㉙-6 糸口を探して
マリアはカップを手に取ると、紅茶を流し込んだ。
温くなっていた為か、カップの底には粉砂糖が残っていた。最後の一口は異常に甘く感じた。
ティナは辛いことをマリアに話してくれた。並々ならぬ決意がなければ、話すことすら難しいだろう。
レスティン・フェレスでの出来事に触れるたび、ティナが苦しそうな表情を浮かべていた理由が分かった。
「……非人道的実験を、ヴェルローラはしていたのよね」
「はい」
「その技術が今のレンにも使われたのかな」
「…………」
ティナは押し黙ったまま、残っている紅茶を飲み干した。一息つくと、空のカップを見つめたまま、話し出した。
「余り考えたくはありませんが、そうなのでしょう」
「ラウルの苦しんでいる理由が、少しは分かった気がするわ」
ヴェルローラはラウルたちの手によって壊滅状態であるというが、危険な存在に変わりはないだろう。
レスティン・フェレスの技術をヴェルローラに与えたのは、狂わされたラウルだという。ラウルはその過程で、レンの片目を受け取った。
レンの瞳を譲り受けたこと。そしてレンの身体を構築させた技術が、自らの罪であること。
二重の意味で、彼は苦しんでいたのだ。
ラウルは食事や睡眠もとらずに動き続けているのだろうか。
否、疲れというものを知らないのかもしれない。
人であれば、気が狂ってしまうだろう。
ラウルが再び狂ってしまわないように、気を配る必要もありそうだ。
その時、マリアは気付いた。
レンは、壊れていくことに気付かなくなっていると。
だとすれば、レンは自分を機械人形であると思い込んでいるかもしれない。
機械人形に食事が必要ないのであれば、食事はおろか、睡眠もとっていない可能性がある。
「今のレンは、動き続けているのではない? 食事をしたり、眠ることもせずに……」
レンを抱きしめた時のやせ細った腕、背中が思い起こされる。
「……アルベルトさんが其れに気付くのも、時間の問題でしょう。機械人形であることを話してしまうかもしれませんし、もう話している可能性もあります」
「ラウルも言っていたわね。時間がないって」
「インストールが完了してしまう前に、何か手を打たなければ……」
ティナは自らの肩を撫でた。
「ッ……。レンを救いたいのに……。強がっていたわけじゃないの。あの子はあの子だもの。ティニア・ボレードじゃないのは分かってる」
「マリア……」
「今のままでどうしようもなくても、生きてさえいてくれたら……」
何か手はないだろうか。
もっと、身近なところで見落としはないだろうか。
孤児院はきっと関係ないだろう。診療所もだ。
となれば、教会の——。
「そうか」
マリアは立ち上がった。どうして、もっと早く気付けなかったのか。
「どうしました?」
「レンに聞けないのなら、別の人に聞けばいいんだわ」
「別の人……? タウ族のミランダ・ミュラーとその夫ですか?」
「ううん。違うわ。アドニスさんよ……」
ティナは一拍置いて答えた。
「アドニス……?」
「ええ。孤児院の隣に構えてる教会の神父! ティニアに……レンに、しつこいほど絡んできてたお爺さんよ!」
レンの周囲で昔から事情を知っていそうな人物といえば、最初に挙がるのがアドニスだ。何故、もっと早く気付けなかったのだろうか。
「……アドニス…………」
「きっと、レンの協力者なんだわ。財団の人だもの! アドニスさんが怪しいわ。絶対何か知っていると思う」
ティナは首をかしげた。
「……私は宗教に詳しいわけではありませんが、聖職者というのが気になります。協力者なのですか?」
「私と出会う前からの知り合いみたいよ。そういえば……」
「何かあるのですか?」
「アドニスさん、全然年を取らないのよね。外観が変わらないの。初老だと思っていたけれど、シュタイン・アム・ラインに来てから、全然変わってないわ」
「……彼がケルンメンシュである可能性、否定出来ませんね」
孤児院を管理しているのも、彼だ。
彼の判断で、孤児院は閉鎖される。
レンとアドニス。
繋がっていないとは思えない。
「なんでもっと早く気付かなかったのかしら」
「ですが——」
ティナは席を立った。
「今、最も事情を知るのはラウルです。私は、ラウルとの接触が先であると考えます」
ティナの声は震えていた。
その言葉には、並々ならぬ決意が込められているように感じられた。
「ラウルに?」
「はい……」
「そりゃ、聞けるならラウルに聞いた方が近道だわ。でも、話してくれるかしら……」
「ラウルがいる場所に、見当があるのですか?」
「イタリアのシチリア島近辺、海底にあったという、ヴェルローラの研究施設よ」
マリアは頷いた。
「でも、その研究施設には、ムッターゲフェースの二号機がいる。ラウルが話していた通りならね」
ラウルの話では、二号機にマリアのような力はなく失敗作とされ、ケルンメンシュとして扱われているという。
その存在と出くわす可能性は高い上、ヴェルローラとの交戦も考えられる。
罠かもしれない。
危険は承知の上だ。
「迷ってる時間も惜しいわ。いつかは立ち向かわなければならないのよ」
ラウルと会うことは、敵の懐へ飛び込むことと同義だろう。
ヴェルローラの残党が隠れているかもしれない。
ムッターゲフェース二号機がどんな状態なのかも分からない。
待ち受けるものが敵であるのか。味方であるのか。
だが、立ち止まる理由にはならない。
レンは今、この時間も恐怖と闘っている。
立ち止まる時間さえ、惜しい。
ティナはゆっくりと目を閉じる。
再びラウルと向き合う日が来るとは、思ってもいなかった。
唯一の弟である彼と姉弟だったのは、生まれ変わる前の話だ。
今はもう、姉弟とは言えないだろう。
怖くないと言えば嘘になる。
ティナはマリアを見つめ、小さく頷いた。
もう、後戻りは出来ない。
雨音はいつしか遠のき、時計の秒針だけが静かに時を刻んでいた。




