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㉗-4 蝦夷菊

 マリアとティナはしばらく抱きしめ合うと、ゆっくりと身体を起こした。

 急に気恥ずかしくなり、マリアは思わず笑ってしまう。


「私もね、反省しているの。依存しないよう気を付けていたのに、貴女に依存して、苦しめていたわ」


 マリアは顔を上げる。向き合うティナは、首を横に振った。


「そんな事はありませんよ」

「ラウルからも聞いたわ。貴女がベビーシッターをしていたって」

「そうですか……」


 ティナは懐かしそうに微笑む。


 ティナの前世である機械人形のティニアは、ラウルの姉機体だ。先に作られたのはラウルかもしれないが、少なくともティナにとっては今も弟なのだろう。

 二人はよく似ている。


「落ち着いたら、ラウルの話も色々聞きたいわ」

「ええ、構いませんよ。私の知っている範囲でよければ、幾らでも話しましょう。ですが、状況は刻々と変化していくものです」

「うん」

「このタイミングでラウルが現れたこと。何故それを話したのか。私には、その真意を探る必要があるように思えます」

「あ——」


 ティナの言葉を聞き、思い出した。


「私、話の途中で、意識を失っちゃって……」

「……貴女が気を失うまで、ラウルは何かを話し続けていたのですか」


 ティナは少し怒っているようだ。

 少しだけ嬉しく思いつつ、心の中でラウルに謝罪した。


「マリア」

「は、はい……」

「貴女の力の一つに、記憶再生能力があると聞いています」

「え……?」

「憶測や想像といったことではなく、実際にあったことを見ているかのように、映像として再生させる能力です」

「私に、そんな力が……?」


 ティナは静かに頷く。


「アウローラの所長がラウルに撃たれたその瞬間を、まるでマリアは見聞きしたかのように話していましたね。あの時も力を使ったのでしょう」

「それが、無意識に使っていたみたいで……。どうすればいいのかな」

「今は過去の映像を映しだそうとしているのですから、そうですね……。『失われた記憶を再構築せよ』——そう念じてみて下さい」


 無意識に発現させていたという、記憶再生能力。

 それはまるで、意識や実体を遠くへ飛ばすことが出来る力と似ている。

 偵察と呼んでいたあの力も、マリアだけが持つ能力なのかもしれない。


 マリアは念じる。

 失われた記憶を再構築せよ——と。


 マリアの足元に、赤い文様が現れる。身体は呼応するように、赤く光り出す。


 マリアは静かに目を閉じる。

 目の前には、暗闇が広がっている。


 マリアは暗闇の夢を思い返すが、不思議と孤独感は感じられない。

 目を開ければ、そこにはティナが居る。

 そう思えるだけで、心強い。


 気付けば、目の前には黒い大きな靴が現れる。

 足元から顔を上げるまでもなく、その人物が誰なのか——マリアには分かっている。


 石畳、建物——周囲の景色が赤い光と共に、次々に生み出されていく。

 見慣れたシュタイン・アム・ラインの町並みが、目の前へと広がった。

 現実の世界と違うところは、空という空が暗闇で満たされているという点だろうか。


 『——だが、それももう終わる。インストールは、最終段階を迎える』


 インストール。

 それが、ティニア=レンを今も苦しめている元凶——。


『タイムリミットが近い。その前に——』


 ラウルは、倒れたマリアの前にしゃがみ込んだ。


『失神したか。やはり、お前には早すぎたか——』


 早いとは、マリアがまだ年若い事を指すのだろうか。


 ラウルは眼帯をかけなおした。レンの金色の瞳が隠れてしまった。

 気付けば、マリアはラウルに抱き抱えられ、視線が高くなっていた。


『ヴェルローラはもうすぐ壊滅する。もはや奴らは、自滅の一途を辿ったのと同じこと』


 ラウルはゆっくりとした足取りで、歩み出した。

 マリアの身体を揺らさぬように、気を遣っているようにも見える。


『ラーレだった頃に話せば——幼いお前は、自我を失い暴走する可能性が在った。不本意だが、レイスが話さなかったのは正解だったのだろう』


 まるで庇うような言葉に、マリアは驚愕した。

 ティナの言う通り、ラウルは優しいのかもしれない。


『力に目覚めているお前が、真に覚醒すれば、ヴェルローラは息を吹き返すだろう』


 ラウルは、抱き抱えるマリアへ視線を落とした。機械仕掛けの青い瞳は、心配するようにマリアを映しだした。


『仕方のないこととは言え、お前が慕う所長を殺したこと——お前に、謝らねばな』


 ラウルは再び歩き出した。

 行き交う人々は、横目でラウルを見ている。それらに目もくれず、ラウルはライン川に架かる橋へと差し掛かった。


 川面を渡る風だけが、二人の間を吹き抜けていく。

 ラウルに抱かれたままのマリアの髪だけが、風に靡いた。


『この町で、お前は成長した。生きることが出来た。それは、あいつが望んだことだった』


 あいつとは、レンのことだろうか。それとも、ティナのことだろうか。

 ラウルはライン川に目もくれず、橋を渡り切った。


『お前が目覚めるようなことになるのであれば、俺はお前を破壊しなければならない。だが——』


 ラウルは見慣れたアパートへと到着した。

 二階の部屋へと、階段を上がっていく。


『お前の力があれば、レンを——あいつを苦しみから解放できるだろう。それならば、俺は——』


 ラウルはそこで言葉を止めた。ドアの前で、ラウルは一瞬だけ間を置いた。


『姉さん……』


 そう呟くと、ラウルは指先を細く変形させた。鍵の掛かっていた扉は、軽い音を立てる。

 部屋へ入るラウルは、どこか緊張していた。


『……居るわけがない、か。センサーに、熱源反応はない……』


 ラウルは、マリアの部屋を迷わずに開ける。

 そして、ベッドへ寝かせ、靴を脱がせた。

 靴をベッドの脇に揃えると、ラウルは溜息を吐く。


『小さい靴だ——』


 ラウルは静かに視線を上げた。


『マリア』


 まるで、記憶の再生を見ているマリアの存在を知っていたかのように、ラウルはマリアの名を呟く。


『ヴェルローラは、失ったお前の後釜を作り出した。母なる器の二号機だ』


 間を置き、ラウルは続ける。


『そいつが居るのは、イタリアのシチリア島にあった、海底にある研究施設……。だが、その計画は失敗に終わった。二号機にお前のような力は無く、ただの失敗作——ケルンメンシュとして扱われている』


 部屋の入り口まで歩きながら、ラウルはそう言った。


『壊滅状態とはいえ、ヴェルローラの残党は、血眼になってお前を探している。目立つ行動は止せ。レイスにもそう伝えろ——』


 ドアが閉まる瞬間、ラウルは一瞬だけ振り返った。

 閉まる音と共に、マリアが目を開けると、そこには心配そうなティナの姿があった。

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