㉙-2 衝突
部屋へ入ると、ティニア——レンはベッドから起き上がるところだった。
レンの髪は、少し伸びたように感じられた。
前よりも痩せているように見え、服は灰色のワンピースに茶色のカーディガンを羽織っている。彼女がよく好んで着ている服装には、懐かしさを覚える。
「久しぶりね。お見舞いに来たのよ」
「ありがとう。……久しぶりですね」
「まずは花束を。蕾だから、咲くまでの過程も楽しめるわ」
「ありがとう……」
レンは苦笑いを浮かべたが、花束を受け取ってくれた。
すぐに香りを楽しむように目を閉じた。
「いい香り。ガーベラでしょうか……?」
「蕾でも分かるのね。そう、ガーベラよ」
「蝶の飾りも可愛いですね」
「……俺、珈琲でも淹れてくるよ」
アルベルトはそういうと、サイドテーブルに花瓶を置いた。花瓶には既に水が張られている。レンは黙って頷くと、リボンを解き、包装紙を丁寧に剥がしていく。
「ゆっくりしていってくれな」
「うん、ありがとう」
アルベルトはドアを開けたまま、リビングにある台所へ向かった。マリアはベッドの脇に置かれた椅子に腰かけた。彼女の看病のために、アルベルトが座っていた椅子かもしれない。
マリアは、レンが花を活けていくのを黙って眺めていた。
ガーベラは蕾のままだ。
その花が咲く頃まで、この穏やかな時間が続いてくれればいい。
レンは花を生け終えると、ベッドに腰かけた。表情は硬く、笑む様子すらない。
「……孤児院は閉鎖されます」
「うん。聞いているわ……」
「……そうですか」
一瞬、間を置いたのは、孤児院の話をしたかどうかの記憶がなかったからだろうか。
一分一秒も、こうして少しずつ上書きされてしまうのかもしれない。
「植木鉢や花を受け入れられなくなって、ごめんなさい」
レンは苦笑いを浮かべた。
「謝らなくていいわよ。そんなことで、私が怒るわけないでしょ?」
「そうですね……」
向き合う彼女の細い腕に気付き、マリアは言葉を詰まらせてしまった。
何か話題をと思い、口を開く。
「……そういえば、あの子は?」
「フリージアのことでしょうか? 今は孤児院に居ます」
「そうなのね。この前、アルベルトと歩いていて、一緒にお茶したのよ」
「ああ、ケーキを食べた日のことでしょうか」
レンは、最近の話は覚えているようだ。
何度も試そうとする自分に、嫌気が差す。少しでも過去の話をすれば、彼女は言い淀むかもしれない。それだけは避けねばならなかった。
ティナの前世——ティニアの記録に書き換えられていく恐怖、絶望。
ラウルの話していた言葉が、マリアに重く圧し掛かる。
「ねえ……」
「どうしました?」
「……私ね、ずっと探していた姉に、再会することが出来たの」
花瓶に触れていたレンの指が、一瞬だけ動いた。力が入ったのかもしれない。
ずっと長い間、ティナの話を彼女にしたかった。相談したかった。
話さなくても、彼女は知っていただろう。
「マリアにはお姉さんがいたのですね」
「義理のね」
「……そうなのですか。会えて、良かったですね」
淡々としている。彼女本来の反応と、何ら変わらないようにも見える。
彼女はきっと、義理の姉がレイス——ティナであることに気付いているはずだ。
以前、レンとティナが居合わせた時は、アルベルトとの喧嘩を誘発させてしまった。
何の因縁だろうか。二人の相性は良くないのかもしれない。
アルベルトもそうだったが、彼女の雰囲気も変わっている。
ティニア化が進んでいるという意味ではない。大人びて見えるのだ。
口調が変わったせいだとも思えなかった。
「なんか、雰囲気変わったわね」
「私?」
「……うん。何だろう、凄く柔らかくなった感じがする」
誉め言葉のつもりだったが、レンは視線を落とした。
「……そんなことはありません。私が壊れているだけです」
「そういうことを言っているんじゃないわ。……アルベルトと暮らし始めたからじゃない?」
マリアは悪戯そうに、囁く。本心からの言葉だった。
台所からは、お湯の沸騰した音が聞こえてきた。アルベルトの淹れる珈琲の香ばしい香りが、部屋まで伝ってくる。
レンは首を横に振ると、今度は俯いてしまった。
「まさか。私が可笑しいだけですよ」
言葉巧みに言い返すような、お道化る様子は見られない。本当に別人のようだ。落ち込んでいて反応がないのか、ティニア化しているからなのかは判断できない。
レンであった頃の記憶をなくし、機械人形であるかのようになってしまう日は近いのかもしれない。
そう思うと、言葉が出てこない。
淡々と語るのではなく、本当に辛そうにしている彼女を、目の当たりにした。
「そうじゃなくて、貴女とアルベルトが——」
「壊れているのですよ!」
声の大きさに驚いたのは、レン本人だったようだ。
台所からは、珈琲を淹れる音だけが聞こえていた。
何も言い返すことが出来ず、マリアは押し黙ってしまった。
レンは苦笑いを浮かべる。
「何故……。あいつも君も、私が壊れていてもいいと思うのですか。私は、どんどん可笑しくなっていっているというのに!」
「貴女が言いたいことは分かるわ。怖いのでしょう? 苦しいのでしょう? 私だってアルベルトだって、助けたいと思っているのよ」
レンは深く傷ついている。そんな彼女を、どうやって励ませというのだろうか。
話を聞くことしか出来ないのだろうか。
アルベルトも言っていた。
出来ることは、限られていると。
「……最近、壊れていくことにすら、気付かなくなりました」
「…………」
「壊れていくことに、疑問すら持たない。持てない。完全に壊れてしまっても、その事に気付くことすら出来ない……!」
レンはサイドテーブルに置かれているクマのぬいぐるみを手に取ると、ぎゅっと抱きしめた。




