第8話 聖都への伺いと、平穏の願い
黄金の果実で「クレーマー」たちが震えながら退散した翌朝。
湊は教会の屋根裏で、「昨日のリンゴ、一個くらい自分で食べればよかったな……」と、少しだけ後悔しながら朝の身支度を整えていた。
部屋を出て階段を下りると、そこにはカイル隊長をはじめとする騎士たちが、昨晩以上に厳かな空気を纏って待機していた。 彼らは整列し、湊が姿を見せた瞬間に、一斉に音もなく深く頭を垂れる。
「……あの、皆さん。おはようございます。朝からどうしたんですか?」
「おはようございます、ミナト様」
カイルが代表して一歩前に出る。
その表情は、期待と、それ以上に「自分の言葉が主を不快にさせないか」という極限の緊張に満ちていた。
「ミナト様。恐れ多くも……本当に恐れ多くも、我ら騎士団より一つ、お伺いを立てさせていただきたく存じます」
「伺い? はい、なんでしょう」
カイルは跪き、湊の靴の先すら直視できないといった様子で、消え入りそうな、しかし熱烈な声を絞り出した。
「……ミナト様。このような辺境の、古びた教会もまた、御身の慈愛を示す場としては相応しゅうございます。……しかし、もし……もしミナト様のご意志にかなうのであれば、一度、我らが総本山『陽光の都』へお立ち寄りいただくことは……叶いますでしょうか?」
「(……出た。これ、本社への『転勤・栄転打診』のやつだ)」
湊の脳裏に、以前の会社での「君、そろそろ本社へ戻って大きなプロジェクトを……」という、期待という名の圧力が蘇った。
「……あそこの大聖堂には、太陽の女神様を祀る最高位の巫女様もおります。……もし、ミナト様が御身を休める場所として、より整った環境をお望みであればと……。もちろん、この地を愛されるミナト様のお心を妨げるつもりは毛頭ございません!」
「(……。あっちの『本社』に行けば、間違いなく今以上に偉い人たちに囲まれて、一分一秒を忖度と礼儀で埋め尽くされる生活になる。……それだけは、絶対に避けたい)」
湊は、以前の会社で「本社栄転」を断った同僚が、地方の支店でいかに自由に、かつ楽しく働いていたかを思い出していた。
「……カイルさん。お気持ちは本当に嬉しいです。でも……俺は、今のこの『辺境の支店』……じゃなくて、この教会が気に入ってるんです。子供たちもいますし、バレル司祭も……まぁ、あんな感じですし」
「……ッ!!」
カイルが、弾かれたように顔を上げた。その瞳には、感動と自責の念が混じり合っている。
「……左様でございましたか。我ら卑小な者の浅知恵で、ミナト様の高潔な御心を惑わせようとしたこと、心よりお詫び申し上げます。……ミナト様は、あえてこの『苦難に満ちた民の側』に留まることを、お選びになられたのですね……!」
「(……いや、ただ単に本社が面倒くさいだけなんだけどな)」
「おいおい、隊長さん。坊ちゃんをあんまり困らせるなよ」
そこへ、寝癖だらけのバレル司祭が、朝食のパンを齧りながら現れた。
「バレル司祭……。貴公は、ミナト様の尊い御決断を聞いたか」
「ああ。聞こえてたよ。……ミナトはよ、堅苦しいのは嫌いなんだよ。本山のあの連中に囲まれたら、こいつ、一日で干からびちまうぞ」
バレルは湊の「社畜アレルギー」を敏感に察し、ニヤリと笑った。
「カイル隊長。あんたの役目は、ミナトを連れて行くことじゃなく、ミナトがここで『気楽に』過ごせるように守ることなんじゃないのか?」
「……っ。……仰る通りだ。私は……己の功名心に目が眩んでいたのかもしれん。ミナト様、不敬をお許しください!」
カイルが再び深く平伏する。
どうやら「本社への強制異動」は、ひとまず回避できたようだ。
「……じゃあ、カイルさん。代わりと言っちゃなんですけど、今日は森に採取に行きませんか?子供達に何か一品でも美味しい食事が増えればと思って」
「はっ! 主の望まれるままに! 」
カイルは、湊の「提案」を、自分たちに与えられた「神からの任務」として、喜びに満ちた表情で受け止めた。
湊は、窓の外で相変わらず眩しく輝いている太陽を見上げた。
なんだか太陽神さんが拗ねてる気がするけど、ここも太陽神さんの教会らしいからいいか。司祭がお祈りしてるの、あんまり見ないけど、シスターさんたちは祈ってるもんな。
湊は、子供たちが作った「たんぽぽの冠」を頭に乗せられながら、騎士団を従えて穏やかな春の森へと歩き出すのだった。




