㉚-1 待ち受けるもの
静かな夜だった。
雨は上がり、湿り気のある空気が、部屋を包み込んでいた。
マリアは、ティナと共にイタリアのシチリア島近海にある研究施設へ向かおうとしていた。
当初は躊躇していたティナも、ラウルと会う決意を固めた。
ティナはスカートをたくし上げると、足に括りつけていた拳銃を手に取った。いつの間に用意していたのだろうか。
暗く判別しづらかったが、彼女が好んで使っていた拳銃によく似ている。
「私も……」
隠し持っている拳銃を取りに行こうとしたが、ティナは首を横に振った。
「マリアには必要ありません」
「で、でも……」
「貴女は力を発揮することに、集中して下さい。余力を残さなければ、帰ることも出来ませんから」
ティナの言葉には、マリアに銃を持たせたことへの後悔が滲み出るようだった。しかし非常時ではあるものの、ティナの言うことも一理ある。
いつもは一人で力を行使するものの、今回は二人での移動だ。
当然、身体への負担も考慮しなければならない。
「……分かったわ」
この力を使うのは久しぶりだ。
マリアの持つ転移の力を使えば、一瞬でスイスからイタリアへ移動出来る。
マリアは目を閉じ、胸に手を当てた。大きく息を吸い、吐き出す。
「セーフティ、解除。プロテクト解除」
言葉に反応するように、マリアの足元には朱色の文様が現れた。
マリアが目を開けると、身体からは朱色の光が溢れ出す。
その光はマリアだけではなく、ティナをも包み込む。
「サーチ。……イタリア上空に、ゲートを確認。ゲート、開放を指示」
まるで炎を身に纏うように、二人を包み込む光は強さを増す。
テーブルに置かれたティーカップがカタカタと揺れ、カーテンは僅かに靡く。
「直ちに我の命に従え。我らは汝の地に降り立つ。許可を受諾せよ」
目を開いたマリアを前に、ティナは静かに頷くと拳銃を構えた。
「実体を基に、汝の地に降り立つ……。我が名はマリア」
二人の身体は半透明となり、やがて目視出来なくなる。それでも、マリアは目の前にティナがいることを感じ取れていた。
足元が揺らぎ、濃い紫色の空間へと吸い込まれる。
吐き気のような悪寒が、全身を強く刺激する。
ここが、亜空間だ。
「実体転送!」
落ちるような感覚の後、二人の身体は空中を漂う。
無事に亜空間から出られた証拠だ。
風の匂いが変わる。潮の香りが、海上へ出たことを告げていた。
空中に留まれる時間は短いため、すぐに降りる必要がある。ティナはマリアに対し頷いた。
マリアは再び意識を集中させると、銃を構えたままのティナと共にゆっくりと降下を始めた。
姿をヴェールというもので覆い隠すことも出来たが、周囲に動く存在はない。マリアは、体に負担となるヴェールをあえて使用しない選択をした。
どのみち敵がいるのなら、隠れていても交戦は避けられないだろう。
だが、傍で銃を構えているティナがいる以上、敵が大勢でなければ切り抜けることは出来る。
心強い味方がいるということが、どれ程救いになるかをまざまざと感じた。
降り立った岩の島には明かり一つなく、別の島から覗く村からの明かりがぽつぽつある程度だ。雨は降っておらず、海水の匂いと肌に着く塩分を感じ取れる。
念のため、マリアは目を閉じると、サーチで辺りを探った。
「マリア、身体は大丈夫ですか?」
ティナの言葉に、マリアは目を開けると笑みを浮かべた。
「問題ないわ。……場所の確認が取れた。間違いなく、イタリアのシチリア島近辺よ」
「この岩の島に、ヴェルローラの研究施設が?」
「あるのは、この下の海底なの」
マリアは指さした。ティナは海底に銃口を向けると、神経を研ぎ澄ませた。
「この下に、研究施設があるのですね」
マリアは頷くと、目を閉じた。
目の前にはコードを入力する画面が広がっている。
「コードもそのまま入れるわね」
「コード?」
ティナの問いに、マリアは目を閉じたまま説明を付け加える。
「以前ここに入った時、思い付いたコードを入力したら、すんなり入れたのよ」
「……妙ですね」
「妙?」
マリアは眉だけ吊り上げた。
「放棄されたのであれば、コードも何も、施設が機能していないのでは?」
「あ……」
マリアは目を見開く。
ティナは海底を警戒したままだった。
海底からは、生体反応のようなものが返ってきた。
「何かいるようですね」
「二号機か、それともラウルか……」
「警戒を怠らないで下さい」
「分かったわ。……コード、入力するわね」
岩の島の周囲は海だ。波が押し寄せるだけですぐに消えてなくなるほど小さい。
マリアは深く深呼吸すると、再び目を閉じた。
マリアの目の前には、再び入力画面が現れた。
タイプライターのような文字盤があり、意識すると入力することが出来る。前に来た時と同じだ。
『Layla, willkommen』
マリアは前回と同じように、その言葉を入力した。ドイツ語で『ライラ、ようこそ』という意味だ。
ライラはラーレによく似ている。単なる偶然だろうか。
嫌な予感がした。
しかし、マリア達に何の反応も起こらない。地下への移動はおろか、その場から二人が動くことはなかった。
「あれ?」
「その言葉を入力すると、その場に移動したのですか?」
「そうなの。出る時も……」
「……何かおかしいです。もし、施設に誰かいるのであれば…………」
その時、二人の足元が光を放った。
そして二人が目を開けるころには、薄暗い研究施設が目の前に広がっていた。
咄嗟のことに、マリアの目は暗がりに慣れていない。
「なにこれ、強制転送……!?」
「やはり何者かが居るようですね。マリアは私の後ろへ」
ティナはすぐに警戒に当たり、拳銃を構えた。
マリアの目が暗闇に慣れてくると、壁に残る黒い焼け跡が目に入った。以前訪れた時と変わらない。
間違いなく、場所は海底にある研究施設のようだ。
「……ッ! 罠だったみたいね」
マリアは拳銃を置いてきたことを後悔していた。
身体の負担はそれ程でもなく、余力も残っている。
ティナの気配が変わり、マリアの背後へ拳銃を向けた時だった。
「罠ではありません」
何の前触れもなく、暗闇から声が発せられた。




