㉘-4 決意の狭間
夕食の片づけを終えると、アルベルトはティニアを自室へ呼んだ。
大人しく部屋を訪れる彼女は、淡々としている。
「先ほどの少女は?」
「……疲れて寝たよ」
「そうですか。名前は何というのですか?」
淡々と語るティニアに対し、アルベルトは溜息を飲み込んだ。
「フリージアだ」
「フリージア。庭園の花と同じ名ですね」
「……しばらく、預かることになっているんだ」
「そうですか。陛下の許可は得られたのでしょうか?」
初めて聞く言葉だ。陛下といえば、王や皇帝を表すのではないだろうか。
「ティニア」
「はい」
「今日はもう寝よう」
「…………」
淡々と語るティニアが、押し黙った。
何か間違えた言葉を言ってしまったのだろうか。
表情が強張ったままのティニアに対し、アルベルトはどうしていいのか分からなくなった。
「アルブレヒト様」
「……なんだ」
「私は、睡眠を必要としてはいません。疲労感のようなものはありますが、それは時間が経てばすぐに回復します。よって、眠る必要性は感じません」
「俺も、寝なくていいのなら寝ないんだがな……」
アルベルトはベッドへ腰を下ろした。
どっと疲れが出てきた。
ティニアに、何が起こっているのだろうか。
救いたい、何とかしたい気持ちだけが先行していく。
ティニアはまるで主人に仕えるように、アルベルトの前で跪いた。
「アルブレヒト様。また、眠れないのですか?」
「……ああ」
今の君は誰なのか。
別人であるのであれば、どうしてアルベルトがいつも眠れないことを知っているのだろうか。
前にティニアも言っていた。
『これは、誰の記録なのでしょうか』と——。
ティニアを否定しないようにしているのは、医師であるレオンに言われたからだ。
そんなティニアを、肯定してきたわけではない。
「ティニア」
「はい」
「君は、一体誰なんだ——」
ティニアは胸に手を当て、眼を閉じた。
「私は、ティニア。アルブレヒト様付きの——」
見開いたティニアの瞳が、一瞬だけ金色に光ったように感じられた。
ランプの明かりだろうか。
「わ、私、は——」
「ティニア?」
ティニアは自身の肩を抱いた。
震えている。
「だれ——?」
「ティニア……?」
「私は、誰。私は、私は——」
首を横に振る彼女を、アルベルトは抱きしめていた。
「落ち着け! 大丈夫だ」
「あ、ああ……」
ティニアの震えが、呼吸が落ち着いていく。脱力してしまったティニアを床に座らせ、背中をさすった。
「もう大丈夫だ。ほら、落ち着いてきただろ?」
「…………ぼくは、何を……」
アルベルトが体を起こすと、ティニアは不安そうに見上げていた。大分落ち着いたが、まだ浅い呼吸を繰り返している。
乱れた髪を梳かすように、優しく髪を掬った。
「少し、混乱してたみたいだ」
「…………。僕は、どんどん可笑しくなっていく。どんどん壊れていく……」
「ティニア……」
「ははは、違うね。とっくに壊れているんだ。ずっと昔から、僕は……」
乾いた笑い声。
昔という言葉に、アルベルトは反応した。
一体、どれほど昔の話だろうか。
一体、いつから彼女は苦しんできたのだろうか。
それでも生きてさえいれば——。
生きてさえいてくれたら、それでよかった。
「なあ、ティニア」
「何?」
「壊れていたっていいじゃないか」
「……ど、どういう意味——?」
ティニアは眉を吊り上げ、不機嫌そうにアルベルトを見つめる。
アルベルトはティニアを宥めるように、その手にそっと触れる。
「俺はどんなお前でもいいって言ってるんだ」
「な……」
「俺はお前が壊れていても、どんなに可笑しくなっても、離れたりしない」
強く、ティニアの手を握る。
「お前は、お前だろ?」
「そ、そんなこと聞いているんじゃない——」
声が震えていた。
「壊れていくのが怖いんだろ? 不安なんだろ? 俺は、どんなお前でも、ずっと側に居る。ずっと……」
たとえ、君の名前が別にあったとしても。
別に君がいたとしても——。
アルベルトはその言葉を飲み込んだ。
「今日は疲れただろう。……もう休もう」
「でも……」
「ほら、抱き枕になってくれるんだろう? 俺、眠れないからさ」
「……うん」
感情が込められていないかのような、軽い返事が返ってくる。
ティニアは大人しく、アルベルトの腕枕に納まった。
苦しそうに目を閉じ、何かを噛み締めるようにしているティニアを横目に、アルベルトは目を閉じた。
全てがモノクロの世界で生きてきた。
暴力。殺人。騙し合い。
息が出来ないほど、ずぶずぶの泥沼から上がれず、もがき苦しんできた。
そんな世界から、救ってくれたのは君だ。
独りよがりだろうと、なかろうと。もう構うことはない。
たとえ、君が自分を分からなくなって、俺の事も分からなくなっても——。
君を見捨てはしない。




