㉛-4 その選択の理由
「ティニア化する前に壊すか、ティニア化した後に壊すかだ」
ラウルの言葉は、住み慣れてきたアパートを静寂へと導いた。
マリアは、自身の身体に起きていた異変すら忘れていた。それほどまでに、ラウルの言葉はマリアの心に深く突き刺さった。
「……あんたの言いたいことはよく分かったわ」
マリアは自身の胸に手を当て、目を閉じた。
ラウルは椅子にもたれ掛かると、溜息をついた。
「漸く理解したか」
しかし、マリアの言葉はラウルの予想を超えていた。
「……ラウルとレンは、そんな辛い現実を胸に抱えていたのね」
「何……?」
「辛い過去を背負って、辛い現実を生きてきた。それは私にも言えることだけれど、二人だけで背負う必要なんてなかったのよ」
「…………」
「まだ自分の事を理解出来たわけじゃない。でも、これからは私も手を尽くすわ」
マリアはそういうと、ラウルの手を取ろうとした。ラウルは慌てて手を庇うと、舌打ちをした。それが照れであることは、マリアだけではなく、同じ部屋にいるティナとメイにもわかった。
「この話、レンに直接話すのはダメかしら?」
「辞めておけ。既にインストール率は90%を超えていると言っただろう。あいつを混乱させるだけだ」
「そう……。私の話や、彼女の話を一緒にすることは、もう出来ないのね」
マリアは首を横に振ると、寂しそうに俯いた。
レンとしてマリアの前に現れ、「生きろ」と言ってくれたあの日から。
そして、ティニアとして前に現れ、救い出してくれたあの日から。
傍で、共に過ごしてきた数々の日々が、遠い昔のように感じられた。
インストールを止めることを、ラウルが反対していた理由も理解出来た。
心が壊れてしまえば、生まれ変わってもそのままだという。
魂の綻び。
恐ろしいその言葉を抱え、彼女は生きてきたのだ。
せめて、来世で幸せに生きてくれたら——。
彼女を生かすことが出来ないのならば、マリアに出来ることは、彼女を壊すことなのだろうか。
マリアは、先ほど身体に起こった異変を思い返した。あのまま力の制御が出来なければ、覚醒に至ったのだろうか。
力があれば、彼女を壊すことが出来るのだろうか。
「私が覚醒したら……」
マリアの言葉に、先に反応したのはティナだった。慌てて席を立つと、首を横に振った。
「その様な事、させられません!」
「でも……」
「マリア。仮に貴女に破壊出来るとしたのなら、レンは貴女の覚醒を促し、自身を破壊させようとする筈です。ですが、彼女はそれをしませんでした。そうでしょう、ラウル」
「…………」
ラウルは何も答えなかった。
「肯定と受け取ります。……元のレンは精霊に近い存在でした。私達が束に掛かっても、彼女を倒すことは疎か、傷一つ付ける事も困難でしょう」
「でも、今は機械人形のティニア・ボレードなんでしょ? ティナには悪いけれど、そんなに力のある存在には感じられないわ」
「恐らく、魔法の力は弱まっていることでしょう。もしかしたら、使用出来ないのかもしれません」
ティナの言葉に、ラウルはそっぽを向いたまま答えた。
「魔法は使える。元の力より、1%にも満たないがな」
「魔法なんて本当にあるのね……」
「レンの得意とした魔法は、風魔法と治癒魔法です。攻撃が専門ではないものの、彼女の力は絶大でした」
「治癒魔法はきっと凄いんでしょうけど、風魔法って?」
マリアの問いに答えたのは、リェイラへ布団を掛け直していたメイだった。
「風魔法とは、大気中に存在する風の流れや気圧、天候へ干渉する属性魔法の総称です」
「え? どういうこと?」
マリアの想像していた魔法は、家をお菓子に変えることや、箒で空を飛ぶことであった。物語に出てくるかのような魔法を想像していた為、メイの話は理解できなかった。
そんなマリアに気付くことなく、メイは説明を続けた。
「風や大気、天候を操ります。攻撃だけではなく、防御や移動、索敵など幅広く応用の利く魔法で——」
「メイ、マリアは魔法を知らないのですよ」
「成程。晴れている空を雨降りに変えたり、嵐を呼び寄せたりする事が出来るそうです」
「じゃあ、逆に天変地異を呼ぶことも……?」
「はい。可能であると思われます」
メイの説明を聞く限りでは、レンは精霊のような存在ではなく、もはや神ではないだろうか。
であれば、マリアに彼女を倒すことなど出来るだろうか。否、出来ないだろう。
押し黙っていたラウルは、頭を掻きながらマリアへ視線を送った。
「マリア」
「何? ラウル」
「例えお前があいつを破壊出来たとしても、お前が覚醒すれば俺はお前を壊さなければならない。其れが揺らぐことはない」
「そっか。だから、レンは私の覚醒を望んでいなかったのね」
「…………」
「ありがとう、レン。それから、ラウルも……」
ラウルは突然席を立った。
「フン。……俺はもう行く」
「ちょっと待ってよ。どこに行くのよ」
「俺の使命は、ヴェルローラの連中を根絶やしにする事だ」
「……ねえ、ラウル」
「何だ」
ラウルは溜息をついた。
マリアは、その言葉がラウルを更に呆れさせることになると感じた。
「ヴェルローラと共存することは出来ないの?」
「何をふざけたことを。俺を謀っているのか?」
「そうじゃないわ。でも、殺し合うことしか出来ないだなんて、思いたくなくて……」
「フン。だからお前は弱いんだ」
「うるさいわね!」
ラウルは黒いコートを翻し、玄関ドアに触れた。
「あんたの話、まだ聞いていないんだからね」
「話す事は無い」
「ティナから沢山聞いておくわ。でも、あんたの口から聞くのが一番いいと思って」
「黙れラーレ」
ラウルはそういうと、アパートを後にした。
張り詰めていた静寂が破られたように、外の喧騒が聞こえだした。ラウルが防音のバリアを解いたのだと判ったのは、それから少し後の事だった。




