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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode34「紫雲英、拾ひ集む」
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㉞-2 知らなかった君の過去

 笑みを浮かべた道化のように、アドニスはそこに居た。

 何がそんなに楽しいのか。

 一言で言えば、不気味だ。

 そんな感情が、一同の胸に湧き上がっているようだった。


 ヴァルクは溜息をつくと、顔を上げた。


「アルベルトさんは、レンがどういう人物なのか、分からない……いや、知らないみたいですね」


 ヴァルクはアルベルトから見れば子供だ。しかし、アルベルトに臆することなく対等に話している。

 一方のアルベルトもヴァルクを子供扱いせず、一人の話し相手として見ていた。


「ああ、ほとんど何も知らない。フリージアもな」


 口に出した言葉で、心が焼き切れるようだった。

 アルベルトは、レンのことを何一つ知らなかった。

 ティニアという名前が本名ではないことは、以前ミュラー夫妻の話から聞いている。

 それだけで満足していた訳ではない。


 本人がいつか話してくれるのではないか、そう思っていた。

 記憶が混濁し、別人のようになるまでは——。


 奥歯に力を入れ、顔を歪ませるアルベルトを前に、ヴァルクは一瞬俯いた。怯えたのかもしれない。しかし、ヴァルクは再び顔を上げた。


「話す前に、俺たちのことを信じてもらうために、少し身の上話をさせてもらいます」

「必要なら、別に構わない」

「……俺たちの先祖は、遠い世界からやってきました。先祖たちは二手に分かれました。他の人たちに交じって生きていく者たちと、ここで密かに生きていく者たち。俺たちの先祖は、後者でした」


 ヴァルクはマリアやティナ、そしてレオンへ順番に視線を送った。


「ここでの暮らしを始めたのは、千年前……いや、もっと昔だったかな。正確な年数は後で聞いてください。それほどまでに、遠い昔の話なんです」


 マリアは黙って頷いた。


「……それほどまでに昔からここで暮らしていたのが、俺たちの先祖です。でも、二度の流行り病で子供も大人も関係なく、皆死んでいった。俺が生まれる前の話ですけどね」


 ヴァルクは廃墟が連なった街並みへ視線を送った。自然とマリア達も、廃墟へと視線を送る。


 決して平坦な道のりではなかっただろう。

 長い時をかけて、静かに暮らしていた人たちの営みが、ここには在ったのだ。


「だけど、コルネリアの母親が亡くなって、ついに畑が枯れてしまった。生き残ったのは俺と赤ん坊のコルネリアだけ。そんな時に、レンが現れたんだ」


 ヴァルクは、アルベルトを見上げた。


「レンは精霊に近い存在で、不思議な魔法を使うひとだった」


 ヴァルクはアルベルトをまっすぐに見据えた。


「それが、本来のレンなんです」


 アルベルトは息を飲み、マリアは視線を落とした。


「……精霊——?」


 確かめるようにこぼれ出た声は、酷く掠れていた。

 言葉にならないのか、僅かに唇が動いた。


 これまで知ることのなかったレンの過去を、突然突きつけられたのだ。

 すぐに受け入れられるはずもない。


 その気持ちは、マリアにも少しだけわかるような気がした。

 マリアにとっても、彼女がかつて人知を超えた存在であったことを、すぐに受け入れられたわけではない。


 しかし、彼女の生き様、物の捉え方、命への考え方。

 全てが達観していた彼女のことを思えば、妙に腑に落ちていった。


 握る手に力が入ったのか、フリージアがアルベルトを見上げた。

 アルベルトは我に返ったように、その手を握り返した。


 焦り、怒り、悲しみ、驚愕……。


 今のアルベルトが何を思っているのか、マリアには分からない。

 ただ、自分が真実を知った時と同じように、簡単に受け入れられることではないだろう。

 ヴァルクは不安そうにそれぞれの顔を見上げると、ぽつりぽつりと語りだした。


「……レンは昼間働いているから、夜の九時を過ぎると、この村へ来てくれました。それで食事や洗濯をしたり……。文字を教わることもありました。俺たちのことを大切にしてくれたんです。レンは、レンは——」


