第5話 喧騒の朝と、不敬な聖域
「ぎゃははは! まてー!」
「こら! 廊下を走るんじゃない!」
翌朝。
教会の一室で目を覚ました湊の耳に飛び込んできたのは、昨日までの重苦しい「神託」や「騎士の誓い」とは無縁の、元気すぎる子供たちの叫び声だった。
「(……ああ、いいな。この『土日の公園』みたいな感じ、落ち着くわ)」
湊が窓から下を覗くと、教会の裏庭にある小さな広場で、十数人の子供たちが走り回っていた。どうやらこの教会、身寄りのない子供たちを預かる孤児院も兼ねているらしい。
湊は吸い寄せられるように、一階へと下りていった。
その後ろを、寝癖一つない完璧な装備姿のカイル隊長が、影のように(そして重々しく)ついてくる。
「ミナト様、お気をつけください。無垢ゆえに不敬を働く者もおりますゆえ……」
「カイルさん、朝から固いですよ。ただの子供じゃないですか」
広場に出た湊と、殺気すら漂わせるカイル。
そこで二人が目にしたのは、昨晩「不敬なほどやる気がない」態度を見せていた司祭バレルの、全く別の顔だった。
「おい、レオ! 好き嫌いするなって言ったろ。ほら、口を開け!」
「えー、司祭様の作ったスープ、野菜ばっかりで苦いんだもん!」
「贅沢言うな! 聖教から下りてくる予算なんて雀の涙なんだよ。俺の酒代を削ってまで買った野菜だ、残さず食え!」
バレルは、昨日の「死んだ魚のような目」とは対照的に、眉間に皺を寄せながらも、小さな子供の口にスプーンでスープを運んでいた。
彼の周りには、服の裾を引っ張る子、頭に乗ろうとする子、膝にしがみつく子が鈴なりになっている。
「(……なんだ。ただの『疲れた保育士さん』じゃないか)」
湊が思わず口角を緩めると、横にいたカイルが絶句したように呟いた。
「……バレル司祭。あのような世俗的な振る舞い……。至高の御方を前にして、なんと厚顔無恥な……」
「いいじゃないですか。あっちの方が、よっぽど教会らしいですよ」
湊が子供たちの輪に近づこうとした、その時だった。
一人の幼い少女が、走り回っている最中に石に躓き、派手に転びそうになった。
「あ……」
湊が思わず手を伸ばすよりも早く、地面の砂利が波打つように一瞬で平らになり、ふかふかの苔がそこだけ急速に生い茂って、少女の膝を優しく受け止めた。
「えへへ、痛くない!」
少女は何事もなかったように立ち上がり、湊を見上げて屈託なく笑った。
「お兄ちゃん、だあれ? 髪の毛、お月様みたいで綺麗!」
「……ミナトだよ。転ばなくてよかったね」
湊が少女の頭を撫でると、その瞬間、彼女の着ていたボロボロの服から汚れがサァーッと消え、まるで新品のように白く洗い上げられた。
【不浄を嫌うもの】が自動発動中
「お、おい……。なんだ、今の……」
スープを配っていたバレルが、ようやく湊の存在に気づき、目を丸くした。
彼には、湊が何か魔法を使ったようには見えなかった。
ただ、湊がそこに立っただけで、世界が勝手に「掃除」を始めたように見えたのだ。
「ああ、司祭様。おはようございます。子供たち、元気ですね」
「……ああ。朝からうるさくて、酒が抜ける暇もねえよ」
バレルはぶっきらぼうに答えると、湊の手元をチラリと見て、一つ大きなため息をついた。
「おい、あんた。そんな高級そうな服で子供と遊ぶな。泥で汚されたら、カイル隊長に俺が斬られる」
「いいですよ、洗濯なら(自動で)されるみたいですから」
「(……ダメだ、この坊ちゃん。自分がどれだけ『異常』か、これっぽっちも理解してねえ)」
バレルは呆れたように首を振ると、カイルの方を向いて言った。
「隊長さん。あんたの『神様』は、ガキの相手がしたいらしい。……あー、ついでだ。そこにある薪を割ってくれよ。聖騎士様の剣術なら、一瞬だろ?」
「き、貴様! この私に、ミナト様のお傍を離れて雑用をしろと言うのか!?」
カイルが憤慨するが、湊はそれを「まあまあ」と宥める。
「いいじゃないですか。俺、子供たちと少し遊んでますから」
湊が子供たちに囲まれて笑っている間、その周囲では花が狂い咲き、風は常に心地よい温度に保たれ、蝶たちが湊の周りでダンスを踊り続けていた。
鈍感なバレルも、さすがに少しだけ「……こりゃ、ただの貴族様じゃねえな」と、背中に冷たいものを感じ始めていた。




