紙を受け取った、次の瞬間。
「そこまでだ!」
暗闇の中から、武装した近衛兵たちが一斉に飛び出した。
「なっ……!?」
驚愕して逃げようとした男は、あっという間に床に押さえつけられ、両手に枷を嵌められた。
松明の明かりが灯され、男の法衣のフードが剥ぎ取られる。
そこにいたのは、教会の実務を取り仕切る中級司祭の一人だった。
「ご苦労だった、イルザ」
階段の上から、黒い外套を羽織ったレオンハルトが静かに下りてきた。その後ろにはリシェルも続いている。
「へ、陛下……! これは、誤解でございます! 私はただの伝言を……!」
「話は別室で聞く。押収した紙には触れるな」
レオンハルトがそう告げると、記録官が封筒に押収時刻を記した。
尋問には皇帝は同席しなかった。翌朝、立会人を伴う取調官の前で、司祭は書状を預かった経路を話した。ゼノン典礼長の執務室から受け取ったという。
紙を包んでいた帯には教会の物品番号が残っていた。取調官は証言だけで逮捕先を決めず、受渡簿の提出を求めた。
ゼノンの名が出たことで、近衛兵たちがざわめいた。
(でも……)
リシェルは微かに眉をひそめた。大公の懐にも、似た紙があった。ゼノンが実務を担っていたとしても、彼もまた手駒の一人に過ぎないのではないか。
供述の報告を受けた後、レオンハルトは記録官の立会いのもとで、押収された『偽勅』を確かめた。記録官が保管袋から羊皮紙を取り出し、机へ広げる。
開かれた紙面には、確かに皇帝の血で押された『認証印』が赤黒く残っている。
だが、その印泥を見たレオンハルトの瞳が、僅かに細められた。
「……陛下?」
報告に同席していたリシェルも、机の羊皮紙を覗き込んだ。
霧読みとしての鋭い嗅覚が、紙から漂う微かな匂いを捉えた。
「古い紙の匂いがします。いつ作られたものなのでしょう」
「匂いだけではわからん。ただ、印の縁の欠け方に覚えがある」
レオンハルトは即位当初の勅書の控えを取り寄せた。二枚を並べると、右下の細い欠けが重なった。
「十六歳の頃、私の血は健康管理の名目で定期的に採られていた。廃棄の記録も、叔父の管理下にあった」
「血が残っていれば、古い認証を使い直せる……」
「可能性はある。保管庫の出納を調べよう」
若い皇帝の署名が、比較用の紙に残っていた。
今より細く、何度も書き直した跡がある。リシェルがそこを見ていると、彼は紙を裏返した。
「私が知らなかった、と言うだけでは済まない話が出てくるだろう」
その声は、先ほど司祭を捕らえた時よりも低かった。




