第12話 不浄を許さぬ「清掃」の結果
その噂をミナトのところに届けたのは、孤児院の少年レオだった。
彼自身も友達のサーシャから聞いたらしい。
「なあ、魔法使いの兄ちゃん、知ってるか?魔の森には、聖なる泉が出来たんだってさ」
「聖なる泉?」
聞いたことがなかった。
いや、嫌な予感はしている。
まさか、いや、違うだろう。今回こそは。
そうであってくれとすら願いながら、ミナトは先を促したが、やはりミナトの願いは叶えられないのである。
「うん。魔の森の奥にあった人喰いの大沼が、聖なる水を讃えた湖になってたって話だよ。冒険者から広まった話みたいなんだけど、その湖の水はさ、綺麗で美味いだけじゃなくて、傷や病気を治すんだってさ。天然のポーションだって騒いでたらしいぜ」
ああ。あれだ。
転移した初日に試しに不浄を取り除いた湖だろう。
でも、あれは誰にも見られてないから、言わなきゃ無関係だ。
大丈夫、問題ない。
「その水求めて、これから色んな人が集まるだろうって、市場の大人たちが言ってた。魔の森だから危険なのには変わりないっていう人もいるけど、冒険者の人たちの話じゃ、あの森の生き物たち変わって来てるらしいんだ。多分な、奴らもその水を飲んでるんだろうって、薬屋の爺様が言ってたな」
「へえ。…なんでその話を俺に?」
「いや、魔法使いの兄ちゃんに治してもらわなかったら、母ちゃんのために、あいつ森に入っていったんだろうから。兄ちゃんが治してくれて、助かったよ。あんがとな!」
疑った自分が恥ずかしい。
というか、レオくんは情報通だなあ。
どこで仕入れてくるのかと思ったら、町で遊びまわる際に、大人たちの噂話を盗み聞いてるらしい。
「兄ちゃん、情報ってのは、売れるんだぜ」なんて、笑ってた彼に、お駄賃として、また果物を差し入れることを約束させられた。
ちゃっかりしてるなあ。
レオがまた遊びに去った後、ミナトはシスターに頼まれた買い出しをするために町の広場へと向かった。
(……聖なる湖、ね。まあ、あんな辺境の森の奥だ。物好きな冒険者が数人拝みに行く程度で済むだろう)
そう自分に言い聞かせながら、ミナトは市場の通りを歩く。
だが、どうにも落ち着かない。
気のせいか、歩くたびに足元の石畳が、まるでレッドカーペットでも敷かれたかのように歩きやすく、デコボコが平らになっている気がする。
「おっ、教会の魔法使いの兄ちゃんじゃないか!」
威勢のいい声に呼び止められた。八百屋の店主、ゴードンだ。
「こんにちは、ゴードンさん。キャディッシュとキャロット、それから黄金芋をいくつか貰えますか?」
「おう、好きなだけ持っていけ! 兄ちゃんのおかげで、この辺の野菜も最近はツヤが違っててよ。みんな『教会の兄ちゃんが来てから、空気が旨くなった』って言ってるんだぜ」
「……空気が旨いのは、ここが田舎だからでは?」
「ははは! 謙虚だなあ! ほら、このリンゴもオマケだ。あんまり美味そうだったから、今朝ギルドの連中も買っていったぜ。例の『聖なる湖』の調査に行くとか言ってな」
(……嫌な予感が加速している)
ミナトは適正価格の銅貨をカウンターに置こうとしたが、ゴードンは受け取ろうとしない。
「いやいや、金なんていいって! 兄ちゃんがここにいてくれるだけで、うちの店は商売繁盛なんだから。……おい、みんな! 聖者の兄ちゃんがお見えだぞ!」
ゴードンの呼びかけに、周囲の店主や買い物客がパッとこちらを向いた。
その目は、尊敬と、期待と、そしてどこか「拝めばいいことがありそう」という打算的な熱っぽさに満ちている。
「ミナト様、うちのパンも食べてみて! 最近、焦げ目がつかなくなったの、きっとミナト様のおかげだわ!」
「こっちの干し肉も持っていってくれ! ミナト様が通りかかると、虫が寄ってこないんだ!」
ミナトの視界の端に【不浄を嫌うもの:常時発動中】の表示が虚しく流れる。
彼が歩くだけで、周囲の菌や害虫が文字通り退けられているのだ。
でも、それは神だとかではなくて、チートスキルの効果である。
「いや、あの……俺はただの人間で、道に迷ってこの町に来ただけの者ですから。パンの焦げは火加減の問題ですし、虫がいないのは季節の変わり目かと……」
必死に否定するが、人々の耳には届かない。
むしろ、ミナトが困ったように微笑む(実際は引き攣っている)だけで、「ああ、なんと慈悲深いお顔だ」と感極まる老婆まで現れる始末だ。
(まずい。これ、完全に『外注の凄腕コンサル』だと勘違いされて、後でとんでもない成果報酬を要求される流れだ。……よし、逃げよう)
「あ、すみません、司祭様が呼んでいるのを思い出しました! また今度!」
ミナトは野菜の袋を抱え、逃げるように教会への道を急いだ。
背後から「ミナト様、また来てね!」という大合唱が聞こえてくる。
「……バレル司祭、助けてください。この町、勘違いが伝染してます」
教会に戻り、居間でだらけている司祭に泣きついたが、バレルは「おーおー、人気者は辛いねえ」と、ミナトが持ってきたリンゴを勝手に齧るだけだった。
ミナトは知らない。
彼が逃げるように歩いた後の石畳に、一輪の「月の雫」という、本来この地方には咲かないはずの聖花が、月光のような輝きを放って咲き誇ったことを。
そしてそれを見つけた町の人々が、「やはりあの方は、月の神の使いだ」と確信を深めたことを。
神話の種は、ミナトの意図とは無関係に、辺境の土に深く根を張り始めていた。




