㉜-4 G線上の歪み②
ティナはじっとレンを見つめながら、その場に立ちつくしていた。硬い表情のティナは一見無表情のようで、重い空気をまとっている。
静寂の処置室に、ティナがどうやって入り込んだのかは分からない。待合室にいるであろうアルベルトが無反応のまま、彼女をここに通すとは思えない。
「ティナさん、君はどうやってここに……」
「先生、思い出せませんか? 似たような光景を」
「思い出す……? どうして、覚えがあることを知って——」
「貴方は彼女を知っています。そして、今彼女に何が起こっているのかを、知っている筈なのです。そして、彼女本来の姿も……」
ティナはレンを見つめていた視線を、そのままレオンへ流した。ティナと視線が合い、緊張がレオンを襲う。
思わず一歩、後ずさりするレオンへ、ティナは怯むことなく前へ出る。
「貴方は、思い出せるはずです」
「君は、一体何者ですか……!」
「貴方は、私が人間ではないことを知りながら、それを隠し続けていました」
「なっ——」
「それは無意識に、私が何であるのかを知っていたからです」
レオンの絶句は予想の範囲内であったかのように、ティナはレオンを静かに見つめた。その瞳は潤んでおり、いつもの淡いブルーの瞳はより一層透明感が強くなる。
「私を他の医師から匿った上で、遠いスイスまで連れてきた。記憶が曖昧ながら、私を知っていた。だからこそ、傍においておきたかった。違いますか?」
「………………」
「胸が痛みますか? そして、心が痛みませんか。思い出せませんか……。恐ろしい記憶の断片を」
レオンは医療措置の手を止めたまま、ティナを見たまま立ち尽くした。そして、胸の奥に沈んでいた錘のような感覚に気付いた。
「私の名はティニア。そして、詩阿——」
「う…………」
レオンは頭を抱えると、その場に崩れ落ちる。
民族衣装を身にまとっているティナが頭に浮かんでいた。
白い服に、袴という赤いズボンのようなものを身にまとっていた。
遥か東方から来たという彼女の名は——。
「なんだ、これは……。どういう…………」
「思い出せましたか」
「君は一体…………」
ティナは目を閉じると、すぐにその眼をレオンへ向けた。
「知っている筈です。私が、誰なのか……」
「………………」
「思い出して、ゲオルク…………」
ゲオルク。
跳ねる心臓の音と共に、その名が頭へ流れゆく。
その言葉に呼応する形で、一気に記憶が流れ込んでくる。
そして、恐ろしく愛しい記憶は再生される。
◇◇◇
時はさかのぼる。
塔の上に築かれた自身を拘束する部屋と、多くの書物。
異文化の文字で書かれた書物を解読するように強要され、何年も閉じ込められていた。
文字は、レスティン・フェレスという遠い異国の文字だ。
だが、当時の自分は記憶を持ち越せなかった。
生まれ変わるたびに、記憶はどんどん薄れていった。そんな状態での解読は、困難を極めた。
巨大な試験管に眠る白い少女。少女はアルビノだった。
奴らは少女を人質に、その研究を強制した。
おぞましい奴らはとある研究をしていた。
それは、母を作り出す研究だった。
そうやって、自分は幾度も死んでいった。
最初は三年ほど生き延びたが、生まれ変わってからは一年ともたなかった。
全ては奴らの研究のために、拉致され、監禁され、死んでいく。
「あ、ああ……」
レオンは崩れ落ちた。
ティナは静かにレオンを見下ろした。
これらは夢ではない。
現実に起こったことだ。
更に時はさかのぼる。
遠く、遠い日々だ。
それは愛しき女性との日々。
女性は妻であり、子供もいた。
巫女継承の儀。それは彼女の地位を確たるものにする。
そして、自らは新たな王となった。
時は遡る。
それは広い講堂であり、巨大なステージだった。レオンはそこに立っており、天井を見つめていた。
天井は吹き抜けとなっており、空高くにある月の幻影が覗き込んでいた。
女性が駆け付け、レオンにいくつかの言葉をぶつける。憧れの彼女は激高していた。しかし、自身を宥めるように微笑んだ。
近づいて来る彼女を拒むことが出来ず、狼狽えていた時だった。
彼女が胸を押さえて苦しみだしたのだ。
彼女は手を伸ばしてきた。
レオンがその手を掴んだ瞬間、彼女は意識を失った。か細い身体は、ずるずると崩れ落ちていく。
彼女は突然目を覚まし、立ち上がるとその冷たい視線で自身をじっと見据えた。
青く、それでいて機械的な瞳が、自身を映しだす。
その場で途方に暮れているとき、一つの考えが浮かんだ。
“ティニア”はウイルスに侵されたのだと——。
「ティニア……。君が、ティニア?」
「思い出せましたか。そうです、私が……詩阿であり、ティニアです」
「しあ……」
頭を抱えるレオンの前に、ティナは跪いた。
「ハァ……はぁ……」
「お願いします。気をしっかり持って、ゲオルク」
「あ、ああ…………‼」
レオンは息苦しさ、頭へ響く激痛に、顔を歪ませた。
閉所。
暗闇。
息の詰まるような圧迫感。
全てがトラウマだった。
強い吐き気が、レオンを襲う。
頭は既にぐちゃぐちゃだが、今は取り乱している場合では無い。
かつて愛し、妻として暮らしていた女性。詩阿。
その来世はティニア・ボレードとして生きていた機械人形。
レオンは、今はティナとして生きる、目の前に居る女性を見つめた。
「君が、地球で生まれ変わっていただなんて……」
「ゲオルク。しっかりして下さい。……今、ティニアとして眠る彼女が、誰なのか、わかりますね?」
レオンは処置室に横たわるティニアという名の女性へ振り返った。
アルベルトと親しくじゃれ合う女性だった。
抜け目のない性格で、世話焼きで、直ぐにお道化る愛らしさを兼ね備えていた。
白銀の髪。
金色の瞳。
アルビノの肌。
その姿は、かつて住んでいた世界での守護獣。
「まさか……」
ケーニヒスベルク。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
「まさか、彼女がレン・ケーニヒスベルク……?」
その時、待合室が騒がしくなり、女性と男の甲高い声が響いた。




