㉝-5 セシュールの隠れ里②
洞窟を抜けると、眩い光で目を奪われる。マリアはすぐにその里の風景を目で確認した。
天空には水のような青い空が広がっていた。
大地は削られたというより、えぐり取られたかのようだ。
神秘的で不思議な空間が、目の前に現れた。
建物の多くは廃墟であり、その一角からヴァルクより幼い少年が駆け寄ってくる。
マリア達はもはや警戒などしていなかったが、ヴァルクは慌てて説明した。
「あいつは弟みたいなやつで、ジジっていいます。コルネリアでも構いませんけどね」
「もう! ヴァルクったら、ジジだなんて呼ばないでよ!」
あどけない少年は全力疾走していたのか、息切れをしながら一行を見つめた。
「は、初めまして! 僕は、コルネリア・タウ・シュタインです」
呆然と少年の言葉を聞いていたマリアは、思いがけないキーワードに反応した。
「タウって、あのタウ!? あなた、タウ族なの?」
「タウ族を知っているんですか!?」
少年——コルネリアは眼を輝かせた。コルネリアも、ヴァルクと同じく丸腰だ。
「あ! 朱色の髪の毛ってことは、あなたがマリアさん?」
「どうして、私の名前を……」
「レンお母さんから、一緒に住んでたって聞いてます!」
レンという名に反応したのはマリアであり、お母さんという呼称に反応したのはアルベルトだった。
「そ、そう、レンから……」
「お、お母さん!?」
「あ、お母さんって言っても。本当のお母さんじゃないんです。本当のお母さんは、僕が赤ちゃんの時に死んじゃって」
淡々と語るコルネリアは涙を浮かべた。そんなコルネリアに、ヴァルクはニヤニヤしながら揶揄った。
「大変だったんだよ、こいつ。おむつの交換はしなきゃだし——」
「ヴァルク! その話いつまでするの!」
ティナに体を支えられたレオンに気付き、コルネリアは激しく動揺を見せる。
「まさか、レンお母さんに撃たれたの!? それとも、ラウルお兄ちゃんに!?」
「あぁ?」
「ひい!」
アルベルトの反応に、コルネリアは何歩も後ろへ後退した。
マリアは必死でアルベルトを宥めた。
「ジジ、多分だけど。レンは間に合わなかったんだ。きっと暴走してたのを、ラウルさんが止めにいったんだ」
「暴走? 止めに、だと? そのラウルっていう男が、襲撃してきたんだぞ!」
アルベルトは憤慨していた。
ラウルは襲撃しただけではなく、挑発にも取れる行動を取っていた。
マリアは複雑だった。ラウルに事情があるにせよ、アルベルトの気持ちは痛いほどわかるからだ。
大声を出したアルベルトに怯えたコルネリアは、ヴァルクの後ろに隠れてしまった。
ヴァルクは呆れたように溜息をつくと、アルベルトを見上げた。
「レンのことが心配なのは分かりますが、ラウルさんの話になるたび、いちいち噛みつかないでもらえますかね。大人げないですよ」
「あぁ?」
「ちょっとアルベルト!」
マリアがアルベルトを宥めようとすると、ヴァルクは納得したように頷いた。
「……成程。貴方がアルベルトさん?」
「…………。そうだが?」
「これを、お渡ししておきます」
差し出されたのは、先ほどの銀の懐中時計だった。
レンは二つの懐中時計を持っていたようだった。
そのうちの一つだろうか。
懐中時計。
フリージアは祈るように、懐中時計を抱えていることだろう。
アルベルトは目を見開くと、マリアへ振り返った。
「しまった! 家にはフリージアが!」
「ええ!?」
アルベルトの言葉に反応したのはレオンであり、そして意外にもティナであった。
ティナは身体を支えているレオンに視線を送った。レオンは思いつめたように俯いてしまった。
「フリージアって誰ですか?」
ヴァルクの問いかけに答えたのは、マリアでもアルベルトでもなかった。
「フリージアは無事ですよ」
一行の後ろから声がした。
慌てて振り返ったマリア達だったが、アルベルトは既に駆け出していた。
「アルおにいちゃん!」
神父の服装の若い男がフリージアと手を繋いでこちらに歩いてくるところだった。フリージアはその手を振りほどくと、一目散に駆け出した。
「わっと」
「アルおにいちゃん!」
泣きじゃくるフリージアは、アルベルトに抱きついた。
信じられないものを見るかのように、ティナは口元に手を当てた。
レオンは視線を逸らしたままだ。
「悪かった。咄嗟のこととはいえ、お前を置いていってしまった」
「ううん……! 良かった、お兄ちゃんが無事で。ティニア様のこと、ちょっと聞いたよ」
泣きじゃくる少女に、後ろに居たマリアが声をかける。
「フリージア、大丈夫? どこも怪我は?」
「はい。大丈夫です。マリアさん」
「彼女に気付いて、態々家まで行った僕への感謝の言葉は無いのですか?」
細目でニヤニヤし始めた若い男は、まるで道化のように手を広げた。
「お前まさか、アドニス!?」
「嘘、アドニスさんなの!?」
「おや、今更ですか? まったく、何というか鈍いというか。君は本当に鈍くて鈍感の中の鈍感ですねえ」
アドニスは初老の白髪交じりな男だったはずである。目の前にいる男はアルベルトより年若く、それでいてあどけなさを残していた。
アドニスは声を高らかに大笑いした。
「はっはっは。いやあ。驚きましたよ。思った以上にレンの暴走が早かったものですからね。ラウルがあの場に駆け付けなければ、三人くらいは死んでいたでしょう」
「ラウルが発砲したり、レンに拳銃を渡すから、怪我人が増えたのよ! なんでそんなこと言うのよ!」
「お前は何を知っているんだ!」
憤慨するマリアとアルベルトを前に、立ち尽くしていたティナが声を上げた。
「アドニス神父。貴方は、全てを知っていたのですか」
「……そうですねえ。そうです! 僕はぜーんぶ知っていました」
「説明しろ、アドニス! あいつは、どうなっちまったんだ」
「そうですねえ。あ、あなた方の怪我は枷として完治させませんから、あしからず!」
アドニスはティナとレオンへ向かって笑みを零す。その異常な行動には覚えがある。
アルビノの少年であったレンにそっくりな笑い方だ。
フリージアは握っていた白銀の懐中時計をアルベルトに掲げた。
「これ、アルお兄ちゃんが持っていて」
「ッ……。持って来たのか」
素直に受け取れず、アルベルトは口元を歪めた。
黙ってみていたヴァルクは、フリージアの元にゆっくりと歩み寄ってきた。
フリージアは、慌ててアルベルトの足に隠れた。
「白銀のお嬢ちゃんが持ってる懐中時計、レンが持ってたやつだね」
「……レンって、ティニア様の事ですよね?」
「そうそう。フリージアっていったっけ? あのさ、ティニアって呼ばない方がいいよ。レンはその呼び名、嫌がるから」
「え……」
フリージアは絶句した。
ティニアとして生きてきた彼女の名がレンであることすら、フリージアは知らない。
アルベルトは、彼女がレンであるということしか知らない。
そして、マリアはレンであった彼女がどういう存在であったのかを知っている。
全ての糸が、この場に手繰り寄せられようとしていた。




