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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode32「D-Mollの消失」
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㉜-2 告白が途切れるとき

 マリアが帰り、夕食の後片付けも終わった頃。

 アルベルトは浴槽につかりながら、今日のことを思い返していた。


 レンの様子は終始落ち着いていた。自らの変化を異常だと感じないまま、錯乱することもなかった。

 ただ、静かに表情一つ変えずに過ごしていた。

 

『お前はお前だろ』


 そう言ったはいいものの、変わりゆくレンを見ていると胸が苦しくなる。

 マリアも同じ言葉を掛けたという。

 抱きしめ合っていた二人を見ていると、嫉妬さえ覚える。


 二人の友情に感謝しつつ、アルベルトは変わりゆくレンとの接し方を考え始めた。


 例えどんなに別人に変わろうとも、レンを慕う気持ちに変わりはない。

 

 レンはレンだ。

 ティニアとして生きる彼女を守りたい。


 何故だろうか。昔もこんな風に考えたことがある。

 そんな気がした。

 微笑む彼女の長い白銀の髪が、風によく靡いていた。

 彼女の力の根源でもある瞳は、琥珀のような金色をしていた。


 ちゃぽん。


 不意に湯の跳ねる音がして、我に返った。


 アルベルトは、両手でお湯をすくい取った。

 お湯は手のひらから、ぽたぽたと零れ落ちていった。


「ああ、こんなことをしている場合じゃなかった」


 アルベルトは慌てて風呂から上がった。



 ◇◇◇



 風呂から上がると、アルベルトは髪をタオルで拭きながらリビングへと戻った。

 部屋にはレンしかおらず、彼女は静かに椅子に座っていた。フリージアはもう寝たのだろうか。


 レンの短い髪はまだ濡れているようだった。


 アルベルトは持っていたタオルをレンの頭に被せた。

 柔らかな金髪が絡まらぬよう、ふわりと拭き取る。

 その間、レンは微動だにせず、照れる様子も無い。


 以前にも、彼女の髪を拭いた。

 その時、レンは魔法で髪を乾かすようなことを言っていた。


 あの時の穏やかな日々に戻りたい気持ちもある。

 だが、これからの事を考えなくては。


「髪、まだ濡れてるぞ。もっとよく拭いたらどうだ」

「ここには髪を乾かす機械がありませんので」

「美容室にあるドライヤーのことか?」

「……私に、乾かす魔法を扱うことが出来れば良いのですが。申し訳ありません」


 レンの言葉に、アルベルトは笑みを浮かべた。

 どんなに変わろうとも、前と同じような話をしていることに安堵したのだ。


「そうだな。そんな魔法があれば、便利だろうな」


 アルベルトは、櫛でレンの髪を梳かした。幸いなことに、毛先は乾き始めている。アルベルトは、指先でレンの髪を遊び始めた。


「彼女は扱えたそうですよ」


 レンは静かに答えた。

 深く踏み込まない方がいいだろう。だが——。


「彼女って誰のことだ……?」


 アルベルトの問いかけに、レンは一瞬だけ間を置いた。


「セシュールに住むとされる、守護獣様ですよ」

「……ああ、そうだったか」


 何の話なのかは分からない。レンが錯乱することを警戒し、それ以上は踏み込まなかった。

 セシュール。

 前にレンが読んでいた本に出てきた言葉だ。

 どこか懐かしく、寂しい気持ちが溢れてくる。


「レン様、お元気でしょうか」


 レンのその言葉に、髪に触れていた指が一瞬止まった。

 彼女の真の名であるレン。

 単なる偶然とは思えなかった。


 心のざわつきを無視するように、アルベルトは言った。


「きっと元気だよ」


 声は震えていた。

 何か、話題を変えなくては。

 レンが錯乱してしまうかもしれない。


「そうだ。何かしたいことはあるか? やりたいこととか……」

「私に望みはありません」

「まあそういうなよ。何でもいいんだ。行きたい場所でも……。ああ、旅行に行ってもいいな」


 レンの髪は、もうほとんど乾いている。

 もっと彼女の髪に触れていたかった。

 その美しいうなじに、柔らかな肌に。


「そうですね……。空中庭園は見てみたいと考えております」

「空中庭園か。いいな、今度行こう」


 アルベルトは後ろから、そっとレンを抱きしめた。


 以前は自分の気持ちをレンに押し付けようとしていた。

 気持ちは何一つ変わらないものの、一つだけ変わったことがある。


 彼女を守りたい。そのために——。


「なあ、お前に伝えたいことがあるんだ」

「……何でしょうか」


 レンは微動だにしない。いつものお道化た様子で誤魔化すような、あの懐かしい仕草は見られない。


 アルベルトはレンから体を離した。遠くなる彼女のぬくもりを寂しく思いつつ、呼吸を整える。


「…………」


 意思とは裏腹に、アルベルトの呼吸は浅くなり、心臓は跳ね上がる。


「俺、お前が——」

「あ」


 彼女の短い悲鳴と共に、プツンという機械音が聞こえた。

 レンが突然立ち上がった。椅子が軽い音を立てて倒れた。レンは椅子に構うことなく振り返ると、アルベルトの胸へしがみついた。


「ある——」

「ティニア?」


 その名を呼んだ瞬間だった。

 彼女の表情が歪み、泣いているようだった。

 何かが切れたかのように、彼女の全身から力が抜け、ゆっくりと崩れ落ちていく。


 まるで、スローモーションのようだった。


 彼女が握っていた銀時計が悲しく光り、その手から滑り落ちた。ゴトンと鈍い音を立て、寂しそうに転がった。


「ティニア!」


 アルベルトは慌ててその細い身体を抱きしめた。

 何の反応もない。


 閉じた目元から、涙が零れ落ちた。

 時が止まるかのように。


「ティニア! ……ティニア‼」


 彼女からは、何の応答もない。アルベルトの叫び声だけが、虚しくその場に轟いた。

 絶望がその場を、そしてアルベルトを支配した。

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