 口ごもってしまったヴァルクは、思い詰めているようだった。レンは悪くない。そう言いたいのだろう。

 したり顔をしているアドニスと視線が合ったコルネリアは、慌てて付け加えた。


「あ、アドニスさんも、食材を持って来てくれました。でも、毎日じゃなかったから……。あ、でもとても感謝してます!」


 コルネリアの言葉を聞き、アドニスは腕を組んだまま頷いた。

 その時、ヴァルクが息を吸う音が聞こえた。


「レンは悪くないんです! 俺らの母親の代わりをしてくれただけなんです! 悪いのは……、悪いのは——」


 ヴァルクの声は、懇願するような叫びだった。

 コルネリアもその後に続いた。


「レンお母さんは悪くないです! レンお母さんを責めないであげてください……」


 ヴァルクとコルネリアの二人にとって、レンが何物にもかえがたい存在であったことが窺えた。

 マリアは立ち尽くしているアルベルトの横を通り過ぎると、拳銃を捨てた。そして、ゆっくりとしゃがみ込んだ。


「辛かったね……」


 マリアの言葉に、ヴァルクとコルネリアは頷いた。二人とも、今にも泣きだしそうだった。


「今までの暮らしも辛かったのに、レンのことまで……。二人とも、もう無理をしないで、ね?」

「マリアさん……。マリアさんは、ずっとレンお母さんと暮らしていたんだよね。レンお母さんは、寝るのが早かったでしょ?」

「……ああ、そうか。昼間は仕事をしているから、夜は早く寝るんだと思ってた。でも、本当は寝たふりをして、ここへ来ていたのね……」


 マリアの微笑みに安心したのか、ヴァルクが顔を上げた。


「それだけじゃないとは思うけど、大体はここに来ていたんじゃないかな……。ほとんど毎日来てくれた。俺たち、料理もまともに作れないから……」


 マリアはヴァルクとコルネリアを抱き寄せた。

 泣きじゃくるコルネリアと、泣くのを堪えるヴァルクの背中をゆっくりと撫でた。


「よく頑張ったわね……」


 その言葉を口にすると、マリアは不思議な感覚を覚えた。


 母親とは、何なのだろう。


 レンは二人の母親ではない。それでも二人は、レンを母親のように慕っている。

 血の繋がりがなくとも、食事を作り、身の回りの世話をして、無事を願いながら共に過ごす。それだけで、誰かの母親になれるのだろうか。


 腕の中にいる二人の温もりを感じながら、マリアは答えのない問いを胸の内に残した。


 マリアはゆっくりと立ち上がると、アルベルトへ振り返った。アルベルトは、まるで誰かに殴られたかのような顔をしていた。


 毎夜のように里を訪れていたことも、ヴァルクとコルネリアの母親代わりになっていたことも、何一つ知らなかったのだ。

 レンのそばにいたはずなのに、知らない彼女の姿ばかりが増えていく。


 アルベルトは何も言わなかった。

 ただ、俯いたまま唇を強く結んでいた。


 マリアは一度目を閉じた。


 レンと過ごした日々。

 アルベルトが加わり、アパートを出た。

 ティナと暮らしながら、手探りの生活だった。


 笑顔のレンに、怒ったレン。

 全てが彼女だった。


 あの生活に、偽りはない。


 レンの異変にもかかわらず、ずっと側に居たアルベルト。

 その彼に、全てを打ち明ける時が来たのだ。


 アルベルトは、レンの真実を知ってどうするのだろうか。

 レンを見限って欲しくなかった。

 人間ではない自分のことも、拒絶しないで欲しかった。


 それらは全て、マリアの我儘なのだろうか。


 マリアは目を開けた。


「アルベルト。私も、聞いた話で知っていることを、貴方に話せずにいたの……」

「……そうか」


 黙って話を聞いているアルベルトの心情を思えば、少し休むべきなのかもしれない。

 それに、今ここで自分のことまで打ち明ける必要はない。


 まず伝えるべきなのは、レンのことだ。


「レンがどうしてティニアになったのか。私も知る限りの情報を話すわ」


 マリアの言葉は、静かに響いていった。

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