22:冒険者たち
極寒の地の歓楽街とは、夜こそが最も盛りでもあれば最も冷え込む時間帯。
だからこそ酒を飲んで暖まろうという訳なのだが、中には異常な熱気の店もあった。
目も鼻がおかしくなりそうな匂いで充満している。
「ここが地獄か……」
「そうだよ」
顔を顰めて雪雉が呟けば、コウが真面目に頷く。
場所も組み合わせも妙なこと。
どうしたことかといえば話は少しばかり遡る。
とある週末、今夜も雪雉は愛しの主人に時間いっぱい可愛がられた後のこと。
ホロルニスを出てホテルまで向かう道、不意に肩を叩いたのは仕事帰りのコウだった。
同じ歓楽街なので偶然にも顔を合わせることはある。
あれから店内で数える程度の会話を交わして、クラスメイトくらいの縁はできた訳か。
「飯でも行かない?」
「……そうだな、お前とは話したいことがある」
拒絶して立ち去っても良かった筈なのだが、雪雉はそう返事した。
この男は自分の知らない鈴のことを知っている。
何となく本人が居る場では訊きにくかった、あれやこれを聞き出す機会だと思ったのだ。
大抵の場合、誘った方が店を選ぶのがマナー。
雪雉がコウに出した条件は「マリ様と行ったことがある店」とだけ。
そうなると困った、こんな時間では同伴で訪れた飲食店なんて軒並み閉まっている。
深夜営業をしている店に限られる為、その中から選ぶとなると一軒のみになってしまう。
それでも良いならと前置きの上、コウに連れて来られたのは赤い暖簾。
歓楽街の片隅にある「鶏地獄」は激辛ラーメン専門店だった。
呑んだ後にラーメンで締めるのは理に叶っているらしい。
アルコールの分解で失われた糖分、塩分、水分を一度に補給できるので、ラーメンが食べたくなるのは本能のようなもの。
とはいえ、それにしては刺激が強すぎやしないか。
「白雪さん、こういう店初めて?無理しなくて良いよ?」
そのコウの言い方がまた心配と挑発の微妙な間、腹立たしいことだ。
どちらかといえば甘い物を好む雪雉だが辛口のミントガムを持ち歩いていることもあり、そこまで苦手でもなし。
溜息一つで覚悟を決めて、共に暖簾を潜った。
鶏地獄とは、本来の意味では鳥獣の虐待や殺生をした罪人が堕ちる地獄のこと。
ラーメン屋としてはあっさり鶏ガラのスープ、八大地獄に因んで八段階の辛さ。
等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻の順番で増していくので選ぶ際は慎重に。
メニュー表を見るだけで実に物々しい。
「ここは大叫喚からヤバくなるからね」
バブル崩壊後の九〇年代からエスニックブームにより、こうして激辛料理も注目されるようになっていた。
しかし、ただでさえ辛い物は急激な血圧上昇や粘膜損傷などリスクもある。
歓楽街だけに酒の勢いなどで気が大きくなって無理をする客も居る為、店内の壁やメニューには注意書き。
「ちなみにマリちゃんはそれ食べ切ったけど」
「本当か……?」
雪雉が訝しむのも当然の話。
はて、昔の鈴は寿司から山葵を抜いていた筈だが。
ともあれ、そろそろ注文を決めねば。
「俺は大叫喚にするけど、白雪さんどうする?」
「同じので良い……」
初心者なので雪雉は様子を見ようかと思いつつ、どんな代物なのか興味が出てしまった。
鈴だってミルクや砂糖菓子だけで生きている訳ではないと知っていても、どうも記憶の中の彼女とは随分と掛け離れていて。
ただしコウに騙されていなければの話、そこも承知で雪雉は選んだ。
「大叫喚二つね、あと餃子とライスも追加で」
「要らん」
「俺はコレ無いとラーメン屋に来た気がしなくて」
「ああ、そうかい……」
それなら、鈴と来た時もコウは同じ注文だったのか。
同伴で激辛ラーメンに餃子なんて、色気が無いどころで済まない。
「同伴って仮にもデートだろう……お前のセンスどうなってんだ、ホストのくせに」
「あー、やっぱ話ってマリちゃんのこと?」
はっきり言えば、むしろそれしかあるまい。
本来なら別世界の住人であろう、雪雉とコウを結び付ける唯一の共通点。
女王様とは崇拝者を作る職業。
それだけならシロハラを始めとした他の客と同じでも、雪雉はコウには違うものを嗅ぎ取っていた。
同類だからこそ分かること。
「コウ、お前……いつもマリ様とプレイルームで何をしている……」
「ははっ……やーだよ、言う訳無いじゃん」
ただでさえ冷たい印象の雪雉が威圧感を纏うと迫力が増す。
にも関わらずコウには欠片も効かなかった。
素直に言うか茶化して誤魔化されるか、予想が大きく外れただけでない。
日頃の懐っこい態度を潜めたコウは、冗談めいた口調に不似合いな酷く醒めた目。
ただの阿呆かと思えば意外と腹が据わっているらしい。
雪雉は知らない話、ヤクザがこの程度で怯むものか。
口を割らせたいなら弱みでも握らねば。
「あのさー……俺はマリちゃんを金で好き勝手に扱ってる、とかそういう訳じゃないよ。まぁ、そもそもやらしーことされてんのは俺の方だし」
「……はぁ?」
今度はコウが呆れの色を混ぜてくるものだから、雪雉は苛立ちがそのまま飛び出てしまった。
引っ掛かる物言いの理由をお聞かせ願おうじゃないか。
「白雪さんが知らなかったところで、俺はマリちゃんのこと独り占めするまでの手順を踏んでるよ。ホロルニスはお互いに信頼を築いて、何より女王様からお許し無いとプレイルームまで行けないんだから」
思わぬところで突き刺された錯覚。
初めてホロルニスに乗り込んだ日、コネと大金で無理やり踏み込んだ雪雉には痛い言葉だった。
SM系の風俗なら確かに歓楽街で他にもあれど、ホロルニスは違う。
コウの言う通り、何度もバーに通って特定の女王様と交流を深めた上でSMクラブの会員になる資格が与えられるのだ。
SMとは同意、信頼、愛が欠かせない遊戯。
それはペットである雪雉も理解してきたこと。
もし鈴の売られた先がソープやヘルスなら、それでも構わず雪雉は愛せたし遠慮なく攫えたのに。
コウが鈴のことを精液を吐き捨てる器として見ているだけなら、こんな嫉妬なんてしなかったのに。
「他の男にしたことを自分にもしてくれ」と鈴に懇願したのは先日の話。
受け止める覚悟をしていたつもりでも、知れば知る程に欲望の形とは多種多様で果てが無い。
粘膜接触など直接的な性行為が禁止されているからこそ、密室で何をしているかは客それぞれ。
だからこそ嫌な想像だけが先走って止まらなくなる。




