㉚-4 超えようとするもの
夢中だった。
どうやってアパートへ戻って来たのか、どれだけ力を使ったのか。
マリアには分からなかった。
スイスのシュタイン・アム・ラインは夜明け近く、外はまだ薄暗いままだった。
魔法陣と共に現れたマリア、ティナ、そしてマリアに抱えられるリェイラ。ぬいぐるみを抱えたメイは、一瞬でアパートへ現れた。
四人分の転移など、想定外だったが、なんとか成功した。
脱力感に襲われ、マリアは頭を抑えた。
不意に意識が朦朧とすると、真っ直ぐ立っていられなくなった。
マリアの目は赤く充血し、意識が遠のいていく。
「クッ……!」
浅い呼吸を繰り返すものの、酸素が入ってこない。
過呼吸を起こしているのだと、すぐにわかった。だが、激しさを増すだけで、過呼吸を止めることが出来ない。
なんとかメイにリェイラを託すと、マリアは膝から崩れ落ちた。
「マリア! 息を長く吐いて、吸ってください!」
ティナはマリアを抱き抱える。
唾液が口から零れ落ち、指先は激しく痙攣した。
身体全体が痺れていくようだ。
「申し訳ありません。私がリェイラを抱くべきでした」
淡々としているメイを無視するように、ティナはマリアを抱きしめた。
「大丈夫です。スーハーです。出来ますよ。大丈夫……」
「今は……。ハアハア。その子を……」
「リェイラも、貴女も助かります。ですから、ゆっくりと息を吸って、吐いて……」
マリアの瞳が朱色に光り出した。
周囲に文様が現れ、高速で動いていく。
「こ、これは——」
ティナが何かを言いかけた時だった。
轟音が鳴り響き、玄関のドアが強引に開けられた。
——ラウルだ。
「ら、ラウル……!?」
驚愕するティナだったが、すぐに声を上げた。
「助けて下さい、マリアが……」
ティナの言葉を待たず、ラウルは部屋へと入ってきた。マリアの前に跪くと、眼帯を外した。金色の瞳が、マリアを見下ろした。
「マリア」
冷たい言葉が、マリアに降ってきた。
マリアの呼吸は安定してきたが、文様が消える気配はない。
「このまま覚醒すれば、俺はお前を壊す」
「ラウル! 何を言って——」
「煩い。当初の計画もそうであった筈だ」
「ですが——」
「同志ラウル」
メイがリェイラを抱き抱えたまま、マリアを庇うように割って入る。
「貴方が施設・オブシディアを訪れなくなり、結果が此れです。今はマリアを冷静にさせ、リェイラを救うのが先決。何時まで硬いがらくたのような思考で居るのですか」
「な……」
メイがラウルを叱咤している間も、ティナはマリアの背中をさすると、ゆっくりと呼吸をするように声をかけ続けていた。
マリアは徐々に落ち着きを取り戻し、瞳の発光が止んだ。マリアの周囲に出ていた文様や魔法陣は消えていき、マリアは歯を食いしばった。激しい頭痛が押し寄せる。
「いい子ですね、マリア」
ティナはマリアの背中を片手でさすりながら、もう片方の手をそっと握った。
「そう、そうです。大丈夫だったでしょう?」
「あ、ありがとう、ティナ……」
「まだ立ち上がらない方がいいでしょう。ゆっくり休んでいて下さい」
「でも……。リェイラが……」
「私がリェイラさんの応急措置をします。メイ、お湯の沸かし方は分かりますか?」
「はい。お湯を沸かします」
メイはリェイラを机の上に寝かせる。ティナはリェイラの容態を横目で見つつ、すぐに砂糖と塩を水に入れて溶かし始めた。
ラウルは立ち上がってマリアを見下ろすと、舌打ちをした。
「……残念だったわね。今度も壊せなくて」
「煩い」
「一人で立ち上がれないの……、手を貸してもらえる?」
「黙れ。そこで寝て居ろ」
ラウルはそういうと、ドアの方へ歩いていった。
「どこに行くの……?」
マリアの言葉にラウルは舌打ちすると、壊れたドアを拾い上げた。
「結界を張っている。周囲に音は漏れていない」
「同志ラウル。素直に『ドアを壊して御免なさい』と言えば収まります」
「チッ、煩い」
ラウルはシュルンという音を立て、手を工具のように変形させた。そのままドアを修復するように、ネジを巻いていく。
「ふふふ。……御免なさい、マリアさん。っていえば……、許してあげるわ」
「黙れ、ラーレ」
マリアは身体に力を入れた。随分楽になったとはいえ、手や足は痺れているようだ。よろよろと立ち上がろうとするマリアに、ドアを修復し終えたラウルの手が伸びてきた。
マリアは笑みを零しながら、その手を取った。
「全く。次からは、ノックしてくれたら鍵を開けるわよ」
「ケッ……」
力強く引っ張られ、マリアは転びそうになった。ラウルが体を受け止めると、漸く立ち上がれた。
「ありがと。私は素直だから、お礼も言えるのよ」
「一々、煩い奴だな」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
マリアはよろよろとリェイラの横たわる机へ近づいた。
リェイラは今も浅い呼吸を繰り返している。
お湯が沸くと、ティナは先ほど作った砂糖と塩の入ったカップに、少量のお湯を注いだ。出来上がった砂糖と塩のぬるま湯をガーゼに付けると、口元を湿らせていく。リェイラは唇を微かに動かすと、喉を動かした。
「そうです、リェイラ……。ゆっくりと飲み込んでください」
「ティナ、この後はどうするのですか?」
「お湯に少し水を足します。人肌に温くしたら、このタオルを湿らせて下さい」
ティナはそういうと、リェイラに両手をかざした。目を閉じた時、周囲には金色の文様が浮かび上がった。
驚くのはマリアだけであり、ラウルとメイは当たり前のように見守っている。
眩い金色の光がリェイラを包む。まるで魔法のように、ティナはリェイラへ光を与え続けた。




