㉗-5 エリカ
ティナは、マリアの話を静かに聞いていた。
マリアの話の邪魔をしないように、いつの間にか降り出した雨音が静かに降り注いでいた。
外は既に暗く、開けたままのカーテンからは、町の光が漏れていた。
「インストールが最終段階を迎える。それから、タイムリミットについて。これについて分かることは何?」
マリアの問いに、ティナは静かに頷いた。
「……ティニアさんが、いいえ。ここではレンと呼びましょうか。レンが、完全にティニア化することを指すと思われます」
「ラウルは、レンがティニア化する前に助けたいと思っているのかな。苦しみから解放出来るって言葉が、とても気になるわ」
「そうですね。私もそう考えます」
「……気を悪くしたら、ごめんなさい。ティニアは貴女の前世でもあるのに」
「いいえ。気にしないでください」
ティナは優しく微笑んだ。
マリアは頷くと、笑みを表情から消した。
「ヴェルローラは自滅していく。これについてだけれど、ヴェルローラを壊滅させることが、ラウルやレンのスパイの理由だったんでしょ?」
「はい」
「ラウルは、ずっと一人でヴェルローラと戦っていたのかな」
俯いたマリアへ、ティナは苦笑いを浮かべた。
ティナは、マリアがラウルのことを心配しているのだと分かっているようだった。
「……レンは前に怪我を負って、手術されていたのですよね。恐らくですが、ヴェルローラとの戦いで負った傷でしょう」
「そう考えるのが自然よね」
「はい。しかし、レンには、貴女や孤児院があります。表立って活動することは出来なかったでしょう」
マリアは黙ってしまった。
レンは、マリアや孤児院に危険が及ばないように行動していたのだろう。
彼女が足に怪我を負ったのは、何かを庇おうとした可能性もある。
「レンは、その怪我について何も言っていなかったのですか?」
「……聞けなかったの。その、心因性昏迷状態のほうに気を取られていて……」
「そうだったのですね」
マリアの心に、後悔と罪悪感が湧いてくる。
ずっと一緒に暮らしていたのに。
「私が真に覚醒すれば、ヴェルローラの為になってしまうのよね。私、どうしたらいいのかな」
「…………」
「力を使わないようにすればいいの?」
ティナは首を横に振った。
「力を使うことと、真なる覚醒は別であると考えます」
「確かに、記憶再生能力を辞めて欲しいなら、はっきりそう言うと思う。ラウルって言葉足らずだけれど、合理的だし」
「そうですね。昔からそういう性格なのですよ。不器用で……」
ティナは懐かしそうに笑った。
彼女とラウルの間に、何があったのかは分からない。
いつか、その話をする機会は訪れるだろうか。
平和な時間は、またやってくるのだろうか。
「……ラウルって、優しくて世話焼きなのね」
気付けば言葉に出していた。ティナは懐かしそうに微笑む。
「はい。とても優しい子です」
「——所長を撃ったこと、とても後悔していた。私に謝りたいだなんて」
「マリアは、所長を慕っていましたから……」
顔をくしゃくしゃにしながら笑いかけ、頭を何度も撫でてくれた。初老の所長を思い返す。鮮明に見ることが出来るのは、記憶再生能力のおかげかもしれない。
「所長の名前って、なんて言うのか分かる?」
「分かりますよ」
「……私、名前すら知らなかったの。所長も名乗らなかったじゃない……」
マリアの頬を涙が伝った。
「あ、あれ……。人間でもないのに、涙が出るなんて、変かな。あはは——」
ティナはマリアの髪を撫でた。まるで、所長が頭を撫でるように、優しく。
「もっと涙が溢れるんですけど……?」
「泣いてもいいと思いますよ」
「うう……」
「所長の名は、オスカー・ゲルハルトといいます。どちらも槍に由来する名で、シュペーアというあだ名があると言っていましたよ」
「そう、なんだ……。オスカーさんか……。私を娘のように接してくれて、ありがとう。オスカー所長……」
ティナはマリアを抱きしめた。
「服が、涙で汚れちゃうわ」
「ねえ、マリア。以前私は尋ねましたよね。私たちは、個々に意思を持っています。たとえ、人ならざる者だとしても……」
「ッ…………」
「私たちには、痛みも、悲しみの感情もあります。人と、何ら変わりないのです」
マリアの目元が緩んでしまった。
堪えきれない感情が込み上げ、涙に形を変えていく。
「うう、ティナあ……」
「大丈夫ですよ。マリア。貴女は人です。大丈夫、大丈夫——」
ティナは何度も頭を撫でた。
「流石、ベビーシッターね……。慰め方が、完璧だわ」
「そうでしょう。人の本質とは、変わらないものですよ」
マリアは涙を流しながら、笑顔をティナへ向けた。
ぐちゃぐちゃの顔だが、彼女の前でなら、それでいい気がした。
「ねえ、ティナ」
「どうしました? マリア」
マリアは服の袖で涙を拭うと、微笑んだ。今までで一番の笑顔だった気がした。
「ありがとう」
ティナは目を細め、微笑み返した。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「やっぱり無理だわ。ティナを嫌いになるなんて——」
「嫌おうとしていたのですか?」
「嘘に決まっているでしょう? 私が嫌うはずないじゃない」
二人で笑い合ったところで、ティナはいつものように心配そうな顔をした。
言いたいことは分かっている。
「私が覚醒すれば、レンを破壊出来るって。ラウルはそう言っていたわ」
「その段階まで来ているということですね。時間は余り残されていないのでしょう」
「私は、レンと一緒に生きていきたい。ラウルとだって……」
ティナは黙って頷いた。
「私も協力します。ラウルは、追い詰められているのかもしれません。そして、レンも……」
「うん。……それから、ラウルは気になる事を言っていたわ。母なる器の、二号機って……」
「二号機ですか……」
「失敗したって言っていたけれど、それが何を指すのかは分からないわ。……でも、今日はもう無理。頭が限界だわ」
「そうですね。今日はもう休みましょう」
ティナは時計へ目を向けた。針は午後十一時を指している。
明日もペラルゴで仕事がある。
休むべきだろうか――そう考えたマリアに、ティナは静かに首を横へ振った。
「明日は明日で、各自で行動しましょう。普通に行動した方が、レンに気取られることもないかと」
「うん。どうしてレンが真実を話さなかったのか、考えなきゃ」
「そうですね。私も、貴女が仕事をしている間に、何か手が無いか考えてみます」
「分かったわ。本当に、今日はもう限界……」
「限界でも、包帯は巻き直してくださいね。私が巻き直しましょうか?」
「ううん。自分で出来るわ。……甘やかさないで」
ムッとしたマリアに対し、ティナは笑いかけてくれた。




