㉜-2 告白が途切れるとき
マリアが帰り、夕食の後片付けも終わった頃。
アルベルトは浴槽につかりながら、今日のことを思い返していた。
レンの様子は終始落ち着いていた。自らの変化を異常だと感じないまま、錯乱することもなかった。
ただ、静かに表情一つ変えずに過ごしていた。
『お前はお前だろ』
そう言ったはいいものの、変わりゆくレンを見ていると胸が苦しくなる。
マリアも同じ言葉を掛けたという。
抱きしめ合っていた二人を見ていると、嫉妬さえ覚える。
二人の友情に感謝しつつ、アルベルトは変わりゆくレンとの接し方を考え始めた。
例えどんなに別人に変わろうとも、レンを慕う気持ちに変わりはない。
レンはレンだ。
ティニアとして生きる彼女を守りたい。
何故だろうか。昔もこんな風に考えたことがある。
そんな気がした。
微笑む彼女の長い白銀の髪が、風によく靡いていた。
彼女の力の根源でもある瞳は、琥珀のような金色をしていた。
ちゃぽん。
不意に湯の跳ねる音がして、我に返った。
アルベルトは、両手でお湯をすくい取った。
お湯は手のひらから、ぽたぽたと零れ落ちていった。
「ああ、こんなことをしている場合じゃなかった」
アルベルトは慌てて風呂から上がった。
◇◇◇
風呂から上がると、アルベルトは髪をタオルで拭きながらリビングへと戻った。
部屋にはレンしかおらず、彼女は静かに椅子に座っていた。フリージアはもう寝たのだろうか。
レンの短い髪はまだ濡れているようだった。
アルベルトは持っていたタオルをレンの頭に被せた。
柔らかな金髪が絡まらぬよう、ふわりと拭き取る。
その間、レンは微動だにせず、照れる様子も無い。
以前にも、彼女の髪を拭いた。
その時、レンは魔法で髪を乾かすようなことを言っていた。
あの時の穏やかな日々に戻りたい気持ちもある。
だが、これからの事を考えなくては。
「髪、まだ濡れてるぞ。もっとよく拭いたらどうだ」
「ここには髪を乾かす機械がありませんので」
「美容室にあるドライヤーのことか?」
「……私に、乾かす魔法を扱うことが出来れば良いのですが。申し訳ありません」
レンの言葉に、アルベルトは笑みを浮かべた。
どんなに変わろうとも、前と同じような話をしていることに安堵したのだ。
「そうだな。そんな魔法があれば、便利だろうな」
アルベルトは、櫛でレンの髪を梳かした。幸いなことに、毛先は乾き始めている。アルベルトは、指先でレンの髪を遊び始めた。
「彼女は扱えたそうですよ」
レンは静かに答えた。
深く踏み込まない方がいいだろう。だが——。
「彼女って誰のことだ……?」
アルベルトの問いかけに、レンは一瞬だけ間を置いた。
「セシュールに住むとされる、守護獣様ですよ」
「……ああ、そうだったか」
何の話なのかは分からない。レンが錯乱することを警戒し、それ以上は踏み込まなかった。
セシュール。
前にレンが読んでいた本に出てきた言葉だ。
どこか懐かしく、寂しい気持ちが溢れてくる。
「レン様、お元気でしょうか」
レンのその言葉に、髪に触れていた指が一瞬止まった。
彼女の真の名であるレン。
単なる偶然とは思えなかった。
心のざわつきを無視するように、アルベルトは言った。
「きっと元気だよ」
声は震えていた。
何か、話題を変えなくては。
レンが錯乱してしまうかもしれない。
「そうだ。何かしたいことはあるか? やりたいこととか……」
「私に望みはありません」
「まあそういうなよ。何でもいいんだ。行きたい場所でも……。ああ、旅行に行ってもいいな」
レンの髪は、もうほとんど乾いている。
もっと彼女の髪に触れていたかった。
その美しいうなじに、柔らかな肌に。
「そうですね……。空中庭園は見てみたいと考えております」
「空中庭園か。いいな、今度行こう」
アルベルトは後ろから、そっとレンを抱きしめた。
以前は自分の気持ちをレンに押し付けようとしていた。
気持ちは何一つ変わらないものの、一つだけ変わったことがある。
彼女を守りたい。そのために——。
「なあ、お前に伝えたいことがあるんだ」
「……何でしょうか」
レンは微動だにしない。いつものお道化た様子で誤魔化すような、あの懐かしい仕草は見られない。
アルベルトはレンから体を離した。遠くなる彼女のぬくもりを寂しく思いつつ、呼吸を整える。
「…………」
意思とは裏腹に、アルベルトの呼吸は浅くなり、心臓は跳ね上がる。
「俺、お前が——」
「あ」
彼女の短い悲鳴と共に、プツンという機械音が聞こえた。
レンが突然立ち上がった。椅子が軽い音を立てて倒れた。レンは椅子に構うことなく振り返ると、アルベルトの胸へしがみついた。
「ある——」
「ティニア?」
その名を呼んだ瞬間だった。
彼女の表情が歪み、泣いているようだった。
何かが切れたかのように、彼女の全身から力が抜け、ゆっくりと崩れ落ちていく。
まるで、スローモーションのようだった。
彼女が握っていた銀時計が悲しく光り、その手から滑り落ちた。ゴトンと鈍い音を立て、寂しそうに転がった。
「ティニア!」
アルベルトは慌ててその細い身体を抱きしめた。
何の反応もない。
閉じた目元から、涙が零れ落ちた。
時が止まるかのように。
「ティニア! ……ティニア‼」
彼女からは、何の応答もない。アルベルトの叫び声だけが、虚しくその場に轟いた。
絶望がその場を、そしてアルベルトを支配した。




