㉙-1 花束を貴女に
全ては、決まりきった運命なのだろうか。
七月とはいえ、この日は少し肌寒い。空は薄暗く、厚い雲に覆われている。
花屋ぺラルゴは午後の業務を終え、後片付けをするだけになっていた。
ミランダとメアリーが片づけをする横で、マリアは作業台へ向かっていた。
これから作る花束は、業務の空き時間で作るようなものではない。
ティニアへ贈る花束だ。花はもう決まっている。白色のガーベラだ。
共に働くメアリーの実家がある農園からは、まとまった本数の蕾が届いた。
ティニアへ贈るものは植木鉢がいいだろうと、以前アルベルトにアドバイスした。
しかし、今回はあえて花束を選んだ。
限りある時間でも、美しく咲くその過程を楽しんで欲しいからだ。
マリアはガーベラの長さを調整していく。
ハサミの感触からも分かるが、このガーベラは状態がとても良い。長く咲いてくれそうだ。フローリストとしても、長い命であることは喜びである。
包装紙は黄色を、リボンは青を選んだ。
咄嗟に思いつき、蝶の形に切った飾りを花束に加えた。
「出来た」
白を基調とした、シンプルな花束となった。
上手く出来た自信はないものの、彼女なら喜んでくれるだろう。
片づけを手際よく終えると、マリアは花束を抱えた。
「それでは、明日はお休みをいただきます」
「ああ……、よい週末を」
無言で手を振るメアリーと、心配そうに見つめるミランダを背に、マリアはかつて暮らしていたシェアハウスへ向かった。
ティニアはレンだ。
アウローラを襲撃時に出会った、アルビノの少年だ。
少年は機械人形の身体に魂を移され、生かされている。
ティニア——レンの働く孤児院は閉鎖に向けた準備が始まり、花の注文も来なくなった。
子供も、里親への引き渡しを残すのみだというが、それも今週で終えてしまう。
孤児院だけではなく診療所への出勤も減っていると聞いている。
夕食を食べに行く機会もなく、会う機会もなかった。
先日、アルベルトはフリージアというアルビノの少女を連れていた。彼と話せたことで、マリアの中での気持ちもまとまった。それに加え、ラウルに出くわしたことも影響している。
あれからティナと相談したが、レンが事情を話さない理由は分からなかった。レンに事情を聞けないまま、時間だけが過ぎていた。
打開しようなどという、打算的な作戦ではない。
ただ、会いたかったから会いに行く。
ティニアとして生きているレンに会いたいのだ。
今回は見舞いという口実で、彼女を訪ねることにした。
約束などしてはいないが、今さら遠慮する間柄でもない。
旧市街地からエーニンガー通りを抜ける。徒歩でゆっくり歩けば三十分ほどかかる道のりを、思い出と共に歩いていく。
細いリギューエートリ通りに差し掛かった。ここを抜ければシェアハウスだ。
彼女と暮らしていた時は、毎日通ってきた道のりだった。それが今は長く、まるで急こう配のように感じられた。
シェアハウスはすぐに目に入った。
玄関の植木鉢には花が咲き乱れ、手入れがされている。
安堵した半面、この手入れをしているのが、レンであって欲しいと願う。
マリアは深呼吸すると、ドアへ手を伸ばした。
ドアの先に、彼女はいる。
ティニアとして生きるレンが。
一方的な期待が、一気に湧き上がる。
マリアはドアに備え付けてあるベルを鳴らす。
ちりん。
すぐに、ぱたぱたという足音と、男の声が聞こえた。
「誰だ?」
アルベルトの声だ。
「私よ。マリア」
「マリア? 今開ける」
ラフな格好のアルベルトが顔を出した。仕事はもう終わったのだろうか。
アルベルトはマリアの訪問に驚いた様子だったが、花束を見て顔つきが変わった。
「ティニアに会いに来たのか?」
「え、ええ。……最近、仕事を休みがちだって聞いて」
「ここじゃなんだ。入ってくれ」
マリアは花束を胸に、シェアハウスへと足を踏み入れた。
掃除の行き届いた明るい室内に、特に不審な点は見られない。
静かな室内が、かえって不安を募らせた。
「あいつは、少し休んでいるんだ」
嫌な予感がした。
「……具合が悪いの?」
「いつもの症状だ」
「そう」
少しは驚くべきだっただろうか。
レンの身に起きていることを、マリアは知っているが、アルベルトに事情を話すわけにはいかない。
レンが機械人形であることも、アルベルトは知らない。
レンが本名であることは知っているが、その名を呼ぶ素振りも見受けられない。
「これ。お見舞いなの」
マリアは花束を差し出した。
「直接渡せよ。あいつも喜ぶ。会いに来たんだろ?」
「……そう思っていたんだけれど。私なんかが会いに来たら、困惑させちゃうかなって」
「原因もわかっていないんだ。そんなことで、会おうと思った気持ちを否定するものじゃない」
アルベルトはそういうと、マリアをリビングのテーブル席に座るよう促した。
二つの椅子と、子供用の椅子が一つある。フリージアの椅子だろうか。
マリアは腰かけると、花束を軽く抱きしめた。
「昨日は夕食中に、症状が出たんだ」
アルベルトは腰かけながら、そう言った。
「昨日も?」
「ああ。最近は間隔も短くなっていてな」
「大丈夫なの?」
「やっと落ち着いたところでな。すぐに会わせてやりたいけど、分かってやって欲しい」
マリアはレンの部屋に目をやった。部屋からは物音一つしない。
「待つくらい、どうってことないわ」
マリアの脳裏には、ラウルの言葉が聞こえてくるようだった。タイムリミットが迫っている、と。
ラウルの言葉が現実味を帯びて胸に圧し掛かった。
マリアが取り乱さないでいられたのは、アルベルトが落ち着いているからだろうか。
前に相談を受けた時、アルベルトは何度も取り乱すほどだった。嫉妬から、怒りを露わにしていたように感じられた。
それが今は、椅子に座ったまま、静かにマリアの相手をしている。
以前のアルベルトなら、マリアの相手などせず、レンに寄り添っているだろう。
「何かあんた、妙に落ち着いているのね……」
「そうかもしれないな」
「……何かあったの?」
「まあ、ちょっとな」
アルベルトは苦笑いを浮かべた。その笑みは柔らかく、印象的であった。
詳しく聞きたい気持ちもあったが、彼の笑みに根負けした。
機会があれば聞いてみたい。
聞き返さないマリアを、黙って見つめていたアルベルトは、レンの部屋へ視線を送った。
「とはいえ、玄関のベルが鳴ったのには、あいつも気づいているだろう」
アルベルトは話を切り上げると、レンの部屋へと向かった。
軽くノックすると、彼女へ聞こえるように言った。
「マリアが来たぞ。開けていいか?」
「はい」
か細い声が聞こえた。
アルベルトは一瞬だけ、マリアへ視線を送った。
マリアは息を飲み、ゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。




