㉙-4 移り行く
マリアは仕事が休みだという、明日の夕食を共にするという約束をすると帰ってしまった。
レンは起き上がると、一人でフリージアの迎えに孤児院を訪れていた。
アルベルトは何度もついていくと言ったが、レンはそれを断っていた。
体調不良で仕事を休んだことを、職員であるシャトー婦人へ謝罪した。シャトー婦人や子供たちはレンを歓迎した。
「ティニアさん、あまり無理はしないで頂戴」
「大丈夫だよ。いつも有難う、シャトーさん」
丁寧にお辞儀をするレンに、シャトー婦人は口元を閉めた。
「ティニアお姉ちゃん、明日は来るの?」
シャトー婦人に掴まるように、三つ編みの女の子が覗き込んできた。
「ごめんなさい。明日までお休みだよ」
「アルベルトお兄ちゃんも一緒?」
「あいつも明日までお休みだったかな」
フリージアの支度が終わるまでの間、レンは話しかけられていた。ひっきりなしに質問が飛び交う。
「ティニア様、支度終わりました!」
「いいなあ。フリージアは、ティニアお姉ちゃんと暮らせて」
むくれる三つ編みの少女の頭を、少年が撫でた。
孤児院には、もう少女と少年の二人しかいない。
「アリーだって、来週には里親のところに行くじゃないか。ティニア離れしなきゃ」
「そうだけれど……」
「ねえ、アリー」
ティニアは少女アリーの前にしゃがみ込んだ。アリーは、いつも三つ編みをティニアに編んでもらっていた。
「アリーは、これから先、義両親とずっと暮らしていくんだよね」
「はい」
「僕はここが閉鎖されたら、町を去るんだよ。だから、アリーとはずっと一緒には居られない」
「はい……」
「困ったな、辛いなって思う時には、義両親が側に居てくれる。それが家族というものなんだよ」
レンはアリーに言葉を掛けながら三つ編みを解くと、ツインテールに結び直した。
「困ったことがあったら、ご両親になんでも相談するんだよ。幸せにおなり」
「はい!」
レンはそういうと、立ち上がった。フリージアはアリー達にお辞儀をすると、レンの横まで駆けていった。
「それでは、今日は失礼します。フロウ、忘れ物はない?」
「大丈夫です。みんな、また明日ね」
アリーは素直に手を振り返した。
フリージアにとっては、初めてできた友達だ。フリージアは胸を撫で下ろした。
「そうだ、フロウ。今日はちょっと教会へ寄りますね。朝の参拝をしていないのです」
「はい、もちろんです」
フリージアは、アリーへ振り返った。しかし、アリーは少年と話すと、笑いながら孤児院へと戻っていった。
「アリーちゃん、今日ずっと羨ましいって言っていたのです」
「……フロウを特別扱いしてるように見えたのかもしれません」
「でも、特別扱いじゃないですか」
「うん、そうだね」
レンは教会のドアを開けた。フリージアが教会の中まで入るのは、今回が初めてだ。
「やあ、ティニア。いらっしゃい」
「お祈りさせてね」
「もちろんですよ」
神父のアドニスは二人を歓迎した。アドニスはフリージアに目もくれず、レンをエスコートするように出迎えた。フリージアは椅子に腰かけると、孤児院で借りた本を手に取った。
見知らぬ大人は苦手だった。何を考えているのか分からない神父は特に苦手だ。その神父についていき、共に祈ろうという気にもなれない。
レンは、他に訪問者もいない教会を進んでいく。祭壇の奥に置かれた十字架を見上げると、静かに目を閉じた。
「どうか、安らかに……」
レンは祈りを捧げた。
フリージアは本で顔を覆うと、レンを盗み見た。レンの姿は、神に祈りを捧げているというより、誰かの死を悼むように見えた。
ゆっくりと目を開けたレンは、後方に控えていたアドニスに振り返った。
「何か言いたい事でも?」
「少し痩せましたね」
「そうかもしれない」
「ちゃんと食べているのですか?」
「それなりに」
まるで親子のような会話だと、フリージアは思った。聞き耳を立てる気はなかったが、耳に入ってきてしまう。
「いくらその身体でも、きちんと食べないといけません」
「分かっています」
「本当に分かっているのですか?」
「……私が化け物だっていうことは、私がよく分かっているよ」
レンはフリージアを気にするように視線だけを送った。
アドニスは無言のまま、モノクルを掛け直した。
「久々に演奏しませんか?」
「何を言うかと思えば。ピアノはもう弾けないよ。フルートだって……」
レンのその声は、より一層小さかった。
「——その後はいかがですか」
「まあ、徐々に」
あしらうレンを横目に、アドニスはモノクルを外した。レンズをハンカチで拭くと、顔を上げた。
「先ほど、報告が——」
「今はいい」
レンはアドニスの言葉を切ると、フリージアへ一瞥を送った。アドニスは不満そうに、フリージアへ視線を向けた。
「何故、彼女を引き取ったのですか」
まるでフリージアに聞かせるかのような言葉だった。
本を捲る素振りを見せながら、フリージアは椅子に座り直した。
「ここで話すことではありません」
「解せません」
「アドニス、いい加減に——」
「孤児院を閉めたら、どうされるおつもりですか」
アドニスは声のトーンを落とす。フリージアは耳に集中した。
「町を去る? それで里へ引き籠って、どうするというのです」
「煩い」
「残酷なことをしているのは、貴女です。あの二人も、貴女の心配を——」
「…………」
レンが押し黙ったのか、言葉が聞こえなかったのか。フリージアには判断がつかなかった。フリージアは本を閉じると、席を立った。
「あたし、外に出てます」
「いいよ。もう行くから」
「ああ、ちょっと待ってください……!」
呼び止めるアドニスを無視すると、レンはフリージアの手を優しく握った。
「ごめんね。あのおじさん、話すと長くて」
逃げるように、レンは教会を後にした。




